悲劇のヒロインやりたがり
人との集まりで急に怖気付く。
何を話したらいいだろうかと考えて、言葉がでない。
私と話したがっていないと感じて話せない。
だけど、結局は私が話そうとしていなかった。
自分から相手に興味をもって、話そうとしていなかった。
いつもどっかで相手のせいにしてしまっている。
相手からどう思われるだろう、と余計な心配ばかりして、自分から動こうとしなかった。
そして、その心配も気にしすぎ。相手はそこまで感じてもいないだろう。
自分に興味がある相手としか話そうとしていないのは、私ではないか。
それをいつまでも認めず、誰からも話しかけられないとか、いつまでも悲劇のヒロインのままでいる。
私はいつも自分が優位に立ちたいと思っている。
けど、それをできるほど自信がない。
自分を肯定できてないから、興味を持たれないんじゃないかと怖気づく。
会話して自分の薄っぺらさとか何も考えてないとか何も知らないとかたくさんボロが出て一気に興味を失わられたらどうしよう。
ああ、私は目の前の相手よりも、自分のことしかいつも考えてなかったんだな。
目の前の人が何に興味をもって、何を話してて、どんなことを考えてるかなんて真剣に向き合ってなかったんだな。
かといって、自分のことにも真剣に向き合ってなかった。
今の、自分より、地に足ついてない自分のようなものに対してたくさんのエネルギーを注いでいたんだな。
ありもしないことに、ああでもない、こーでもないって考え巡らせて、今を楽しんでなかった。
話しかけられると思ってたのに。
必要とされると思ってたのに。
言い寄ってこられると、迎え入れられると思ってたのに。
自分に興味を持たれると思ってたのに。
全部受け身の妄想と現実のできごとがイコールじゃないことに気持ちがおちこんでしまう。
でも、たくさん話しかけられても話が続かなかったらどうしようとも思っている。
いつまでも、今を生きられていない。
ふと、こんなことを書きなぐっている自分を幽体離脱したかのように俯瞰して眺めてみる。
なんとも滑稽なのだろう。
自分の思い込みで悶々とし、話してもいないことで悩み、相手から何も言われてもいないのに落ち込んでいる。
まさに悲劇だ。