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うつむくのをやめてみる

今日はわりと気分が落ち込まなかった。

前は、すきあらば気持ちが沈んでいた。なんとなく、て感じで。
誰かのちょっとした仕草や言葉で、無駄に気にして、気になって、勝手に落ち込んでた。まるで義務のように。
なんかつらいなーと自ら負のオーラを纏うようになってた。
それが楽だといつから勘違いするようになったんだろう。

一度殻に入るとずるずると中へ中へ落ちていく。
ほっとくと、というか日常的になりもはや気づかなくなっているのだろう。
上がるにはエネルギーがいるレベルまで落ちていくのに。

でも今日は意識的に気持ちを落とさないようにした。
なんか落ちそうになっても、気にしない、てどうってことない、て思うようになった。
なんか心が軽くなった。
自分から声をかけれるようになった。
しかも、普通のトーンで。無理してる感じの無いトーンで。

話すトーンて、私の中で結構気合がいった。
気軽に話す相手とかはいいんだけど、ちょっとだまってて急に話すときとか、結構浮ついてしまう。気分が落ちてて、しゃべるのを放棄してたときに話そうとすると泣きそうになる。(実はちょっと泣いてる)言葉もうまく出ない。何話していいかわかんなくなる。
いや、ホント書いてて意味分かんないけど、その時の自分は一大事件だったりするのよ。世界が狭すぎるんだろうね。見えてるものが狭すぎる。ど近眼なのかな。

でも今日はちがったの。
私、なんでもないじゃん!て思ったよ。
とても一生懸命がんばってた私へ。なんともなかったよ!何やってたんだろう、なんては思わないよ。その時の私はそれがすべてだったんだから。
ただ、思い込んでる気持ちを少し軽くしようよ、て教えてあげたい。
軽い気持ちでいるのが大事だよ、て。
けっこうみんな力抜いてるよ。
自分を中心にして、主にして話してるよ。
でも、とても普通だよ。

私が気にしてることって一体どこからの目線で見ているのかな?
本当に相手のことを思って気にかけてあげてる?
自分をよくみせたり、守ろうとしているんじゃない?
バカにされないように必死で自分を隠そうとしてるんじゃない?

結局自分可愛さだったんだよ。
無知を知ることも大事なことなのに見ようとしなかった。
そういえば、子供の頃スケートしたときに、尻もちついたほうがうまくなるんだよ、て言われたのに私は必死で滑らないように死守してたな。
ガッチガチに力んでて、転けそうになったらすぐに手すりにしがみついてた。お尻を地面につけることに抵抗し続けた。
滑るのは恥と捉えてたのかなあ。
滑ったら痛みを伴いそうで嫌だったのかなあ。

今となっては何感じてたかわかんないけど、転けないように必死だったことだけは覚えている。

いっときの恥だけを気にして、なんでそうなったのか、どうしたら次はうまくいくかという考察をやってこなかった。
〜なったらどうしよう、〜なるかもしれないからこうしたほうがいいかなあ
とかありもしないことでよく悩む。
実際起こってないんだから気にしてもしょうがないのに。
それよりも、本当はどうなるのかやってみるほうがすぐにわかるのに。

まずは動け

頭でばかり考えて、ずっと同じところをぐるぐる
頭で考えるとろくなことない。なんの糸口も思いつかない。負のリープにおちいる。止める人なんて誰もいないからね、自分以外は。

答えのないことをずっと頭の中においていつでも引き出している
一体何をためこんでるのかはっきりしないけど、でももってる。
言葉にできないもやもやのものたち。
消化してしまえばいいのに、いつまでも大事に持っておいて、気分が乗らない日は引っ張り出して愛でてる。
すきだね。
そんなことしててもそいつは愛を返してくれるわけでもないのに。
なんの成長にもならないそいつといることが自分を守れる手段だと思いこんでた。

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