GRUによるMH17情報操作 その1:ボナンザ・メディア・プロジェクト
11/12/2020のBellingcatの記事の翻訳です。
Bellingcatとその調査パートナーによる調査は、自称独立調査プラットフォームであるボナンザ・メディアが、実際にはロシアの軍事情報と連携した特別な偽情報プロジェクトであるという証拠を発見した。
GRUとして最もよく知られているロシアの軍事情報機関が、ボナンザ・メディア・プロジェクトの最初の立ち上げと資金調達の背後にあったかどうかはまだ決定的にはなっていないが、立ち上げ直後にGRUの上級メンバーがプロジェクト・リーダーと直接かつ定期的に連絡を取り合うようになったことは確認されている。GRUはボナンザの出版物の事前コピーを受け取り、その従業員にウクライナ東部への不法越境アクセスを提供し、GRUのサイバー戦争部門によってハッキングされた298人の乗客・乗員の死亡に関する公式犯罪調査を行うオランダ主導のMH17合同調査チームの機密内部文書をプロジェクトに提供し、ボナンザ・メディアにそれをリークするよう指示した可能性がある。
この調査結果は、2014年のMH17便撃墜事件をめぐる進行中の刑事裁判において、ボナンザ・メディアが証拠資料として役割を果たす可能性があることから、特に重要な意味を持つ。現在進行中の刑事裁判で唯一の法定代理人であるオレグ・プラトフの弁護団は、すでにボナンザ・メディアが提供した証拠を法廷で紹介し、同プロジェクトの主要メンバーの証人喚問を要請している。この数カ月間、ボナンザ・メディアは純粋にMH17に関連した話題から、Covid-19の偽情報へと軸足を移していたため、この調査結果もまた重要だ。
この調査は、ロシアのハッカー集団が入手したGRU幹部2人のメールボックスの電子メールと、ロシアの通信データにアクセスできる内部告発者から独自に入手したGRU幹部2人の通話記録に基づいて、2部構成で行われたものである。この調査結果は、GRUが実際に行っていた情報操作プロジェクトの最も詳細な記録の一つである。
ボナンザ・メディアとは?
MH17の墜落原因に関する代替シナリオを公表することに特化したメディア・プロジェクトであるボナンザ・メディアは、元RTジャーナリストのヤナ・イェルラショワがオランダ人ブロガーのマックス・ヴァン・デル・ウァーフの協力を得て2019年初頭に設立し、同年5月にオランダ報道資格を取得することに成功したものである。
ヤナ・イェルラショワと、特にマックス・ヴァン・デル・ヴァーフは、陰謀論に傾倒するネットユーザーの間では、合同調査チーム(JIT)が行ったMH17の公式調査結果に不信感を抱くことで有名な人物でだった。ロシアの国営放送RTで働くヤナ・イェルラショワは、オランダ主導の調査に批判的なドキュメンタリーを執筆し、あるケースでは、墜落現場に飛行機の残骸を仕掛けたとして非難されたことがある。日常的にウクライナ当局に批判的で、ウクライナ東部のドンバス地方でロシアが支援する分離主義者に同情的であったマックス・ヴァン・デル・ヴァーフは、既に2015年にはロシアの国営メディアや分離主義者のメディアで、ロシアと分離主義者が撃墜に関与した証拠に疑いを投げかける存在になっていた。
ヴァン・デル・ヴァーフとイェルラショワのこのような経歴を考えると、彼らがMH17撃墜の背後にある「本当の真実」を提示すると約束した新しい「独立系」ドキュメンタリーの資金調達のためのキックスターターを立ち上げたことは、MH17の調査をしている人達にとってほとんど驚きではなかっただろう。MH17便の撃墜にロシアが関与したことを示すいかなる証拠にも懐疑的な、比較的小規模だが結束の固いMH17便疑惑派のコミュニティーにとっては、このプロジェクトは、ディープステートの色彩を受けない真の独立ジャーナリストによる称賛に値する取り組みに見えたのだろう。MH17事件を追っている他の人々にとっては、ボナンザ・メディアは、5カ国のJITに対するクレムリンのハイブリッド戦争の予想通りの延長であり、2020年初頭にハーグ地方裁判所での刑事裁判が始まる直前に混乱を引き起こすタイミングを計っているように見えたのだ。
このプロジェクトは、18日間で67人の匿名の寄付者から23,000ドル強を集めた。ヴァン・デル・ヴァーフとイェルラショワによると、そのほとんどはオランダからの寄付だった。ボナンザ・メディアのツイッター・アカウントは、キャンペーン半ばで「ロシアからの寄付があってもいい」とロシアからの寄付が集まらない事に苦言を呈する投稿をしたこともあった。
その後1年間、ボナンザ・メディアは、このささやかな予算(創業者自身の言葉を借りれば、総予算の70%を占める個人的な寄付によってと増強された)を、驚くほど弾力的な用途に使うことに成功した:当時マレーシアのマハティール・モハマド首相)、ロシア、ロシアが占領したウクライナ東部、オランダへのインタビュー。 MH17近くのウクライナの戦闘機の目撃者とされる人物を紹介する一連のドキュメンタリーを制作;オランダ、英国、マレーシアでいくつかの記者会見やイベントへの出席、及び主催;MH17事件の捜査で証拠として使用された音声の一部が操作されたとするマレーシアのサイバーセキュリティー専門家の調査を依頼。
それでも、群衆の中でクレムリンが支配するメディア以外でのボナンザの影響は限定的であり、彼らの報道イベントには小グループの欧米のメディアに懐疑的な人が出席し、主流メディアや犠牲者の近親者からは伝統的に敬遠される存在だった。 マレーシアのマハティール・モハマド首相とのインタビュー以外では、ボナンザは主流の情報空間にはほとんど浸透していなかった。
ボナンザ・メディアが取るに足らない陰謀プロジェクトから予期しせぬ浮上を遂げ適合性を持つようになったのは、2020年1月、"まだ一般に共有されていないMH17一件に関連する信頼できる情報 "を入手したと発表した時である。
その後2カ月間、つまりMH17の裁判が始まる直前、ボナンザ・メディアはJITの内部文書からの「リーク」と称するものを次々と発表した。実際、これらのリークの内容や切り口を分析すると、JITメンバー国の1つであるマレーシアの事務所をハッキングして入手した可能性が高いことがわかる。ボナンザ・メディアがリークしたわずかな内部文書には、JITの活動を危うくするものは含まれていない。むしろ、プロフェッショナルに運営される国際的な調査活動であることが示されているのだ。しかし、ロシアの国営メディアとクレムリン当局者は、リーク情報からの脈絡のない引用を駆使して、調査プロセスの失敗を非難したのである。
オランダのNRCの記者から、この文書の出所について質問されたヴァン・デル・ヴァーフは、こう答えている;
ボナンザ・メディアは、リークされたドキュメントの内容についてのみ発言します。直接または間接的に情報源に関連する質問は、全て無視されます。ご存知のように、これはプロのジャーナリストとして当たり前の行為であり、情報源とジャーナリストにとって極めて重要なことです。ジュリアン・アサンジ(WikiLeaks)のケースをご覧ください。
別の機会に同じ質問をした時、彼はこの答えを繰り返した。
最近、ボナンザ・メディアは、世界中の人々がパンデミックや政府のロックダウン(閉鎖措置)の中でどのように生活しているかを説明するビデオシリーズ「REALITYcheck」を通じて、コビッド19に関する偽情報に軸足を移している。ビデオの証言の多くはごく一般的なものだが、政府の過剰な閉鎖命令、公衆衛生の危機が報道される中での空だと思われる病院、コロナウイルスに関する主要メディアの報道の信頼性の欠如など、陰謀論的な思考をはっきりと示しているものもある。
ドンバスの親ロシア勢力とのこれまでの協力関係
ボナンザ・メディアが設立される以前から、マックス・ヴァン・デル・ヴァーフは、ウクライナ東部のロシアに支援された分離主義当局と接触し、MH17の撃墜に彼らの責任がないことを示す物語を作るのに貢献しようとしていた。2016年、いわゆるドネツク人民共和国(DNR)情報省のスタッフであるタチアナ・エゴロワのリークがネット上に掲載された。
エゴロワのリークには、DNR高官のMail.ruアカウントの全インボックスが含まれており、このアカウントを通じて彼女は公式な「政府」業務を行っていた(ロシアとその分離主義「共和国」ではよくあることだ)。流出した電子メールには、マックス・ヴァン・デル・ヴァーフとのやりとりが多数含まれており、MH17撃墜に関するパブリックメッセージについてアドバイスを申し出たり、彼の仕事を助けるための資料への直接アクセスを要求したりしている。最終的にヴァン・デル・ヴァーフは、「DNR」への訪問と労働許可を要請し(受理され)、その後パスポートのスキャンをエゴロヴァに送っている。
これらの電子メールの一部は、個人情報が編集された状態で以下に表示される。
マックス・ヴァン・デル・ヴァーフが、彼の意欲にもかかわらず、MH17撃墜に関するロシアに支援された分離主義当局のシナリオを形成する上で重要な役割を果たしたかどうかは不明である。しかし、数年後、彼の熱意はヤナ・イェルラショワとの共同作業でより効果的に使われたようで、我々の調査によって、彼らがロシア軍情報部と直接連携して作業を行っていたことが明らかになった。
GRUとの連携の証拠
ボナンザ・メディアがドキュメンタリーを完成させ、公的なイベントで紹介し始めた2019年の夏には、ヤナ・イェルラショワは既にGRUの高官とプロジェクトの活動を調整していたのである。私達が入手した電子メールと電話の記録によると、2019年8月までに、ロシアの軍事諜報アカデミーを卒業し、国際外交官としてのポストを獲得したセルゲイ・チェバノフ大佐が、ボナンザ・プロジェクトや今後のイベントについての最新情報を定期的に受け取っていたことがわかる。携帯電話のデータによると、イェルラショワとの電話のほとんどは、モスクワのホロシェフスコエ・ショセ76BにあるGRU本部を拠点にしていた。ボナンザ・メディアの創設者兼CEOと秘密裏に連絡を取るために、彼はバーナーフォンを購入し、実在しないジョージアの老女名義で登録していた- GRUのスパイが、自分の通話を追跡されないようにするための標準的な方法だ。
このような運用上のセキュリティ対策の目的を逸脱して、GRU本部などでもバーナーと同じ携帯電話から自分名義で登録した通常の電話を使ったり、バーナー使用の前後に立て続けに電話をかけたりしていたのである。このようなOpsec(軍事上の作戦機密)の見落としがあったからこそ、バーナーの番号と本人を結びつけることができたのである。チェバノフ大佐はバーナーフォンを使って、2019年9月から2020年半ばまでの期間、ヤナ・イェルラショワと1日平均2回、会話やメールをし、特定の日には10回以上やり取りしていた。2人が電話で何を話し合ったかは分からないが、時折交わされるメールのやり取りから、ボナンザ・メディア の活動とGRUの連携が一貫したパターンであることが示された。
イェラショワは2つの異なる電子メールアカウントを使って、ボナンザ・メディアのウェブサイトに掲載するための記事の下書きや、ボナンザ・メディアが関与するイベントの宣伝資料の下書きをチェバノフ大佐に送った。例えば、2020年2月21日の電子メールで、ヤナ・イェルラショワはチェバノフ大佐に、2020年3月3日にロンドンで予定されているボナンザ・メディアのドキュメンタリー映画の一般上映会の宣伝用草稿を転送している。この(上映会の)宣伝用草稿は、イベントの英国側主催者であるテオ・ラッセルが作成したもので、当初はボナンザ・メディアの協力者であるエレナ・プロトニコワがイェルラショワの承認を得るために送ってきたものだった。プロトニコワはオランダを拠点とするウクライナの親クレムリン活動家で、「平和な人々のためのグローバルな権利」という不透明な資金源を持つ組織のメンバーであり、組織自身の言葉によれば、ウクライナ東部のロシア支援分離主義者の擁護を主な任務としている。イェルラショワは、この宣伝文句を受け取ってから30分後、GRUのチェバノフ大佐に転送し、承認を得た。
GRUとの連携のもう一つの例として、2020年5月3日、ヤナ・イェルラショワはチェバノフ大佐に、ボナンザ・メディアが雇ったオランダ人寄稿者エリック・ヴァン・デ・ビークが書いた記事の草稿を電子メールで送信した。その記事は翌日、BonanzaMedia.comに掲載された。
イェルラショワがGRU将校に提出したコピーと出版されたバージョンの間で、ヴァン・デ・ビークの論文に加えられた実質的な変更は3つだけだった。編集は全て、元の草稿でのBellingcatへの攻撃を拡大したものだった。
誰がこのような変更を依頼し、提案したのかは不明だ。元オランダのエルゼビア誌のジャーナリストだったエリック・ヴァン・デ・ビークは、9・11、ホワイト・ヘルメット、ドゥーマ化学兵器攻撃、そしてMH17などに関する陰謀論にインターネット上で賛同する声を上げてきた実績がある。また、彼はBellingcatに対して強い侮蔑の念を示し、我々を「CIAのPR会社」と表現し、2018年4月14日に「Bellingcatの記事を読むことを拒否する」と宣言している。エリック・ヴァン・デ・ビークは、本調査のための我々の質問には一切答えないことを表明した。
しかし、チェバノフ大佐のメールボックスにあった他のメールも、GRUがBellingcatに特別な関心を抱いていたことを示唆している。2019年10月9日に、別のGRU将校のメールアカウントからチェバノフ大佐に送られたメールには、「ヒギンズへの手紙」と「2019年10月29日の会議へのヒギンズへの招待」という名前の2つの添付ファイルが含まれていた。このメールには、2019年10月23日に予定されているハーグでのボナンザのドキュメンタリーの公開上映会への招待状の画像と文章が含まれていた。そのドキュメント・ファイルには、招待状の文案集、「平和な人々のためのグローバルな権利」団体のFacebookページのスクリーンショット、そして奇妙なことに、Bellingcatのエグゼクティブディレクターであるエリオット・ヒギンズによるツイートのリンクが含まれていた。その4日前、エリオット・ヒギンズはこのイベントの招待状を電子メールで受け取り、組織の出自について質問をツイートしていた。GRU職員に送られたメールが、エリオットのツイートに対する反応だったのか、もっと邪悪なハッキング作戦の一部だったのか、あるいは他の動機があったのかは不明だ。(Bellingcatのメンバーは長年にわたり、サイバーセキュリティ専門家がFancy Bearとして知られるGRUのハッキング部門に起因するフィッシング行為の標的になって来た)
「平和な人々のためのグローバルな権利」グループは、その後も上映会を開催し、ジャーナリストや犠牲者の親族で賑わうMH17法廷の建物の前に停められたビデオスクリーンに、3度にわたってボナンザ・メディアのドキュメンタリーを流した。
正統派のクリスマス
2020年1月6日、ロシアのクリスマスイブの前夜、1月中旬まで閉鎖されるこの国で最も眠りの深い時期、モスクワのある場所で慌ただしい動きがあった。そこはホロシェフスコエ・ショセ76BにあるGRUの本部で、チェバノフ大佐は机に向かっていた。午前10時26分、彼はヤナ・イェルラショワにテキストメッセージを送った。彼女はその1分後に彼にメッセージを返した。2人は11時6分まで更にSMSメッセージを交換した。11時42分、イェルラショワは大佐に彼女のパスポートの写真をメールした。更に2人の間で数回のテキストメッセージが交わされた後、15時37分には、ボナンザ・メディアのカメラマンで、以前Zvezda(ロシア国防省が運営するテレビネットワーク)で働いていたRTスタッフのヴィタリー・ビリュコフのパスポートの写真もメールで送ってきたと言う。
チェバノフ大佐は2つのパスポートを受け取った直後、同僚のアンドレイ・イルチェンコ将軍に電話をかけた。彼はGRUの現長官イゴール・コスチュコフの信頼できる仲間だった。携帯電話のメタデータによると、イルチェンコはモスクワ近郊のシュチェルコボ村のSIGINT(諜報活動)軍事基地の近くにいて、その後2日間そこに滞在することになっていた。二人のGRU将校は、夜通し通信を続けた。
1月8日とその翌日、イェラショワはチェバノフ大佐と10回の通話とテキストメッセージを交換し、イルチェンコ将軍と3回の通話をしていた。GRUのチェバノフ大佐は、イェルラショワとの通話(バーナーを使用)とイルチェンコとの通話(通常の携帯電話を使用)を交互に行った。1月9日のイェラショワとチェバノフ大佐の最後のメールのやりとりは、夜遅く、午後10時22分だった。
翌朝、1月10日10時16分、チェバノフ大佐は、4日前にイェルラショワが送った2枚のパスポートのコピーを電子メールでイルチェンコ将軍に転送した。12時22分、アンドレ・イルチェンコは、ロシアが占領するウクライナ東部の未承認ルガンスク人民共和国の自称外務副大臣アンナ・ソロカに一連のテキストメッセージを送信した。12時23分、イルチェンコは、1時間前に連絡を取ろうとして失敗したヤナ・イェルラショワに電話をかけた。二人は1分弱話した。14時20分、イルチェンコ将軍は、その日のうちにチェバノフから受け取った2通のパスポートのコピーをアンナ・ソロカに転送した。
イェルラショワとの電話の直後、イルチェンコがGRUの本部を離れたことが電話のメタデータからわかる。事務所に戻った午後5時前まで電話もメールもしなかったため、正確な動きは分からない。しかし、現地時間午後3時53分、彼はアンナ・ソロカに別のパスポートのコピーの写真を電子メールで送信した。今回、彼はそれを電子メールで受け取っていなかった。つまり、携帯電話にデジタルファイルとして受信するか、自分で写真を撮る必要があったのだ。彼がメールで送ったパスポートのコピーは、ボナンザ・メディアのマックス・ヴァン・デル・ヴァーフのものであった。
ヴァン・デル・ヴァーフのパスポートコピーの未編集の写真には、全てのオリジナルのメタデータが含まれており、イルチェンコがドンバスの連絡先にこの写真をメールする3分前の同日15時49分にiPhone 6sを使って撮影されたことがわかる。イルチェンコが別の日に他の人に電子メールで送った他の写真からも、彼が同じiPhoneのモデルを使い、同じ古いiOSバージョンを使っていることがわかる。このことから、ヴァン・デル・ヴァーフのパスポートコピーの写真を彼自身が撮影した可能性が高いと考えられる。
この写真が撮影された場所はGRU本部から車ですぐの場所であり、イルチェンコはヴァン・デル・ヴァーフ個人、あるいはヴァン・デル・ヴァーフが信頼して自分のパスポートのコピーを持たせた人物に会うために車で来たことを示していると思われる。
マックス・ヴァン・デル・ヴァーフには、ツイッターで何度も連絡を取り、GRUに故意に協力したかどうか、GRUのアンドレイ・イルチェンコと関係があったとしても、その状況について我々の質問に答えることを拒んだ。
私たちはヤナ・イェルラショワに何度も電話をかけたが、彼女は電話に出ないか、連絡がつかない状態だった。ボナンザ・メディアとGRUの関係についての詳細な質問の電子メールは、プレス時間の時点でまだ回答されていません。
「誰がコントロールしているのか?」
イルチェンコがロシアに支配されたLNR(ルハンスク人民共和国)政府の連絡先に電話をかけた背景、そして彼が3枚のパスポート写真を送った理由は、その日のうちに彼がアンナ・ソロカから受け取った返事から明らかになる。16時32分(モスクワ時間)、彼女は彼にこうメールを返した。
このやり取りから、GRUのアンドレイ・イルチェンコは、LNRで彼が信頼している政治的接触者であるアンナ・ソロカに、ボナンザ・メディア・チームが分離主義者が支配するドンバス地域に入って撮影することを許可されるように手配するよう要請したようだ。彼女は、FSBとクレムリンの両方から許可を得る必要があると答えている。先に報告したように、ウクライナ東部のロシアが支援する2つの分離主義地域(LNRとDNR)の政治・経済的支配をめぐって、当初はFSBとGRUが争った後、2014年末にはFSBが優位に立つようになっていた。このことは、GRUが残っている地元の「LNR」忠誠者 - その中でもアンナ・ソロカは高官と思われる - をGRUの特別作戦の支援に使う必要性を説明するものかもしれない(「LNR」はロシアと国境を接しており、MH17が撃墜された「DNR」への通過点であり、ボナンザ・チームはおそらくそこに行く必要があったと思われる。)。
GRUのイルチェンコ将軍が、ロシアの国境を管理する機関であるFSBと直接連携するのではなく、地元の忠実な人物を介してボナンザ・メディアのウクライナ東部への参入を手配しようとしたという事実は、GRUがMH17撃墜に関する偽情報の作成に関心を持つ傑出したロシア保安機関であることも示唆している。これは、MH17便を撃墜したブークミサイルランチャーが、現役のロシア軍部隊である第53対空ミサイル旅団に所属し、運用されていた可能性もあることから説明できる。ロシア軍の部隊による海外での秘密作戦は、通常、ロシアの軍事情報機関によって監督される。これは、GRUが悲劇を引き起こしたことへの関与から目をそらすことに、不釣り合いな既得権益を持っている理由なのかもしれない。
アンナ・ソロカから慎重な回答を得た後、イルチェンコは税関の高官やロシア外務省の高官である兄に電話をかけ続けたことが記録に残っている。その夜遅く、21時40分、彼はヤナ・イェルラショワとチェバノフ大佐に連続して電話をかけ、明らかにポジティブなニュースを伝えている。FSB とクレムリンが計画されたボナンザ・メディアへの訪問から得た利益について、どのような懸念があっても、この数日の出来事が示すように、その懸念は払拭されたようであった。
GRUとのロードトリップ
2020年1月12日午前6時(モスクワ時間)、マックス・ヴァン・デル・ヴァーフはFacebookに次のようなメッセージを投稿した。
その日の夜、イェルラショワとヴァン・デル・ヴァーフは約束のライブ配信のためにロシアの間に合わせのスタジオと思われる場所に腰を下ろした。台本のない、時に混乱したフォロワーへの挨拶で、ボナンザ・チームは「重要な新情報」を受け取ったと説明し、「さらに検証」する必要があり、そのために再びウクライナ東部に行く必要があることを説明した。この新しい情報が何であるかは明らかにせず、彼らはこの旅の費用を支払うために、パトロン経由またはヴァン・デル・ヴァーフのオランダの銀行口座番号に直接、更なる寄付を求めた。
その後数時間で、ヤーナ・イェルラショワとヴァン・デル・ヴァーフがどれだけの資金を調達できたかは不明だが、イルチェンコの携帯電話のメタデータ(ヤナ・イェルラショワと同様に同じモバイルネットワークを利用していれば、通話相手のセルタワー位置がわかる)から、翌日の午後遅くには既に車でロシア・ウクライナ国境へ向かっていたことがわかった。イルチェンコはヤナ・イェルラショワに電話をする合間に、ロシアの税関職員に何度も電話をかけていた。翌日、2020年1月14日、ボナンザ・チームはロストフ・オン・ドンに到着していた。そこからヤナ・イェルラショワは、その日まだモスクワのGRU本部にいたイルチェンコと何度か電話やメッセージを交わした。
翌朝、2020年1月15日に、イルチェンコはGRUの事務所に行ったが、正午頃に帰ったことが通話記録でわかった。シェレメーチエヴォ空港に向かう途中、彼は携帯電話ショップに立ち寄り - おそらく新しいSIMカードを購入し - 彼が所持していたらしい「パスポート」の、実在しないアルメニア人老女の名前で登録させた(SIMカードは、我々が入手した携帯電話のデータ記録から、同じ日に登録されている)。イルチェンコは午後2時過ぎにウクライナ東部の国境に近いロシア最大の都市ロストフ・オン・ドンに飛行機で出発し、午後4時過ぎにロストフのプラトフ空港で携帯電話のスイッチを入れた。午後4時15分、ヤナ・イェルラショワが彼の電話番号に電話をかけてきた。通話は短く、おそらく彼は彼女に新しい秘密の番号からかけ直すと言ったのだろう。彼は15分後、新しいSIMカードから彼女に電話した - そしてまた - 30秒しか続かなかった。
翌2020年1月16日の朝、ヤナ・イェルラショワ、イルチェンコ将軍、チェバノフ大佐、ボナンザ・メディアのカメラマンの間で電話の掛け合いがあり、その後、イルチェンコの電話のデータから判断して、一行はウクライナ国境に向けて移動した。彼らは、1月16日午前11時頃、地理的にはロシアとドンバスの間の主要な国境通過地点がある国境の町ドネツク(ロシア)付近に位置にいた。
その後3日間、ボナンザ・メディア・チームがウクライナ東部でMH17への空対空攻撃の自称目撃者を探していたと思われる。ヤナ・イェルラショワとGRUのアンドレイ・イルチェンコは100回以上連絡を取り合った。分離主義者の領土における携帯電話会社の仕組みのため、ウクライナ側での彼らの動きや、彼らが常に一緒にいたのかどうか、あるいはイルチェンコ将軍がチームと一緒にウクライナに渡ったのか、単にロシア側からボナンザの仕事を促進したのかどうか、判断がつかなかった。注目すべきは、2020年1月18日、彼の携帯電話は終日オフになっていたことで、この日、二人はウクライナ領内にいて、電話で互いに調整する必要がなかった可能性が示唆される。
イルチェンコは1月19日にロストフ・オン・ドンからモスクワに戻り、翌日の彼とイェルラショワの数回の通話から、ボナンザ・メディアのチームは2020年1月20日に車で戻ってきたことがわかる。
ボナンザリークスの夜明け
ボナンザ・メディア・チームがウクライナ東部から帰国してからちょうど10日後、再びGRUの連絡先から電話がかかってくるようになった。2020年1月31日午後3時過ぎ、ヤナ・イェルラショワはイルチェンコからテキストメッセージを受け取り、その後チェバノフ大佐と電話、更に6通のテキストメッセージのやりとりをした。2人のGRU将校は、その後24時間の間に29回、彼女と連絡を取り合った。
翌日、チェバノフ大佐とヤナ・イェルラショワの間で 1 回の電話と 4 回のテキスト メッセージの交換が行われた後、ハッシュタグ #BonanzaLeaks を使用して、ボナンザ・メディアのツイッター・アカウントがJIT初の「リーク」内部文書を公開した。- この後、数ヶ月の間に何度も繰り返されることになる。
この調査の第2部では、BonanzaLeaksの起源、およびMH17の調査を標的としたその他の偽情報プロジェクトを検証する。