保育士になったきっかけ①

ちいさいころの夢ってなんでしたか?

わたしは、保育園の卒園文集にはベタに
「おはなやさん」
きっと、単純になんかかわいかったから(笑)

小学生のときは、モー娘。の全盛期だったことや
J-POPの魅力にハマっていたころで、卒業アルバムには
「音楽関係の仕事についてたらいいな」というざっくりとした夢。

中学のときは、学校に行けなくなったことをきっかけに
思春期ならではのぐるぐるとしたもどかしさも味わったし、
それは心理学やカウンセラーという学問で救われることもあるって
気づいて、「心理関係の勉強がしたい」「保健室の先生になりたい」っていうのが夢。
「保育士」になりたいっていうのは、もうすこし後のこと。

赤ちゃんや子どもが前から好きで、可愛くて。
自分の弟や妹欲しかったなっていうあこがれたこともあってだと思う。
あとは中学生の頃、定期的に自分とおなじきこえない子どもたちに
会う機会が多くあって、そこで子どもたちの持つ世界が、見ている世界が
こんなにも不思議で楽しくて、すごいなあって思ってた。

そのあと、中学2年生のときに行った保育士体験が、一番のきっかけ。
自分の卒園した保育園に1日だけ、保育士体験する日で、
もともとは3歳児に入る予定だったのに、当日急に中学生の休みがでて
2歳児クラスに誰か変わってくれないかとの提案に、「いきます」って
言ってた。あの頃は、かなりの引っ込み思案だったからなんで自分が
そう言えたのかもわかんない。

だけど、2歳児クラスに入って驚いたのは、ある女の子に対して
手話を使っていた先生がいたこと。2歳児クラスには、ろうの子が
いたのだ。その子は、ひとりでパズルで遊んでた。友達と関わるというより
ひとり自分の好きな遊びを楽しんでいる感じ。(2歳児だとまだまだ自分の世界で遊ぶことが好きな子も多いのでそこまで違和感はなかったけど。)
ただ、何かをするときは周りを見てワンテンポちょっと遅かったり、
お昼寝から起きるとき、先生の声や周りのざわつきで、次々にみんなが目を覚ます中、音に気付かない彼女は気持ちよさそうにぐーすか寝てたり(笑)
”ああ、本当にろうの子だ”って実感してた。

夕方もやっぱり「はたらくくるま」のパズルで遊んでて、


”ねぇねぇ、これ、「救急車」、「消防車」”って、手話で表すと、
その子の顔がぱぁぁぁっと明るくなった。

”きゅうきゅうしゃ!” ”あか、しょうぼうしゃ!”

って、かわいい小さな手も元気にはなしだす。
びっくりした。こんなに明るく笑う子なんだなって。
のちに聞いたら、彼女もデフファミリーで、手話で育っている子だった。
保育園で、手話が通じてすごくうれしい!っていった感じだった。

そのとき、ああもしかしたらこのように保育園に通う、
聞こえない子の思いを理解したり、支援をしたりするのって
私だからできることであるんじゃないかなって思った。

私も0歳から保育園に通ってて、もしかして端からみたら同じように
見えていたかもしれないし、聞こえない夫婦の子どもが保育園に通うことも
たくさんあるだろうし、そのとき手話で話せたらなにより心強い。
私も、手話で子どもの可愛さや日々の成長、子どもの成長の悩み、
楽しさいろんなことをはなしたい!っておもった。

これが、きっかけで「保育士になろうかな」っていう思いが
出てきたのと、現実味を帯びてきた。

高校のときもまだ、「心理関係か保健室の先生になるか」「保育士になるか」で進路を迷っていたけど、相談した周りのひとは「保育士の方が、ゆりには似合いそう」って言ってくれて、目標はきまった。

これが、保育士になりたいと思ったきっかけのひとつ。

不思議なもので、あの時保育園であったろう児の子とは、
その子が小学生になったときに再会して、すこしの間家庭教師とかもしてて
いい意味でも、ろうの世界は縁が繋がりやすいのでうれしい再会になりました^^

今日はここまで。ありがとう。

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