楠木三兄弟の年表を作ってみた
毎日桜嵐記。なーにやってんだか!仕事しなさいよ!自分…
いくつ年が離れていたのか、知りたい
後村上天皇と楠木正行が「おさななじみ」という表現が出てきたので、実際どのくらい年が近かったのか、知りたくなりました。
四條畷の戦いの後、後村上天皇と楠木正儀は対立することもありながらも、最後は和睦したと史実にあります。吉野朝廷の終わりのころ、二人は何歳だったのかなど含め、簡単な年表を作ってみました。(ほんとに何やってんの?)
※楠木兄弟、生誕年が諸説あったので明確ではありません
楠木正成が亡くなったとき
長男正行は10歳。年子とみられる正時は9歳。正儀にいたっては3歳です。そりゃあ「なんで死んだんや」って言いたくなる。
四條畷の戦い
四條畷の戦いで正行が亡くなった時は22歳。正時は21歳。正儀は大好きなお兄ちゃんたちを16歳で亡くし、その後「大将」として頑張ることに。けなげ…
後村上天皇
後村上天皇は、正行の2つ下だったようです。11歳で在位しています。ありちゃん天皇を見ていると「誰も死なせたくない」と言っていてとても穏やかですが、実は自ら武器を持って戦ったり、正儀とぶつかったりしていたようです。
ちなみにいろいろ調べていて一番心うたれたのが、劇中にもある「戻れよ」のシーン。史実では、めったにあげることのない御簾をあげて、四條畷の戦いに向かう楠木三兄弟に声をかけて見送ったそうです。
41歳で死去。南北朝統一を見届けることはありませんでした。
正儀のその後
正儀はその後結婚して、男児4人(もっといるかも?)のパパになっています。後村上天皇とも何度もぶつかり、一度は南朝を破る立場にもいたようです。
その後、南朝に戻り、和平派の後亀山天皇を擁立し、南北朝統一を成し遂げています。56歳で死去。吉野朝廷が終わるほんの四年前に亡くなっています。
吉野朝廷の終わりは見届けることができなかったようですが、明らかに立役者ですね… えらい。
うおー、もっと調べたい。調べるかも。またちょこちょこ書いてみます。
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