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『ロシアがウクライナにすべきこと 』

ロシアの考えるウクライナの非ナチ化の考え方が書かれているRIAノーボスチの4/3/22の記事を翻訳した。原文リンク

昨年の4月に、ウクライナの非ナチ化の必然性について書いた。ロシアの敵であり、ロシアを破壊する西側の道具であるナチス、バンデラのウクライナは必要ない。今日、非ナチ化の問題は、現実的な次元に移っている。
非ナチ化は、国民のかなりの部分(最も可能性が高いのはその大多数)がナチス政権によって支配され、その政治に引きずり込まれている場合に必要とされる。つまり、「国民は善、政府は悪」という仮説が通用しない場合である。
この事実を認識することが、非ナチ化政策の基本であり、その全ての活動の基礎であり、この事実自体が非ナチ化の主題である。
ウクライナは、まさにそのような状況にある。ウクライナの有権者が「ポロシェンコの平和」と「ゼレンスキーの平和」に投票したと言う事実は読み誤るべきではない。ウクライナ人は、この二人のウクライナ大統領が当選した際に、透明性を示唆した電撃戦による平和への最短ルートにかなり満足していた。
オデーサ、ハリキウ、ドニエプロペトロフスク、マリウポリ、その他のロシアの都市では、完全なテロによって国内の反ファシストを「宥和」させるこの方法がまさに用いられたのである。
そしてそれは、ウクライナの一般市民にとって非常に都合がよかった。非ナチ化とは、技術的に戦争犯罪者として直接罰せられない、ナチス化した大衆に対する一連の措置のことである。武器を手にしたナチスは、戦場で可能な限り殲滅しなければならない。ウクライナ軍と所謂ナショナリスト大隊、及びこの2種類の軍事組織に参加した領土防衛民兵を大きく区別する必要はないだろう。
いずれも、民間人に対する非道な残虐行為に等しく従事し、ロシア国民の大量虐殺に等しく責任があり、戦争の法律と慣習を守っていない。戦犯や現役のナチスは模範的な処罰を受けなければならない。総点検を実施しなければならない。
ナチズムの実践と結び付いたいかなる組織も排除され、禁止されなければならない。しかし、上層部だけでなく、消極的なナチス、ナチズムの協力者である大衆のかなりの部分が有罪である。
彼らはナチスの権力を支持し、甘やかしていた。この一部の人々に対する正当な処罰は、ナチス体制に対する正当な戦争の避けられない重荷を背負い、民間人に対して出来る限り穏やかに、目立たない様に慎重に行われる事によってのみ可能となる。この大衆の更なる非ナチ化は再教育から成り、それはナチスの態度の思想的抑圧(サプレッション)と厳しい検閲によって達成される:政治領域のみならず、必然的に文化や教育の領域においてもである。
ナチス政権のロシアに対する勝利による配当の約束、ナチスのプロパガンダ、国内の暴力と恐怖、ドンバスのウクライナ・ナチス反乱軍との8年にわたる戦争によって強化された、国民の深い集団ナチ化は、文化と教育を通じて準備され実行されたのである。
非ナチ化は、戦勝国によってのみ実行され、そのためには、(1)非ナチ化のプロセスを無条件にコントロールすること、(2)そのコントロールを確実にする力を持つことが前提である。この点で、非ナチ化された国は主権者ではあり得ない。
非ナチ化する国家(ロシア)は、非ナチ化に対して、リベラル(自由主義的)なアプローチから進めることはできない。非ナチ化論者の思想(イデオロギー)に、非ナチ化を受けている罪人は異議を訴える事はできない。
ロシアがウクライナの非ナチ化の必要性を認めたと言う事は、ウクライナ全体としてクリミアシナリオが不可能である事を認めたと言う事になる。しかし、このシナリオは2014年、反乱を起こしたドンバスでも不可能であった。
ナチスの暴力と恐怖に対するわずか8年間の抵抗は、内部の結束と、ナチス社会と定義されたウクライナとのあらゆる種類の団結とつながりを維持することを意識的かつ明白に拒否することにつながった。
非ナチ化の期間は、非ナチ化の条件下で生まれ、成長し、成熟しなければならない一世代より短いと言う事はあり得ない。ウクライナのナチ化は30年以上続いている。少なくとも1989年に始まり、ウクライナ民族主義が政治的表現の合法的かつ正当な形態を獲得し、「独立」のための運動をナチズムに向かわせるようになった。
今日のナチ化されたウクライナの特徴は、無定形で曖昧な性質であり、ナチズムを「独立」と「ヨーロッパ」(親欧米)の「発展」の道への願望(実際には劣化)に偽装され、「ウクライナにはナチズムはなく、私的な散発的な過剰(行き過ぎ)のみ」と主張する。
主要なナチ党、総統、本格的な人種法もない(ロシア語の抑圧の形での簡素化されたバージョンのみ)。 結果として、政権に対する反対も抵抗もない。しかし以上の事は、ウクライナのナチズムが20世紀前半のドイツのナチズムの「軽いバージョン」であるとは言えない。
それどころか - ウクライナ・ナチズムは、そのような「ジャンル」(本質的には政治技術)の枠組みや制約を受けないので、全てのナチズムの基本基盤として - ヨーロッパや、最も発展した形ではアメリカの人種主義として自由に展開されるのである。従って、非ナチ化は、「NATOはノー、EUはイエス」というような公式に基づいて、妥協的な方法で実施される事はあり得ない。西側のバンデラ幹部とその「歴史的記憶」は、ウクライナのナチ化の道具の一つに過ぎないが、西側の集団自体が、ウクライナのナチズムの設計者、源泉、スポンサーである。ウクライナのナチズムは、ヒトラー版ドイツナチズムに劣らず、平和とロシアに対する脅威なのだ。
「ウクライナ」という名称は、ナチス政権から解放された領域で完全に非ナチ化された国家形成の名称として保持することはできない。ナチスから解放された領土に新たに設立された人民共和国は、経済的自治と社会福祉の実践、住民の生活支援システムの回復と近代化から発展しなければならず、またそうなるであろう。
実際、彼らの政治的願望は、中立ではありえない。ロシアを敵視したことに対する罪の償いは、再建、復興、発展の過程においてロシアに依存することによってのみ実現されるのである。これらの地域に対する「マーシャル・プラン」は許されない。
非ナチ化と両立する、イデオロギー的かつ実際的な意味での「中立」はありえない。新しい非ナチ化共和国の非ナチ化の手段である幹部や組織は、ロシアの直接的な権力と組織的支援に頼らざるを得ないのである。
非ナチ化は必然的に脱ウクライナ化、つまりソ連当局が始めた歴史的小ロシアとノボロシアの領土の住民のアイデンティティー(自己識別)の民族的要素の大規模な人工的膨張の否定となる。
共産主義大国の道具として、人為的なエスノセントリズム(民族中心主義)は共産主義崩壊後も遺棄されたわけではなかった。そのサービス精神は、もう一つのスーパーパワー(国家を支配する力)である欧米の超大国によって受け継がれた。
それは自然の境界線に戻され、その政治的機能を剥奪されなければならないのだ。

ジョージアやバルト諸国などと違って、ウクライナは歴史が示すように国民国家としては不可能であり、そのような国家を「建設」しようとすると、必然的にナチズムに行き着くのである。
ウクライナ主義は、それ自身の文明的内容を持たない人工的な反ロシアの構築物であり、外国の異質な文明の下位に位置(従属)する要素である。
非ナチ化だけでは、非ナチ化には不十分だ。バンデラ派の要素は、ナチス・ウクライナのヨーロッパ・プロジェクトのためのパフォーマーとスクリーン、変装にすぎないから、ウクライナの非ナチ化は、必然的にその脱ヨーロッパ化でもあるのである。
バンデラ派の上層部は、排除(精算)しなければならない、再教育は不可能だ。行動と不作為を通じて積極的かつ受動的にそれを支持した社会の「沼」は、戦争の苦難を生き抜き、その経験を歴史の教訓と罪の償いとして同化(吸収)させなければならない。
ナチス政権を支持せず、ナチス政権とそれがドンバスにもたらした戦争で被害を受けた人々は、統合され組織化されなければならず、新政府の縦と横のバックボーンとならなければならない。
歴史的な経験は、戦時中の悲劇とドラマが、ロシアの敵の陰謀に誘惑され、連れ去られた人々に利益をもたらす事を示している。
特別軍事作戦の目的としての非ナチ化そのものは、キーウ政権に対する軍事的勝利、ナチ化の武装支持者からの領土解放、和解できない強硬なナチスの排除、戦犯の拘束、その後の平時の非ナチ化のためのシステム的条件の作成(整備)と理解される。後者は、次に、地方自治、警察、防衛の組織化から始まり、ナチスの要素を一掃し、新しい共和国国家の創設プロセスを開始し、この国家をロシアの機関と緊密に協力して統合する必要がある。
ウクライナの非ナチ化(例えば、独立国家共同体連邦庁から新たに作成または再作成された)、ロシアの管理下で、非ナチ化のための共和国の規制の枠組み(法律)を採用し、その国境と枠組みを直接定義する 。 ロシアは、この点でニュルンベルク裁判の管理人として行動する必要があるのだ。
上記の全ては、非ナチ化の目標を達成するために、キーウ政権の恐怖、暴力、イデオロギー的圧力から解放され、情報的孤立から脱してロシアへの移行する、住民の支持が必要であることがわかる。
勿論、人々が軍事行動のショックから立ち直り、ロシアの長期的な意図、つまり「自分達は見捨てられない」と言う事を確信するようになるまでには、ある程度の時間が必要だろう。この様な人口の塊が、どの地域で決定的に必要な多数派を構成するのかを、事前に予測することは不可能である。
"カトリック州"(5つの地域からなる西ウクライナ)は、親ロシアの領土になる可能性は低い。ただし、その除外のラインは、経験によって見つける事が出来る。
ロシアに敵対するウクライナは、強制的に中立で非軍事化されたままであり、ナチズムは正式な理由で禁止される。ロシア嫌いの人はそっちへ行くだろう。
この残留ウクライナが中立を維持すると言う保証は、列記した要件が満たされない場合、軍事作戦の即時継続の脅威となるはずだ。その為には、おそらくロシア軍の恒久的な常駐が必要だろう。疎外線からロシア国境までは、ロシア文明に統合される可能性のある領域であり、その内実は反ファシストである。
軍事的な段階から始まったウクライナの非武装作戦は、平時においても軍事作戦と同じように段階の論理をたどる事になる。それぞれの段階で、対応するステージの成果である不可逆的な変化を達成しなければならないだろう。非ナチ化の必要な初期段階は、以下のように定義できる。

-ナチスの武装組織(ウクライナ軍を含むウクライナのあらゆる武装組織を意味する)、及びその活動を保証する軍事、情報、教育基盤の排除(精算)。

-解放された地域において、人民自治と民兵(防衛と法執行)組織を形成し、ナチスの地下組織の恐怖から住民を保護すること。

-ロシアの情報空間の設置

-ナチスの思想的態度を含む教材を撤去し、あらゆるレベルの教育プログラムの禁止。

-戦争犯罪、人道に対する罪、ナチス・イデオロギーの普及、ナチス政権への支援に対する個人の責任を立証するための大規模な調査行動。

-ナチス政権に協力した者のリストアップ、名前の公表、ナチス活動に対する罰として破壊されたインフラの再建のための強制労働(死刑や懲役の対象とならない者の中から)。

-ロシアの監督下で、ナチス・イデオロギーのあらゆる種類と形態の復活を禁止する、「下からの」第一次非ナチ化規制を地方レベルで採用すること。

-ウクライナ・ナチズムの犠牲者のための記念碑、記念標識、モニュメントの設置、それに対する闘争の英雄の記憶を永続させる事。

-新しい人民共和国の憲法に反ファシストと非ナチ化の一連の規範を盛り込むこと。

-25年間の永続的な非ナチ化機関の創設。

ロシアはウクライナの非ナチ化で同盟を結ぶ事はない(味方がいなくなる)。これは純粋にロシアの出来事だからだ。また、バンデラ版ナチス・ウクライナだけでなく、西欧の全体主義、文明の劣化と崩壊の押し付けプログラム、西欧と米国の超大国に従属するメカニズムもまた、根絶される事になるからだ。
ウクライナの非ナチ化計画を実行する為には、ロシア自身が最終的に親ヨーロッパ、親西欧の幻想を捨て、それに値する歴史的ヨーロッパ(旧世界)の価値観を保護し保全する最後の例として、西洋が自らの(魂を救う)為の闘争で敗れ、最終的に放棄した価値観を実現しなければならなくなるだろう。
この闘いは20世紀を通じて続き、世界大戦とロシア革命という表裏一体の形で姿を現した(互いに密接に関係していた)。
ロシアは20世紀、西洋を救うためにできる限りのことをした。それは、西洋の主要なプロジェクト、国民国家を打ち負かす資本主義に代わるもの、つまり社会主義、赤のプロジェクトを実現したのである。
西洋文明の危機の産物であるドイツのナチズムを粉砕したのである。ロシアの利他主義の最後の行為は、ロシアが伸ばした友好の手であったが、その為にロシアは1990年代にとんでもない打撃を受けた。
ロシアが西側の為にしてきた事は、全て自費で、最大の犠牲を払って行ってきた。西側諸国は結局、こうした犠牲を全て否定し、西側危機の解決に貢献したロシアを軽視し、無私無欲で助けたロシアに復讐する事にしたのである。
今後、ロシアは、西側の運命など気にすることなく、独自の道を歩んで行くだろう。それは、世界の脱植民地化プロセスにおけるリーダーシップという、ロシアのもう一つの遺産を基礎とするものだ。
このプロセスの一環として、ロシアは、西側諸国が何世紀にもわたって抑圧してきた国々とのパートナーシップおよび同盟関係の可能性が高く、再びそのくびきをかぶることはない。 ロシアの犠牲と闘争がなければ、これらの国々は解放されなかっただろう。
ウクライナの非ナチ化は、同時にその脱植民地化であり、ウクライナの人々がいわゆるヨーロッパの選択の茫然自失、誘惑、依存から自らを解放さし始めた時に彼らが理解すべき事実でもあるのだ。(終)

上の記事は、 4/3にTimofey SergeytsevがRIA Novostiで発表した社説。Novostiは国営のロシアの報道機関で、政府の考えと方向性を最もよく反映しているメディアの1つ。彼はモスクワ州立大学のグローバルプロセス学部のジノビエフ国際研究教育センターの政治技術者および研究顧問。

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