教科書だけで解く早大日本史 2021商学部 13
2021商学部編の第13回、今回から5⃣に入ります。
資料Ⅰは大隈財政から松方財政をへて日本資本主義の成立まで、資料Ⅱでは大正・昭和初期の学問・文化について書かれています。
※大学公式ページで問題を確認してください。執筆時未掲載
※東進データベースは要登録です。執筆時未掲載
◎問A 大隈大蔵卿の経済政策 誤っているもの1つ
1. 国立銀行条例が改正され、兌換義務がなくなると国立銀行の設立が相次いだ。
2. 西南戦争の戦費を捻出するために、政府は不換紙幣を増発した。
3. インフレが深刻化し、歳入を地租に依存する政府の財政は困難になった。
4. 1880年に工場払い下げ概則の方針を決めたが、官営事業の民間払い下げは進まなかった。
5. インフレの中で貿易収支は好転し、正貨の蓄積が進んだ。
大隈重信は参議就任まもなくから外交担当から財政担当にかわり、1873(明治7)年に大久保利通のあとを受けて大蔵卿になると1881(明治14)年に参議免官(明治14年の政変)まで政府の財政の責任者をつとめます(ただし、大蔵卿は1880年に佐野常民にゆずります)。
1872(明治5)年に渋沢栄一らを中心に定められた国立銀行条例では発効する銀行券に兌換義務(金・銀との交換義務)があったため、設立数が伸びませんでした。しかし、1876(明治9)年の条例改正で兌換義務がなくなると国立銀行の設立が相次ぎ、不換銀行券が発行されました。これに西南戦争の戦費調達のために発行された不換紙幣も重なって、激しいインフレーションを引きおこします。
貿易取引では銀貨が使われていましたが、市場の紙幣量が増加して紙幣の価値が下落したため、紙幣で納められていた地租収入は実質的に減少してしまい、財政困難に陥りました。
それに加えて、
「1867(慶應3)年頃から輸入超過が続いていたこともあって、正貨(金・銀)の保有高は底をついてきた。」(279頁)
ことで、大隈は財政状況を好転させようと、工場払い下げ概則を公布して官営工場を払い下げようとしましたが、投資額を回収しようとしたため払い下げは進みませんでした。
そのさなか、明治14年の政変で大隈は参議を免官され、財政問題の解決は松方正義に託されることになります。
選択肢の中で誤りがあったのは、5の「正貨の蓄積が進んだ」です。正貨の蓄積が進むということは財政状況が好転していることを意味しています。それなら松方財政は必要ありません。
1~4については、278-279頁を中心に説明されています。
◎問B 松方財政下の通貨・金融政策 正しいもの1つ
1. 国立銀行には銀行券発行権が認められており、国立銀行券の流通量は増加し続けた。
2. 増税により歳入を増やす一方で、軍事費を中心に財政支出を削減した。
3. 財政余剰を不換紙幣の増刷に充てたため物価が低落した。
4. 1880年代半ばに、銀貨と紙幣の価格差はほぼ消滅するに至った。
5. 日本銀行は設立直後から銀兌換銀行券を発行したが、兌換請求には遭わなかった。
松方財政の特徴は、増税による歳入増加と歳出の徹底的な緊縮で財政状況を好転させるデフレ政策でした。
翌年、松方正義が大蔵卿に就任すると、増税によって歳入の増加をはかる一方、軍事費以外の歳出を徹底的に緊縮した。そして歳入の余剰で不換紙幣を処分するデフレ政策をとりながら成果の蓄積を進め、1882(明治15)年、中央銀行として日本銀行を設立した。日本銀行は銀貨と紙幣の価値がほとんどなくなった1885(明治18)年から銀兌換の銀行券を発行し、ここに銀本位の貨幣制度が整うことになった。(280頁)
正解は4でした。
日本銀行設立の翌年に国立銀行条例は改正されて、国立銀行は銀行券発行権は取り上げられて普通銀行へ転換させる政策をとりました(280頁 脚注①)。したがって1は誤りです。
2の「軍事費を中心に財政支出を削減」は「軍事費以外の支出」が削減されたのが正しいため誤りです。
3は「不換紙幣の増刷」が誤りです。松方財政は「不換紙幣を処分」するための政策です。
5は引用の通り、日本銀行設立直後から銀兌換に応じたわけではありません。
◎問C 松方財政下の農村 誤っているもの1つ
1. 土地を失い、小作農に転落する者が多く見られた。
2. 土地を失った農民の一部は都市下層に流入した。
3. デフレ下で地租負担が増加し、自作農の家計は悪化した。
4. 地主は小作人から高率の現物小作料を取り立てた。
5. 地租負担がないため、デフレ下で小作人の家計は好転した。
松方財政は厳しいデフレ政策であったため、農村には厳しい政策となりました。問Aで説明したように、インフレのもとで紙幣価値が下がって地租収入の実質が目減りしたということは、反対にデフレになれば定額金納の地租収入の実質が増加する、すなわち地租が実質増税されたということになります。増税に耐えられない農家は土地を失って、都市部へ流入するか、小作人となって地主に高い現物小作料をはらいました。
教科書の記述も確認しておきましょう。
しかし、厳しい緊縮・デフレ政策のため、米・繭など物価の下落が著しく、深刻な不況は全国におよんだ。しかも増税に加えて地租は定額金納であったので、農民の負担は著しく重くなり、自作農が土地を手放して小作農に転落した。地主は所有地の一部を耕作するほかは、小作人に貸しつけて高率の現物小作料を取り立て、そのかたわら貸金業や酒屋などを営んで、貸金のかたに土地を集中していった。また、土地を失った農民が都市に貧民として流れ込み、さらに下級士族の困窮も激しくなって、社会は動揺していった。(280頁)
長い引用になってしまいましたが、ほぼ説明した通りです。こうして土地を集積していった地主は自らは耕作をしない寄生地主となり、都市部へ流入した貧民層は資本主義勃興期の工場労働者となって過酷な労働環境におかれることなります。日本における「いわゆる本源的蓄積」の過程が進行したのが松方財政でした。
選択肢をみると、1~4はすべて引用の通り正しい文です。
誤りがあったのは5でした。小作人には高率の現物小作料が重い負担となったのであり、地主の地租負担を補う役割を担わされました。
今回はここまでです。