私の血となり肉となる
成功者の話は、その人がやってみた結果の話であって、
自分がやらないうちは何も意味もないと思った。
自分が何者でもないときは誰かの言葉を鵜呑みしたくなる。
私という存在が今まで生きてきただけで、何者かではあるのに、
何かの型にはまってないと、肩書がないと、私であると証明できないと思いこんでしまっている。
だから、自分にはなにもないと思ってしまう。
そんなときは成功者の、誰かの、言葉を自分の言葉と思い込んでしまいたくなる。
自分で考えることを放棄して、誰かの人生を自分の人生とすり替えようとしてしまう。
でも、自分のことではないからどこかで辻褄があわなくなってしまう。
臓器移植と同じだ。
自分自身以外のものが体内に入ると、異物と思って拒否反応を起こす。中には適合するのもあるかもしれないけど、自分の中に入るというのはとても大変なことなんだ。
ただただ何かをインプットすることで自分を保とうとしていた。
もはやインプットできていたかもわからない。
ただ情報を、有益そうな情報を目で追うことで何かを得ていると思いたかったのかもしれない。
でも、実際には何も得られていない。
得ているような錯覚をしていただけだった。
結局アウトプットしなきゃなんの身にもなってない。
人にはなしたり、自分で実践しないうちは自分のものにはならない。
成功者の話は、その人に合ったことを、結果論として話している。
やってるときは手探りだ。いいと思ってやってても、だめなこともある。
結局、終わってみないと何もわからない。
確かに、自分がゼロからやるよりも先人の話を先に聞いていたほうがスタートを切りやすというのはある。ベースがあるおかげで、より良いアイデアがだせることもある。
基本をわかって、自分は何はできるかを考え超えていくことをやっていなかきゃいけない。
自分が主体となって、やることで、本当に自分にあっているかがわかってくる。たとえ成功者の人が言ったことでも、自分に合わなければ、有益でもなんでもない。
正しい正しくないという基準ではなく、合ってるかどうかの違いだ。
それが判断できるのも、実際にやってみたからできること。
自分でやってみて、考えてみて自分に合うと感じない限り、
中には入ってこない。
そうすれば、血なり肉となって、自分の一部となるんだ。