【屋久島空港問題 ♯11】 深刻な観光客の減少トレンド
パンフが滑走路延伸による経済効果と称する223億5千万円の内訳は、関東からの旅費低減効果と時間短縮効果、無線施設整備による欠航減少効果のみ。その中に観光による経済効果は1円たりとも含んでいません。
観光の島屋久島で、できることなら観光による経済効果こそ華々しく打ち出したいはずなのに、でっちあげがお得意のパンフが、この件に限ってはなぜだかそうはしませんでした。
そこで今回はその理由を考察したいと思います。日本の人口動態や経済情勢を背景とする観光動向を主要テーマに、新規就航効果と、船と飛行機の競合関係の話題も取り上げます。
3つのグラフ:入込客数・人口動態・経済情勢
入込客数グラフでわかる急速な減少傾向
図1は環境省の「屋久島全体の入込客数の推移」と統計屋久島令和4年版の「屋久島全体の入込客数の推移」を基に作成したグラフで、入込客数の65~69%程度が観光客と考えられています。
グラフの全体を見渡すと、2007年のピークを境にして上昇期と下降期がはっきりと分かれています。
注目すべきはコロナ禍のはるか前から減少傾向にあることと、下降期のグラフの傾きが上昇期よりも大きく減少スピードが急速なこと。そしてこのトレンドを止めようにもどうにも止められない現状です。
3つのグラフで捉える屋久島の観光動向
(1)上昇前(1980年代以前)
1973年のオイルショックにより日本の高度経済成長は終焉を迎えますが、それでも1980年代は4%台の安定成長を続けていました。
図1のグラフに80年代より前は含まれていませんが、当時の入込客数はずっと10万未満から12万台だったそうです。
まさに経済成長から取り残された離島の構図で、島民が羽田直行便を悲願としたのもその故でしょう。
一方この時期の屋久島はただ受動的に取り残されるばかりではなく、はるかに時代の先を行く発想で、あえて開発を拒むいくつもの選択を主体的に行っていたのです。このことについては後に触れたいと思います。
(2)上昇期(1989年~2007年)
1990年代初頭のバブル崩壊により安定成長にも終わりを告げ、失われた30年と呼ばれる低成長時代に突入します。この暗くて長いトンネルを抜け出す気配は、今もまだありません。
一方屋久島は89年の高速船就航により入込客数が増加し始め、93年の世界自然遺産登録で一段とはずみをつけると2000年代はほぼ30万人台で推移。
07年には40万人超えのピークに達しました。
04年には高速船別会社も新規参入、二社ともに増便につぐ増便で大量の乗降客を競って運んでいたのです。
この時期の屋久島観光には、停滞する経済にもめげず阪神大震災にも影響されない勢いがありました。
一周遅れでようやくときが巡り来たのか、その勢いはぐいぐいと伸びていくグラフそのままです。
(3)下降期(2008年~)
経済成長率グラフ(図3)を見ると、08年リーマンショックと19、20年コロナショックの谷の深さが目をひきます。
バブル崩壊時の落ち込みも大きいですが、前年までが高かっただけにマイナス成長といってもほんの僅かです。
この間の経済成長率は年ごとの上下動はあっても上昇の兆しは一向に見えません。
日本の総人口も09年から減少に転じて今や人口減少時代(図2)。屋久島もまた「町の存続に関わる」ほどの人口急減に直面しています。(#10)
07年まで登り調子だった屋久島の入込客数も翌年から一転して減少し始め、リーマンショックによる金融破綻の影響が広がった09年にはさらに激減しました。
その後も停滞する経済情勢そのままにずるずると下げ続け、11年の東北大震災後は避難者、移住者が相当数入ってきたのにそれでも減少しています。
しのぎを削って輸送力を増強してきた高速船2社も、この頃両社ともに経営危機に陥って、12年には統合、減便に至りました。
離島割引効果があったのも導入初年度だけで翌年からは再度の減少。
コロナ禍はさらに減少著しく、20年にはピーク時のなんと3割にまで下落してしまいました。
コロナ禍による減少分はいずれ回復するでしょうが、そこから先はどうなるのか。
グラフを眺めながらつくづく思ったのは、人口動態や経済情勢が良くてこその観光という面があり、屋久島のみならず日本の観光はますます厳しさを増すのではということです。
新たなパンデミックや世界経済の悪化等の可能性もある以上、インバウンド頼みも度が過ぎれば危ういし、今こそ切実に、従来型にとらわれない根本的な発想の転換が求められている気がします。
ともかくも今回改めて、屋久島の観光客の減少も時代の趨勢と切り離せないことがよくわかりました。パンフといえども観光による経済効果を気安く謳えなかったのは、至極当然といえるでしょう。
羽田直行便が観光復活の起爆剤に・・?
それでも羽田直行便の新規就航自体が、観光復活の起爆剤にならないのでしょうか。別のグラフで考えてみます。
図4のグラフで2009年は伊丹直行便、2011年は福岡直行便が新規就航した年です。グラフ実線は入込客数のうちの飛行機利用者数ですが、09年は前年よりも減少し、11年も微増にとどまっています。
点線の入込客数(船+飛行機)も、両年ともに前の年より減少しており、特に09年の減少率が大きいです。この年は新種子島空港でもジェット機の運航が停止になるなど、リーマンショックによる金融破綻の影響が社会に波及した年です。11年も東北大震災の発災年にあたります。
というわけで、新規就航の微々たる効果はあったかもしれないが、社会的経済的な影響にかき消されてしまったと考えるべきでしょう。
新規就航による観光客数の激増は期待できそうにありません。
船と客の取り合いをしてもしょうがない
上のグラフで実線と点線の差を埋めるのが船舶です。いつの時代も船の方が大勢を運んでいますが、パンフは船舶も含む4つの経路を比較して、大部分の乗降客が羽田直行便を利用することがわかったそうです。
船からの大量乗り換えを期待したようですがそんなことにはならないし、なったとしてもそれで実線グラフが上昇するわけではありません。船と飛行機の取り合いにすぎないからです。
乗降客が直行便に移れば鹿児島便が減るのも同じ話で、今度は実線の内側での取り合いにすぎません。
問題はいかに実線を伸ばすかであり、直行便の新規就航だけでは到底その役にたたないばかりか、下手すれば直行便と鹿児島便の共倒れにもつながりかねません。
船も飛行機もあってこその離島交通
町民にとっては飛行機の減便も困りますが、既にコロナ以後は船舶乗降客の減少著しく、これ以上船便が細っていくのは死活問題です。
欠航状況を長年観察してきたある町民が欠航率の低さランキングをブログで発表していましたが、1位高速船、2位飛行機、3位フェリーだそうです。
波や風や視界不良と欠航要因もそれぞれ違うし季節的な影響もあるので、離島にとっては特に、空と海との多様な交通手段の確保が大切です。
全く同じことが観光客にもいえるのです。天候不良と欠航で行くにも帰るにも難儀した話、急遽交通手段を切り替えて辛くも難を逃れた話、判断遅れで延泊を余儀なくされた話などが、たくさんのブログ記事になっています
秀逸だったのが出発前から台風が接近していたので、鹿児島に着いたら天候次第で急遽屋久島行きを中止し、九州本土の観光に切り替える作戦です。 みすみす屋久島の宿に籠るくらいなら、行先を変えてでもせっかくの休暇を楽しみたい。これが観光客の心理だと思います。
直行便ではこういう芸当ができないし、一日一便だと欠航率も高くなりがちです。
発着時間の選択肢もないので、早く着いて初日もしっかり観光したいとか、最終日もぎりぎりめいっぱい遊んで帰りたい等の個々のニーズに対応しきれません。
ビジネス客なら高くても速ければよしとしても、観光客は一概にそうとばかりは言い切れず、屋久島においては前者より後者が圧倒的多数です。
船も最盛期よりは大幅に減便して何かと欠航も多い昨今、私たち町民もジェット機の就航以前に、最も身近な船の便をしっかり守りたいものです。
パンフが観光による経済効果を謳えなかった理由を考察していたら、期せずして観光問題、交通問題の本質がほの見えてきたような気がします。
これを今回の結論として、次回はこれまでの中間まとめを行います。
記事まとめ
【屋久島空港問題 ♯0】 「屋久島空港の滑走路延伸計画」は2,000 m滑走路の必要性を捏造している ~その首謀者と目的は?~
【屋久島空港問題 ♯1】 2,000 m滑走路の目的は、屋久島‐羽田間のジェット機就航。1,500m滑走路でジェット機就航中の空港もあるのに。
【屋久島空港問題♯2】 1,500m、1,800mでもジェット機が飛ぶなら、2,000m滑走路の必要性はない
【屋久島空港問題♯3】 鹿児島県の態度急変と同期する2,000m滑走路。因果関係があるのでは?
【屋久島空港問題 ♯4】 情報隠しとウソとごまかしのパンフ
【屋久島空港問題 ♯5】 「新規事業採択時評価」と評価の基準
【屋久島空港問題 ♯6】 需要予測なんかしないで出した “偽りの需要予測” 14万人
【屋久島空港問題 ♯7】 14万人よりかけ離れて少ない実績値(関東からの鹿児島便乗降客数)
【屋久島空港問題 ♯8】 羽田直行便就航後は軒並み採算ライン割れ それでも就航する航空会社は?
【屋久島空港問題 ♯9】 関東方面からの旅費低減と時間短縮で、223億5千万円の経済効果?!
【屋久島空港問題 ♯10】 屋久島町の急激な人口減少
【屋久島空港問題 ♯11】 深刻な観光客の減少トレンド(←現在の記事)