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教科書だけで解く早大日本史 2021法学部 1

今回から新シリーズ、2021法学部編に突入します。

2020年版は社会科学部、政治経済学部、法学部、人間科学部、商学部までやったところで中断してしまいました。今年は前年できなかった文学部、文化構想学部、教育学部の3学部を優先して分析し、ここからようやく2年目に入ります。

法学部も例年通り記述と選択問題で構成されています。学習不足が懸念された2021年度一般選抜のレベルは2020年度と比較してどうだったのか、2021年度の他の学部と比べてどうなのか。2人の読者の皆様、これから12回(予定)おつきあいください。

※大学公式ページで問題を確認してください。

※東進データベースは要登録です。

なお、このシリーズにおける「教科書」はすべて『詳説日本史B』(山川出版社 日B309)を使用します。また「用語集」も『日本史用語集』(山川出版社)を使用します。

大問Ⅰでは畿内・七道をテーマに古代・鎌倉の政治・文化について出題されました。

◎1 室町時代以降は海外貿易の拠点として栄えた都市

下線部a(都とその周辺の五カ国)に関連して、平安~鎌倉時代に熊野詣の沿道として町場の形成が進み、室町時代以降は海外貿易の拠点として繁栄した、摂津・河内・和泉三カ国の境界部に位置する都市の名は何か。

ポイントは3つあります。わかりやすいのは「室町時代以降は海外貿易の拠点として繁栄した」の部分です。「日明貿易の根拠地として栄えた堺や博多」(152頁)とあるように、堺と博多が2大拠点です。問題では「摂津・河内・和泉三カ国の境界部に位置する都市」を聞かれていますから、答えは「」です。なお、紀伊の「熊野詣」は院政期に仏教を信仰した上皇らによって盛んにおこなわれます(88頁)。

◎2 地方の諸国について、正しいもの1つ

あ 日本海に面する出雲国には、新羅や渤海の侵攻に備え水城が築かれた。
い 西海道の南端に位置する薩摩国には、「遠の朝廷」と称された大宰府が置かれた。
う 讃岐国で生まれた空海は、唐の長安に渡り密教を学んだ。
え 出羽国と接する越後国には、対蝦夷政策の拠点として胆沢城が設置された。
お 安芸国の国司となった藤原純友は、海賊をひきいて反乱を起こした。

地方諸国に関わる知識は教科書に掲載されている地図資料を頭に入れておく必要があります。もっとも正解の選択肢には関係ありませんでしたが…。

 空海は、讃岐出身で上京して大学などに学び、儒教・仏教・道教のなかで仏教の優位を論じた『三教指帰』を著して仏教に身を投じた。のち804(延暦23)年に入唐し、長安で密教を学んで2年後に帰国、紀伊の高野山に金剛峯寺を建てて真言宗を開いた。また、空海が嵯峨天皇から賜った平安京の教王護国寺(東寺)も、都にあって密教の根本道場となった。(65頁)

引用にある通り、讃岐出身の空海は遣唐使とともに長安に渡り、密教を学んで帰国しました。最澄との比較では、入唐は同じ年ですが、最澄の方が年齢は上です。そして、最澄を庇護したのは桓武天皇、空海を庇護したのは桓武天皇の息子である嵯峨天皇です。空海は書道や漢詩にもすぐれた文化人である一方で、ため池の造成などにも活躍しました。

正解は、「」でした。

は「渤海」が誤りです。日本と渤海の関係は友好的で侵攻に備える必要はありませんでした。また「水城」がつくられたのは大宰府の北で「出雲国」ではありません(39頁)。

は「薩摩国」が誤りです。西海道を統轄する大宰府が置かれたのは九州北部です(42頁)。

は「越後国」が誤りです。坂上田村麻呂が802(延暦21)年に築いた胆沢城は北上川中流で陸奥国です。

は「安芸国」が誤りです。藤原純友は「もと伊予の国司」(82頁)です。国司というと地方諸国のトップというイメージかもしれませんが、四等官制で、守(かみ)介(すけ)掾(じょう)目(さかん)に分類されており、藤原純友は「伊予掾」でしたから、国司のなかでもかなり格下ということになります。

◎3 各地の国府を結ぶ官道に、約16kmごとに設けられた施設

漢字2字指定の記述問題です。

中央と地方を結ぶ交通制度としては、都をかこむ畿内を中心に東海道など七道の諸国府へのびる官道(駅路)が整備され、約16㎢ごとに駅家を設ける駅制が敷かれ、官吏が公用に利用した。地方では、駅路と離れて郡家などを結ぶ道(伝路)が交通体系の網目を形成した。(47頁)

引用の通り、正解は「駅家」(うまや)です。七道の駅路では一定規格の道幅で、側溝跡が遺跡としてみつかっています。

官道など古代の諸制度については、昨年も複数の学部で出題されています。

今回はここまでにします。

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