教科書だけで解く早大日本史 2021人間科学部 14
2021人科編の第14回です。大問Ⅴの中盤です。
※大学公式ページで問題を確認してください。
※東進データベースは要登録です。
〇問4 江戸時代の儒学者に関連する記述として、誤り1つ
ア 熊沢蕃三は京都の出身で、岡山藩主池田光政に仕えたが、幕府を批判し罰せられた。
イ 山鹿素行は、実用の学の視点から朱子学を批判し、自らの儒学を聖学と呼んだ。
ウ 伊藤仁斎は町人の出身で、大坂に塾を開いて、原典研究を唱える古義学を創始した。
エ 貝原益軒は、幅広い分野に才能を発揮し、日本の本草学の基礎を築いた。
オ 荻生徂徠は、柳沢吉保(や徳川綱吉)に(も)仕え、古文辞学派の創始者となった。( )内は削除の指示あり
江戸時代の儒学者に関する問題です。選択肢ごとに見ていきましょう。なお、オは訂正が入りました。
アの熊沢蕃三は岡山藩池田光政に招かれて重用された陽明学者。私塾の花畑教場を設立しました(199頁 脚注①)。
② 蕃三は古代中国の道徳秩序をうのみにする儒学を批判したため、幕府により下総古河に幽閉され、そこで病死した。主著『大学或門』などで武士土着論を説いて幕政を批判した。(214頁 脚注②)
なお、「教科書」では「京都の出身」がわかりません(「用語集」には「京都の人」182頁R)。
次にイの山鹿素行です。主な著作に『聖教要録』『武家事紀』『中朝事実』があります。著作が3つ以上教科書に掲載されているのは新井白石をのぞけば山鹿素行くらいでしょう。
③ 素行は朱子学を攻撃し、『聖教要録』を刊行して古代の聖賢に立ち戻ることを主張したため、幕府によって赤穂に流された。また民清交替により、従来の中華の明が滅びた時期に、日本を「中朝」「中華」とみなす立場で『中朝事実』を著した。(214頁 脚注③)
「聖学」については214頁の儒学者系統図で確認できます。『武家事紀』は戦術などを書いた実用書で、赤穂浪士事件を起こした旧赤穂藩の浪人たちに影響を与えています。
ウの伊藤仁斎は古学派のなかの「堀川学派」になります。「孔子・孟子の古典に直接立ち返ろうとする」(214頁)立場をとりました。京都に私塾の古義堂を開いて門人を集めました(229頁)。
古義堂は堀川(京都)で、「大坂」ではありませんので、ウが誤りです。
エの貝原益軒は本草学者。『大和本草』を著しました。筑前黒田藩士で、本草学だけでなく、教育・経済・歴史の分野でも業績を残しています。
オの荻生徂徠は、「仁斎らの古学を受け継いだ」(214頁)古文辞学派で、「政治・経済にも関心を示し、都市の膨張をおさえ、武士の土着が必要であると説いて、当地の具体策を説く経世論に道を開いた」(同)人物です。「徂徠は柳沢吉保や将軍徳川吉宗に用いられ、享保の改革では政治顧問の役割」(215頁)を果たしました。経世論は太宰春台に受け継がれます。
選択肢には当初「徳川綱吉」が入っていましたが、誤りの選択肢にしようとしたのか、単なる「徳川吉宗」の誤植なのかわかりません。試験前に訂正指示があり、「徳川綱吉」の部分は削除されたので、オは正しい文になりました。
〇問5 下線部d「鉱山」に関連して、明治時代の官営事業の払い下げに関する記述として正しいもの1つ
ア 高島炭鉱は、佐々木八郎に払い下げられた。
イ 三池炭鉱は、岩崎弥太郎に払い下げられた。
ウ 佐渡金山は、後藤象二郎に払い下げられた。
エ 院内銀山は、古河市兵衛に払い下げられた。
オ 阿仁銅山は、浅野総一郎に払い下げられた。
1880(明治13)年、大蔵卿の大隈重信が中心になって「工場払い下げ概則を公布しますが、投資額の回収を主眼としたため希望者は少なく、払い下げが本格的に進むのは、この概則が廃止された1884(明治17)年からのこと」(279頁 脚注①)でした。
事業所と払い下げ先については、「教科書」303頁に「主要な払下げ工場・鉱山」という資料があり、そこで確認できます。
アの高島炭鉱は、後藤象二郎のち三菱が買収
イの三池炭鉱は三井(※佐々木八郎→三井 「用語集」232頁R)
ウの佐渡金山は三菱
エの院内銀山は古河
オの阿仁銅山も古河
正解は、エでした。岩崎弥太郎は三菱、古河市兵衛は古河を表しています。なお、浅野総一郎に払下げられたのは深川セメントです。
〇問6 工場法の史料への空欄補充
第一条 本法ハ左ノ各号ノ一ニ該当スル工場ニ之ヲ適用ス
一 常時( 2 )人以上ノ職工を使用スルモノ。
(中略)
第三条 工場主ハ( 3 )歳未満ノ者及女子ヲシテ、一日ニ付( 4 )時間ヲ超エテ就業セシムルコトヲ得ス。
ア 2・十五 3・十二 4・十
イ 2・十五 3・十五 4・十
ウ 2・十五 3・十五 4・十二
エ 2・二十 3・十二 4・十
オ 2・二十 3・十二 4・十二
カ 2・二十 3・十五 4・十二
工場法の条文への空欄補充です。かなり難問の部類ですが「教科書」で確認してみましょう。
② 少年・女性の就業時間の限度を12時間とし、その深夜業を禁止した。適用範囲は15人以上を使用する工場に限られ、製糸業などに14時間労働、紡績業に期限つきで深夜業を認めていた。(308頁 脚注②)
まず、( 2 )には「常時( 2 )人以上ノ職工を使用スルモノ」とあるので、ここには「十五」が入ります。
つぎに、「工場主ハ( 3 )歳未満ノ者及女子ヲシテ、一日ニ付( 4 )時間ヲ超エテ就業セシムルコトヲ得ス」とあります。引用では少年の年齢制限が書かれていませんが、女性の就業時間の限度は12時間とあるので、( 4 )には「十二」が入ります。
この時点で、選択肢はウの「2・十五 3・十五 4・十二」にしぼられました。( 3 )には「十五」が入ります。これは「教科書」で特定できませんでしたが、正解にはたどりつけました。なお、「最低年齢」は「十二歳」です。
公布は1911(明治44)年でしたが、資本家らの反対で実施は1916(大正5)年まで遅れます。戦後、労働基準法の公布で廃止されました。
イギリスの工場法については、マルクスの『資本論』などでも取り上げられており、大学で経済学史を学ぶ際には出てくることもあるでしょう。
今回はここまでです。次回、シリーズ最終回です。
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