俯瞰してみる
会話をしていて自分に話がふられないと、
自分に興味がないんだろうなと思ってその舞台から降りてしまっていた。
なんで私に興味ないんだろうとか
何話せばいいんだろうとか
そんなことばかり考えていた。
勝手にふさぎ込んで勝手に落ち込んでいた。
そこにいようがいまいがどうでもよかったな、て。
そんな思考に至るのはいつも自分だった。
まったくもってどうでもいい話だ。
仮に私に興味がなくても、私がその場にいたいと思えばそれでいい話だ。
そのことに気づくのにとてもとても時間がかかった。
たしかに誰にでも興味をもたれて、誰にでも好かれたほうがいい。
でも、そう思われるほど自分に魅力があるのか?
といつも自分で自分を疑っている人から魅力が溢れ出ることなんてない。
自分を高めることをやっている自負をもっていない。
そんな気持ちのまま人から何かをもらおうと必死である。
自分から人に与えることはできていないのに。
自分には何ができるか
相手に何ができるか
そのことを考え抜くほうが先につながる。
私はすぐ心がおれる。
思考をめぐらせても、エネルギーがなくなり、すぐに悲観的な方へ流されていく。
論点がどこか、何を解決するのか、
行き着く前にエネルギー不足となる。
自分の状態を把握できてないんだな。
だから急降下で落ちていっているのに軌道修正できないでいた。
ずっとやり続けていたせいでいつもの沼にはまりにいってるのに慣れてしまっていた。そして思考停止に陥る。そして自己嫌悪。いつからかのルーティン。。
自己否定ばかりする人は自己肯定感を満たすといいと言われた。
どんなことでも、自分で自分を褒める。
いただきますがきちんと言えたからはじまり、
〇〇をやった、などなど
どんなことでも自分を褒める。
誰かに褒めてもらおうとか思うから気持ちが落ち込む。(なにかやって相手に期待しちゃうから)
他人承認ではなく自己承認。
それも大事だ。
結局自分の状況に気づくことが前提だ。
あ、これやったな、て。
褒めることより
その時その時に何をやって、何を感じたかを気づくことで、
よくできた!と感じられる。
だから気づくこと。
俯瞰できると色んなことがわかる気がする。
自分の感情と切り離して、
事実と自分のフィルターを通してみた現実を確認できる。
その後にそのときの自分の気持に気づく。
その行動をクセづけていけば今までと違った思考ができるかもしれない。