この瞬間のわたし
生まれては消える感情に気づいてあげる。
そんなことを最近できるようになりました。
私はいつも他人から奪って自分を作ろうとしていた。
誰も私に話しかけないとか、
私に興味持ってくれないとか、
相手されないとか、
話しかけてもつまんなさそうにされてるとか、
誰も評価してくれないとか、
自分のことどう思っているのか気になるとか、
自分を認めてほしいとか、
文字にすると、とても自分よがりだとわかることだけど、
言語化されない自分の中では、なんのためらいもなく
当たり前のようにやっていた。
人の目が気になってしょうがない。
常に自分を気にかけてほしい。
他人によって自分の存在を認識しようとしていた。
自分で自分を認められないと、ずっと他人軸で生きていくことになる。
誰かへの依存無しでは生きられない。
私はずっとそんな体質であったな。
ああ、話しかけられないなあ。
と心が言っていた。
私はそれに気づいて、そんな風に思ったんだね、て理解してあげた。
なんでそんなこと思っちゃうのかなあ、て。
ああ、単純作業ばかりして集中がきれちゃったのかもなあ、とか
話したい気分なのかなあとか、
なんかそんな風に思えたら、なんかうれしくなった。
私も自分の感情に気づいてあげれたんだなあ、て。
日々色んなことを感じては、
気づかなかったり、気づいてても知らないふりしたり、
その瞬間瞬間はあっという間に過ぎ去ってしまう。
忙殺されてるとそんなのにかまってられないのかもしれない。
でも、自分を大事にしてあげてないと、人も大事にできない。
人生は修行だ。
まだ人に乞う自分がいるなあと感じる。
それに対してダメだとか自分を責めたり悲観することじゃない。
ただ、なむなむ、と思うだけ。
まだ未熟だなあと思えばいいだけ。
いいもわるいもない。
自分が幸せでいればいい。
幸せを感じていれば自然と人はよってくる。
なんかいいなといってくる。
自分がいいと思うことを、やっていけばいいんだ。
不幸そうにしてる人に誰も近づいてはこない。
私もいかないだろう。
私も楽しそうな人のそばにいたい。
そう思う人に自分がなればいいだけ。
近づいていけばいいだけ。
できるはずだ。
自分がいやだな、て思うことを頑張ってやらなければいいんだ。
今までの、相手に知ってほしいと
私はこんなにつらいんです、てよくわからない悲観的な部分とかなくしていけばいい。
本当に辛い人は人には悟られないようにするものだ。
慣れ親しんだものをやるのは楽だから、気をぬいたらすぐ落ちてしまう。
だから、がんばってやらないようにする。
意識してやらないようにする。
うん、気づけている。