7,DVから逃れる自分なりの手段

女優になったと思えば、夫の前だけは何でも従う女性で、夫がいない時は巣の自分として過ごした。これがDVから少しでも逃れる私なりの手段だった。もちろん二面性を使い分けるのは楽ではなかった。どうしても納得いかない事や、非常識なことを強要してくる時には心がどうしても動かない時だってあった。そんな時は世間でよくある友達に愚痴るとか、知り合った支援団体の人に悩みを打ち明けたりもした。持つべきものは友人だと思った。そして支援団体の人も、とても心に寄り添ってくださる人で、苦しくて辛くて涙した時に何度も支えられた。「ゆりこさん、辛いね。でも、絶対ゆりこさんは悪くないからね。子供さんの笑顔が一番だからね…。」と、何度と励まされた。夫が医者であることが時には幸いするのが、当直や学会で1日2日不在である事。定期的にある不在の日が唯一解放される瞬間だった。そんな自分に少し慣れてきた時に、自分で自分自身の性格が腐っていっているようにも感じた。二面性で自分を演じて、心にもないことを言ったり笑ったり、つくろっている自分は嫌いだった。でも、夫が怒鳴りださない為の手段。子供がもう少し大きくなれば…自分の定職を持てば、必ず自分の力で子供は育てていくのだと。子供の笑顔さえみれたら、計画的に忍耐して自分の形を築いていくのだと日常を過ごしていった。意外と、自分は女優なんだと思い込ませ、夫の機嫌取りながら暮らすと子供が小さいうちは暴力は一時的に少し減っていた。

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