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七つの大罪

まぁ、貴方の頭の中ではそういう事にしておきたいんでしょうね。

お気持ちは分かりますよ。


モネ 睡蓮のとき より

私の何が分かる。
一体何が分かると言うのか。
こんな場所までやって来て言われた言葉がこれなのか。

上記の言葉は一見すると、私に寄り添っている様で実は私という人間を全く持って慮っていない。
いわゆるフィルターがかかっているのだ。
これは誰しもが陥りがちな言葉の表現だ。
私自身も同様である。

私の様な女性だったら許してくれる、
まず怒らない、大人しそうだし、控えめそう。

しかしながらそうではない。

私は一見すると大人しそうな容姿をしている為、気が弱そう、意思が弱そう、自己主張も出来なさそうと思われがちだ。
だが実情は違う。
私は特に大人しくもなく、気が弱くも意志が弱くもなく、必要だと判断すれば、自己主張も控えめながらもしっかりする。
私はそういう女性、いや人間です。

貴方達が今お話しているのは、AIでもロボットでもなく、人の心つまりは感情を持った1人の人間。
それを踏まえて私を見て。

あの日見たお花

私という人間は恐らくは非常に高い可能性で、多くの人々の記憶からはそんなに遠くない将来消え去ってしまうのでしょう。
飛び抜けた能力の持ち主という訳でもなく、秀でた何かを持っている訳でもありません。

けれど一生懸命に日々を生きているんです。
足掻いているの。
それを奪う権利等、世界中の誰にもないはず。

私は決して可哀想ではありません。
私を普通の女性として扱って欲しい。

自分の不幸を売り物にするな。
己の身分と立場を弁え、自分自身にもっと誇りを持て。

あの日のモネ展

情け無くなんてないの。
個人的には許せないわ。
貴方はもっと怒るべきなのよ。
それでいいの?

でもこの瞬間は本当にそう思ったんです。

個人情報というのは案外、その人自身の人間性に委ねられている現代社会。
こんなにも個人情報の取り扱いに厳しいと言うのにだ。
何故だ。

私はまさにこの時この瞬間、自分の心の中で何かが壊れる音を確かに聴いた。
私は文字通り膝から崩れ落ち、人目も憚らず号泣した。 

星空image画像

あれはいつ頃だっただろうか?
季節は夏を迎えようとしていた気がする。

〜七つの大罪とは〜

七つの大罪は、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作に八つの「枢要罪」として現れたのが起源である。キリスト教の正典の中で七つの大罪について直接に言及されてはいない。

八つの枢要罪は厳しさの順序によると「暴食」「色欲」「強欲」「憂鬱」「憤怒」「虚飾」「怠惰」「傲慢」で。6世紀後半には、グレゴリウス1世により、八つから現在の七つに改正され、順序も現在の順序に仕上げられた。「虚飾」は「傲慢」に含まれ、「憂鬱」は「怠惰」に含まれ、「嫉妬」が追加された。

13世紀のトマス・アクィナスも、その著作の中で、キリスト教徒の七つの枢要徳と対比する形で七つの「枢要罪」をあげている。現代のカトリック教会のカテキズムでは、七つの罪源について、ヨハネス・カッシアヌスやグレゴリウス1世以来伝統的に罪の源とみなされてきたものとして簡潔に言及されている。
(ピクシブ百科辞典より引用)

いつかの渋谷

人混みや喧騒の中にいるとふと思う。
私は一体何者なのか?と。
何処から来て何処へ向かう?
自分で自分がわからなくなる。

ふと周りを見渡せば、自分以外は皆きちんとしっかりやっているように"見える"。
この点が重要だ。
私もしっかりやって"見えれば"いいのだ。
ようやく安心したのか私はやっと帰路につく。

いつか見たお花

                   yurika

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