自分の祖先が南北朝どっちの人だったのかを調べたら意外な人に行きついた話
今日も桜嵐記について書きます
※タイトル画像に意味はありません※
相変わらず頭の中が桜嵐記一色で、寝ても覚めても吉野朝廷やら後醍醐天皇やらのことを考えています。
後村上天皇の生涯や、楠木正儀が意外にたくさんの子を持っていたことなどを、朝の六時くらいからハアハア言いながら調べている完全にヤバいお母さんです。
ふと、自分の祖先が南北朝どっち側の人間だったのかを知りたくなりました
…知りたいですよね!?
というわけで、仕事でてんてこ舞いのはずなのに、調べてみました。
前提:
私の父親の系統は、数少ない情報ですがネットに情報がある「もののふ(武士)」です。若い頃に調べて古い家系図で判明したそうです。
最後にご先祖某もののふ様の消息の記載があるのは1550年ころ。
ちなみに、この事実確認をしたくて去年家系図も作成(行政書士さんが戸籍を取り寄せて作ってくれるサービス)してみたのですが、明治4年の壬申戸籍の件で、それ以前の系図は辿れませんでした。
ネットで祖先をさかのぼろう!(お手軽)
というわけで、ご先祖の某もののふ様の名前をもとに、ネットで調べまくってみました。仕事パンパンなのに、なーにやってんだか!
彼は築城しているので、城関連の情報と、城のあった関東某県の地域の情報を一網打尽に検索。
某もののふ様が「末裔にあたる」という表現で繋がるある人物に行き当たり、彼には別名があったことを調べると、そこからは意外なほどどんどん川上に辿っていけました。
※養子縁組など、この「末裔」が直接の血縁関係がない可能性もあるので、あくまでも面白半分です。
同名の人物に行き当たった場合は、それぞれの父・子を確認して系統を確かめていきます。
なんだかちょっと著名ぽい人に行き当たった
Excelに人物名、生年月日と没年を記しながら辿っていきましたが、途中で「あれ?」と思う著名な方に行き当たっていきました。あれ?なんか活躍してる人っぽい?
そして、私の祖先の「某もののふ様」からさかのぼること十数代。「清和源氏の始祖」と呼ばれる源義康(別名:足利義康)に行き当たりました。…あれ?この人ってやばいくらい有名人なのでは?
そしてかすかな記憶が蘇る。…たしか結愛かれんちゃんの花一揆がこんなことを言っていたような…
「斬れますか?今の日の本は、武士の力なしにはたちゆかない。そして、武士どもを一声でしたがわせることができるのは、清和源氏の血を継ぐ尊氏さまのみ」
私の祖先(と言えないくらい、遠い遠いご先祖様「かもしれない人」)は思いっきり北朝側の人間でした(笑)
さらに意外な人ともつながっていた
どんどんさかのぼると「足利尊氏の祖先にあたる」記載も見つけました。北朝どころか尊氏と血縁があったらしい。正行…ごめん。
このあたりに行くと情報がたくさんヒットするので、複数のサイトを読み込みます。
ちょっと嬉しかったのが、「南北朝の動乱期には、一族で北朝側と南朝側に分断して戦った時期もあった」という一文。これはちょっと嬉しかった。正成さんの情報と同じページに記載があるものもありました。
が、結局私の祖先(と言えないくらい、遠い遠いご先祖様「かもしれない人」)は北朝についたようで、結構なご活躍をしたそうでした。
「清和源氏」を調べてみたら
さらに系譜が掲載してあるサイトを見つけて、上に上に辿っていくと…清和天皇に行き当たりました。
うーん、天皇とつながってしまった(笑)
面白半分に、日本史好きな父と、息子に話したら「へー!」と20秒くらい盛り上がってくれました。
(Excelにつけていった祖先の系図)
あくまでもネットの情報です
以上、「宝塚歌劇団月組公演「桜嵐記」にはまりすぎて、自分の祖先が南北朝どっち側の人間なのかを知りたくなって調べてみたら意外な人物に行き当たってしまった話」でした。
記憶にまだ新しい「有栖川宮詐欺事件」のように、自分が天皇の血を引くからといって騒いだり自慢したりする気は毛頭ありませんので、頭おかしいヤバいやつだと思わないでください。(何度も書きますがネットの系図の話です)
でも、今度桜嵐記を観劇する際は、ちょっと風間柚乃ちゃん推しで見てこようと思います。