ドイツのロシア系マイノリティーが極右を後押しする可能性
オルターナティブ・フュア・ドイッチュラント(AfD)のロシア語話者への求愛は、今週末の有権者の投票時に配当をもたらすかもしれない。
The Guardian 9/22/2017の記事の翻訳です。
彼らは、今週末のドイツ連邦選挙で右翼ポピュリストの「Alternative für Deutschland」(AfD)を第3党に押し上げる可能性がありながら、ドイツの最大政党からはほとんど無視されている「見えない」少数民族である。
ドイツには140万人から400万人のロシア語母語話者がいると推定され、その多くは18世紀と、19世紀のソ連崩壊後にドイツに戻り市民権を得た移住者の子孫である。
モスクワとドイツの極右政党はこのディアスポラコミュニティーに積極的に働きかけ、西側民主主義に幻滅した有権者を再び取り込もうとする新たな取り組みが始まっている。
3月から、国が支援する連邦ロシア語圏の親達の会(BVRE)は、主要政党の政治家を招いてのパネルディスカッションを開催している-もちろんロシア語で。
BVREの設立者の一人で、理事を務めるヴィクトール・オストロフスキーは、「この討論会の目的は、人々が既存の政治システムに参加していると感じ、それによって彼らを政治システムに引き戻すことです」と語る。
2児の父であるオストロフスキーは、ソ連崩壊直後の1990年代前半にサンクトペテルブルクからドイツに渡ってきた。「すでに決心している人達の心を変えることはできない。私達は、まだ決めかねている人達のために戦っているのです」と付け加えた。
ドイツの「ロシア系ドイツ人」は、ロシアだけでなくカザフスタン、ウクライナ、キルギスなどさまざまな背景を持つ人々を含むため、しばしば緩やかに使われるが、当初は懐疑的に見られていた。しかしやがて、母語に堪能で、他の移民コミュニティーよりも失業率が低く、モデル移民と見なされるようになった。2013年のある報告書は、ロシア系ドイツ人の政治への関心の低さを嘆くだけだった。
しかし、2015年の難民危機と、それに続く移民の利益に関するもめごとが、コミュニティーの大部分を政治的に変化させた。ベルリンの看護師オルガ・ヴィトリフのように、多くの人々がAfDに関与するようになった。AfDは選挙戦の終盤に急増し、連邦議会で3番目に大きな勢力となる勢いである。
「この人達がドイツに来たかった理由は理解できる」とヴィトリフは2015年に到着した人達について語った。「でも、不法入国した人達との連帯は感じられない。」彼女は、他民族への恐怖に駆られるのではなく、ロシア系ドイツ人は、ほとんどの生粋のドイツ人よりも統合の課題を評価できる立場にあると主張した。「異民族が共存する国がいかに政治的に不安定になるかを、私達は目の当たりにしてきたのです。」
AfDは、ドイツでロシア語を母国語とする人々の票を獲得するためにわざわざ行動している唯一の政党である。昨年秋には早くもベルリンの地方選挙を前にロシア語のチラシを配り、8月には民族主義派の有力者がマグデブルクで「ロシア会議」を開き、講演者は来るべき「イスラムの侵略」を警告し、プーチン大統領を賞賛した。
ロシアの野党指導者、故ボリス・ネムツォフの名前で設立された財団が最近行ったある調査では、ドイツのロシア語を話す少数派の大多数は、たとえ両方の言語に堪能であっても、ドイツのメディアよりもロシアの情報源をより信頼していることが明らかにされた。
また、世論調査対象者の大多数が、ロシアの民主主義よりもドイツの民主主義を高く評価していると答えたが、支持率は高齢者よりも若年層でかなり低かった。
オストロフスキーらは、いわゆる「リサの事件」の反動で、このイニシアチブを推し進めることにした。2016年1月、ロシアのメディアは「リサ」という名の少女がベルリンで難民にレイプされたと報じていた。
ドイツ警察はこの疑惑を否定したが、それでもドイツ全土から数千人のロシア語話者が街頭に出て、メルケル首相の移民政策に抗議した。「問題の大きさがわかったので、それに対処しようと思ったのです」とオストロフスキーは言う。
しかし、リサの事件の発端となったベルリンの同じ地区、マルツァーンで最近行われたイベントは、今後の政治的課題の大きさを示すものでもあった。
灰色の団地に囲まれたコミュニティセンター内で、メルケル首相のキリスト教民主党、社会民主党、緑の党、左翼党、AfD、(それぞれの党)からロシア語を話す政治家が、2016年1月にロシアのテレビ報道で「リサのおじ」として証言したAfDのリヒテンベルク支部員、ティモフェイ・ヴァイゲルを含む聴衆からの質問に向き合った。
「既に何人のテロリストが侵入していると思いますか?」とヴァイゲルは、メルケル首相のCDUでマルツァーン(地区)で立候補しているメディナ・シャウベルトに質問した。「そして、この問題を提起すると、なぜ我々はポピュリストと呼ばれ、あなたは治安を気にすると言われるんですか?」
シャウベルトはこれに対し、最初の難民流入時には極端な状況だったが、現在は問題を解決するために「試行錯誤された構造」が導入されていると述べた。「全ての難民がテロリストというわけではありません」と付け加えた。
ドイツに政治亡命したウクライナ東部の元親露右翼活動家オレグ・ムシカが、西側によるウクライナ革命の「工作」疑惑について、こう質問した。「難民を出さないために、ドイツは他国の内政に関与しない方がいいのでしょうか?」
メディナ・シャウベルトは、各国が「理由もなく関与することはないです」と反論しようとしたが、すぐに聴衆の叫び声に遮られた。「カダフィの時代には少なくとも共産主義があったのに、今はどうなんだ?少なくとも彼は安定を提供したのだ!」
その中で唯一、聴衆からの罵声を浴びずに発言できたのは、AfDが最近設立したロシア語圏のグループ、セルゲイ・チェルノフで、対ロシア制裁でドイツ経済は十分苦しんできたと主張した。「私達の党は制裁に反対です。ウクライナを見ればわかるように、制裁は無駄だ」と述べた。彼の発言には、この夜唯一の拍手が贈られた。