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風の時代に飛翔した話。~宝塚大劇場で夢の!ちなつさん(鳳月杏さん)トップお披露目公演を観てきました 03~
さて、本題です。
ショー「PHOENIX RISING」を見終わった瞬間から、3週間、いまだに心ここにあらず。観劇から毎日、PHOENIX RISINGが頭をめぐり、起きて考え、ふとした隙間時間に考え、寝て考え、つまり焼き尽くされている。
PHOENIX RISINGを思うとき、楽しさ、感動や嬉しさで心が満たされ、このショーが上演されている瞬間に生きて日本にいて、観劇に通える状態である幸運を心からかみしめている。ちなつさんがトップになったこのときに、それを観れる環境にあることを本当にうれしく思う。
そして意外なことに、徐々に、悲しいという気持ちが日に日に大きくなった。自分のなかで消化できないほどになった。後述する。
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風の時代に飛翔するフェニックス、とは
ショータイトルが発表になったときは「す…スペクタクル…」「うーん、大丈夫かな」と正直心配になった。野口先生が張り切り過ぎて、大変なことになったらどうしようと思った。
風の時代に飛翔するフェニックス、で始まるショーの説明に不安を覚えつつ、風の時代って誰が決めた時代なんだろうと調べたりしていた。
ピンとこないまま、プロマイドが発表になった。あ、こっちの路線ね!おっ、オッケーオッケー、あ~よかった!こういうかんじならオッケーオッケー!いいじゃん、いいじゃん?いいじゃん!!!!!と、心配は180度回転して歓喜に変わった。10000%かっこいいんだった、ちなつさん。
「れいこさんなら着ない衣装」
前述のとおり、私は2日目の観劇が3列目だった。3列目ともなると、近くにいるお客さんはみんな至上の幸運獲得者であり、それを自覚していて、つまり、ハラハラソワソワ、心あらずで座席に座ったりポンポンをいじったりしている。興奮で、連れがいる場合、会話の声が大きくなったりもする。
ショーが始まる前に、前の列の人のお話が聞こえた。
「月組じゃないみたいで本当に」
「れいこさんなら、絶対に着ない衣装ばっかり」
「びっくりする」
あ、いやだな、聞きたくないな。と思っていたら、「…いいのよねえ…」と腹の底から出るようなのろけ声に変った。お隣の方も「そう、本当に、びっくりするくらい、すごくいい…」
見終えてから今日にいたるまで、この方たちの声がずっと心にある。
本当に月組じゃないみたいなショーだった。びっくりした。でも、それがとてもよかった。今までの月組のショーもノーブルで情緒的で偏差値が高くて上品で、とても好きだった。でもまた、違う良さを「どうですか!!!!!」と真正面から両手でずいっと差し出されたかんじ。想定していなかった絢爛豪華なフルコースは、滋養もたっぷりでかーーっと体が熱くなって、免疫力が上がって初期症状の風邪コロナインフルりんご病このあたりは駆逐され、体温は上がり、見た人は誰もが寿命をもれなく最低5年は延ばした。そんなショーだった。確かに、今までの月組ではちょっと考えられないショーだった。
このポテンシャルを想像できなかった。
私は、誰かを褒めることが、つまり誰かを下に置く表現と捉えられるのが怖くて、文章で今の月組の良さをしっかり書くことが、怖かった部分がある。
どの時代もその時代のすばらしさがあって、その時代にしか感じられなかった感情があって、人生の活力を得た。ただ今回のは、そういった延長線上にない、驚きと感動と、畏怖と、命のすばらしさ、今を生きる大切さ、楽しむすばらしさが詰まったショーだった。私はこんなショーを知らない。配信含めてたった3回しか見ていないけれど、言葉にできない素晴らしさが詰まっていた。何度も何度も脳内再生している。
たぶんずっと、自分の目で見れたことを嬉しく思う。
ちなつさんの、命の煌めき
ちなつさんの命の煌めきを見た pic.twitter.com/KhIX4ztC4m
— ゆりふる (@yuri__full) December 4, 2024
これに尽きる。人の歌声の豊かさ、踊る姿の美しさ、表情の気高さ、人を元気にしてくれる尊さ、体力、表現の驚き、ここまでやってくれるのかという感動、ちなつさんが持つパワーとこれまでの蓄積がリミッターを外して溢れていて、圧倒された。
私は博多座の川霧の橋/Dream Chaserを観劇後、ちなつさんにお手紙を書いたことがある。宝塚と東京ではれいこさんが歌っていた「Hymn of life」、博多座ではちなつさんが歌っていたのだが、もう鳥肌が立つくらいすごくて… スケールがすごかった。本当に生命の賛歌というかんじで、慈愛と許しと希望と悲しみと、いろんなものが詰まっていて。博多座という劇場にちなつさんの歌声がびんびんに響いて、神々しくて泣いて泣いて、どうしようもなかった。
ずっとかなめさん(涼風真世さん/元月組トップスター)の歌声が絶対的に一番で、これを超える人はいないだろうと固く信じてきた(ある意味さみしい思いをしてきた)けれど、ちなつさんの博多座の賛歌は本当に素晴らしかった、と手紙を書いた。
PHOENIX RISINGも、それに近いものがあるなと思う。スケールが大きい歌詞がしっくりくるのは、人としての厚みなのか、鍛錬の日々の長さなのか、長さだけじゃない密度、濃さの問題なのか。この壮大なショーのテーマ、下手すれば上滑りしてしまうところ、どのシーンも壮大で豊かで、本当に素晴らしいなと思う。
もちろんちなつさんだけじゃなく
お芝居と打って変わって、ショーはちなつさんを、新トップスターを中心に据えて、出ずっぱり、歌いっぱなし、ゴンドラもやるし背負う羽根の種類は多数、お衣装は絢爛豪華、トップお披露目にふさわしいど真ん中だった。
もちろんちなつさんだけじゃなく、月組、本当に良い。
(注意 ここからさらに気持ち悪くなります)
アジア各国をフェニックスが飛来するこのショー、よくある(失礼)せかせかとしたお国めぐり的な要素は本当になくて、場面場面の完成度、満足度が高い。ああ、こんな良い構成ができるんだな、令和の宝塚っていう感じがしていいな、と本当に思う。
トップコンビふたりの「これから」感は初々しく、大人っぽい雰囲気なのにどことなくあどけなさもあって、本当に新鮮。目鼻立ちが華やかなじゅりちゃんは、ちなつさんの端正な美貌と並ぶと、これまでになかった魅力を放つ。そのなかに、ご本人も言っていた「まさかちなつさんの相手役をさせていただけるとは」の成分を感じる。選ばれた喜び、巡り合えた嬉しさ、尊敬して従う高揚、そんなものが透けて見えて、非常に良い。うるんだとろけそうな目でひたとちなつさんを見つめているのを見ると、腿を叩いて「100点!」と叫びたくなる。
特にデュエットダンスは音楽の壮大さ、振付の斬新さ、二人の羽根を動かすようなしぐさも相まって、神秘的で似たものがない。鳳月杏をフェニックスになぞらえ…と説明があったと思うが、ここでは二人がフェニックスであり、雌雄であり、滑らかに一体化していてとてもお披露目とは思えない出来栄え。
あと、デュエダンでお顔がぴたっとなるところ、二人が重なって不死鳥が生まれるような?神秘的でセクシーでなんとも言えない振り付け。すべての始まり、という感じがしました。
— ゆりふる (@yuri__full) November 18, 2024
ちなつさんの頬が重なる瞬間に天紫珠李ちゃんが幸せそうにほわーんという顔をするのを見て思わず爆発しました。
じゅりちゃんの運動神経の良さもあるだろうが、なめらかにリフトに乗って、かなり高い位置でかなり回転し、流れるように着地して、動きが途切れることなくダンスが続く。この二人にしかできない技とセンスが詰まっている。ちなつさんの体幹と体力はどうなっているのか。あんなに細いのにどうトレーニングをしているのか。人体の神秘だ。できるだけ多くの人に見てほしい。
オダチン・カーンにも驚く。もっと分かりやすい、笑いのシーンにすることだってできたのだ。先生もそれを想定していたのではないのか。それでもそうしない、その上を行く高レベルな面白さ。声を出して手を叩いて笑うような面白さというよりも、じわじわ感じて、気づかれないように体を震わせるような可笑しみ。このシーンの面白さは奥深くて、見た後で遅延性の毒のように体にまわり、時間差で思い出して、ひとり電車内で噴き出したりする。非常にハイレベルで危険なシーンだ。
オダチンカーン、当初野口先生が「着替えであたふたしてるのを敢えて見せてもいい。かつらがずれていても面白いかも」とか言ってたのに、そんな分かりやすい面白さに乗らず、きっちり間に合って出てきて完璧に仕上げてくるところがいかにも月組。とどめは組長のニャー。組長に何をさせてるのかと🤣
— ゆりふる (@yuri__full) December 11, 2024
ショーの絢爛豪華さ、美しさ、という点では「韓国」の月あかりの恋歌のシーンを挙げたい。
韓国のシーン本当に本当に美しくて大好き!歌もぱるりりも、セットも、何よりも娘役さんたちの美しい群舞が素晴らしすぎる。鏡を使った演出で200人くらい踊ってるように見えるのも好き。
— ゆりふる (@yuri__full) December 25, 2024
鏡を使った舞台演出と、羽根扇を効果的に使ったフォーメーション、白河りりちゃんの胡弓のような美しい歌声、そして礼華はるくんの度肝を抜く立ち姿の美しさで、絵として切り取りたい、ずっと見ていたい、切ないくらいの美しさと儚さだ。この美しさが永遠でないことが、(つまりショーが終わってしまうことが)とても悲しい。冒頭で書いた悲しさの原因のひとつはこのシーンにある。
「上海」のシーンも挙げたい。舞台の構成、衣装、音楽、小道具(礼華はるくんのステッキ、ちなつさんの煙管)、理解して咀嚼するのに時間がかかる3人の関係性、ダンス、怪しさ、…best scene of the year 的なものがあったら、獲ると思う。
メモ)上海のシーン、礼華はるくん、ちなつさんに顎クイされてキス未満の状態でじゅりちゃんトゥーランドットが登場したとき、ポカーンと放心してちなつさんを見つめてる。火がついてしまったではないか…と咎めるようなすがるような、一瞬のまなざし。
— ゆりふる (@yuri__full) December 4, 2024
172センチのちなつさんが見上げる、178センチの礼華はるくん。ふたりは9期離れていて、年も劇団のなかのヒエラルキーも違う。なのに挑発したりされたり、掴まれたり振り払ったり、錯誤に錯誤が続いて、もうどうしようもないところに、孔雀の衣装を着た妖艶なじゅりちゃんの飛来。移り気と困惑、嫉妬と挑発、いろんなものが渦巻いて、この構成考えたときの野口先生、きっとハアハアしてたんだろうな、って思う。
情緒がめっためたになるところでは、「エジプト」のシーンを挙げたい。ちなつさんが野口先生の前で語った言葉を、野口先生が歌詞にして、歌にした…というだけで、胸に来るものがある。ちなつさんが人との記憶を大事にしていて、これからさらなる飛翔を誓う。おそらくお母様のことを歌っていらっしゃる一節もある。一応二人の子を持つ母としては、このシーンで毎回きっちり、泣く。音楽の壮大さに加え、ちなつさんの背後で「WIND」となって、キラキラ透ける美しい翼を揺り動かしながら踊るじゅりちゃんが、本当に美しい。ちなつさんの歌を踊りで表現しているのが、どちらかが秀でていてどちらかが劣っているというスキルの差分がなく対等で、絵として一体化していて、神秘的で素晴らしいシーンだと思う。…私はおそらく、これから宝塚を見続けると思うが、このシーンのことは忘れないと思う。
短期間の体温上昇の新記録、という意味ではフィナーレの男役群舞を挙げたい。こんなに月組の男役って、おらおらできたんだ…?やだ聞いてない的な妙な戸惑いと動揺と、ちなつさんの閃光のような三白眼に射られてたじたじになる。やっぱり花組のエキスが月に注がれると、1000年に一度しか咲かない花みたいな色気が出るんだろうか。ここで秀樹を持ってきた、野口先生のセンスに脱帽する。
ほか、韓国アイドルのシーンのドキドキ、胸の高まり、あみちゃんの愛らしさ、彩みちるちゃんのキュートさ、うーちゃんのウーの破壊力、フィナーレの階段降りでとんでもないウインクを放つ白霧椿、エイトフェニックスの涼宮蘭奈くんの足の美しさと表現力、などなどなどなど!枚挙にいとまがない。
一貫して、月組生の、ちなつさんの、ポテンシャルと命の煌めきが詰まっている。こんなショーは観たことがない。
変わった部分
ちなつさんの命の輝きが溢れていて、人って素晴らしいな、今を大切に生きよう、と、この年になってズドンと腑に落ちた。急に素直に「あ、はい」と従う気持ちになった。
オレンジと黄色の大きな羽根を、人の背中ってこんなに動くのか?というくらいぶおんぶおん振り回すちなつさん。あれをやるだけで、相当体力を使うはず。それでも笑顔、まだまだ中詰め。体力って素晴らしい。命って素晴らしいのだ。
いまを生きよう、大切に生きよう、そして「楽しむ」という感情と行為を尊重しよう。ショーを見てから3週間で私のなかで変わった部分は非常に大きい。
コロナからリモートワークで、人間関係が変わり行動パターンも変わり、「要らない感情」(春海ゆうさん風)をたくさん持っていたのが、このショーを見てからスコンと抜けたように変わった。意固地な部分が焼き尽くされた。
いつも同じをやめよう。義務感で出るパーティの黒いドレスを辞めて、赤とか金を着た。ちょっと着たいから着てみよう。フェニックスっぽいじゃん。月組っぽいじゃん。めったに着れないし。シンプルにそんな楽しむ気持ちになった。(自分の中では大事件)
大変だ、を「楽しい」と変換できるようになった。仕事も家のことも、大変で目が回りそうでめんどうなことも、今だけ楽しめる大変さだ、と解釈できるようになった。なんで私ばっかり、が信頼してもらえる嬉しさに変わった。余裕ができた。
昭和の歌は古くてださい。目は大きいほうがいい。今風にしないと恥ずかしい。いいと思うものをいいと言うのが恥ずかしい。楽しいを楽しいと言うのって恥ずかしい。…私の中の固定概念や先入観、たいして知りもしないのに思い込んでいたこと、などなどが、「案外そうなのかも」とワンクッションはさんで解釈できる、心の豊かさのようなものを、ちょっと得た。
もう年だし。そういうことはしない主義だし。今からやっても遅いし。なんで自分がその役目をやらなくちゃいけないかわかんないし。この人とはLINEしても何も得ることがないし。…そういうのも、スコンと抜けて、「とりあえずやってみっか」が出るようになった。素直になった。お化粧もちょっとだけ、楽しくなったり。
ひとつのショーで、3週間で内面的な変化が出たのって初めてで、すごいな、enjoy the now だな、って驚いている。
ところで、風の時代を飛翔するフェニックスの件、風の時代を検索すると「多様性」というキーワードが出てくる。新人公演を主演していないとトップにならない、この学年でトップは難しい、いろんな「一見、常識だったこと」を華麗に黄金の翼で払って、ちなつさんが見事に飛んでいる。多様な価値観の尊重、見直し、これがやっと、宝塚でも始まったかなと期待が大きい。
冒頭に書いた「悲しさ」の正体。愛しいは「かなしい」とも書く。愛しさが高まると、永遠に続いてほしい気持ちは高まる。この素晴らしい時代が一日でも長く続いてほしいという願いは大きくなる。いつかくる終わりを意識すると、気が遠くなるほど悲しく、目をそむけたくなる。それでもいったんは、月組生に力いっぱい両手で差し出された絢爛豪華な滋養満点フルコースを受け止めて、enjoy the now、今を大切に、満喫しようと思う。