ロシアのネオナチがドイツのフーリガンのロールモデルになった経緯:デニス・ニキーチンはビジネス、格闘技、ネットワークを駆使して自らの意見を売り込んできた
The Moscow Times 2017年11月28日の記事の翻訳です。記者:Robert Claus 写真:Denis Vyshinsky / タス通信
2014年1月18日、 ケルンは涼しいが穏やかな土曜日。
FC ケルンとシャルケ 04 が親善試合を行っている一方、ベルリンではサッカーファンの多様性と権利に関する会議が開催されている。
しかし、街中で大規模な暴動が勃発すると、この出来事はすぐに忘れ去られる。200人のフーリガンと暴力的な過激派が、いわゆる「試合」を企画したのだ。
警察が介入し、その芽を摘んだが、1人が頭部に命にかかわる怪我を負った。ケルン側はドルトムントのフーリガンと、ヨーロッパのフーリガン界で最も重要な人物の一人: モスクワ出身の極右サポーターで、ネオナチ格闘技ブランド「ホワイトレックス」の創設者であるデニス・ニキーチンに支援されていた。
「俺達は勝った。残念なことに、この件は全て法廷に持ち込まれ、俺は容疑者の一人になってしまったが、素晴らしい一日だった」とニキーチンは2017年初頭、ウクライナのウェブサイト『troublemakers.com』のインタビューで語っている。
「シャルケのファンはフィールドに出ようとしないで、昔のように街中で戦いたかったんだ。」
「本当の男」の友情
ニキーチンと街のフーリガンの関係は、単なる一時的なものではない。「今ではケルンの人々のために戦っている」と彼は言う。
これは発展したネットワークである。ケルンのファンは何年も前からロシアのネオナチ界とのつながりを求めていた。2013年秋、ケルンのフーリガンはモスクワで開催された非常に珍しいサッカー大会に参加した。
CSKAモスクワの 「N-troops(N部隊) 」や 「Warriors(戦士)」、ネオ・ファシストの 「Simple Youth (シンプル・ユース)」などのグループと並んで、「Hooligans Cologne(フーリガンズ・ケルン) 」の旗が手すりからぶら下がっていた。会場には、ルーン文字、ドクロ、ケルト十字架が飾られていた。ラベルにヒトラーの肖像が描かれたボトルからワインが振る舞われた。
大会の後、もうひとつの "試合 "(ケンカ)があった。ケルンのファン8人がモスクワのいわゆる 「キンダーガーデン(幼稚園)」と対決し、ひどく打ちのめされた。ケルンの首謀者はすぐにノックアウトされ、部下の一人は顔に骨折を負った。ニキーチンは、ケルンの男達と共に戦った。
彼は年に数回ライン川沿いの街を訪れ、流暢なドイツ語を話す。彼のフェイスブックの連絡先を調べると、プロフィール写真や名前に「ケルン」という言葉が入っていることから、その多くがケルン出身であることがすぐにわかる。
フットボールチームの旗の前で格闘技の道具を身に着けてポーズをとる者や、ウルトラ・グループ 「Boyz 」のTシャツを着ている者もいる。三ヶ国語で 「Ultra Violence 」と書かれたTシャツを着ている者もいる。これは単に暴力を擁護する右翼のシャツではない。これはホワイトレックスに属するもので、こうしてこのブランドはネット上で地位を確立したのだ。
「俺達はケルンやドルトムントの連中と本当の意味での男の友好関係を築いた。俺達はナショナリズムの思想によって結ばれたんだ。」- ニキーチンはドイツとのつながりをそう語る。
しかし、サッカーとの関係は徐々に消えつつある。
「ドイツのグループはとっくにクラブから切り離され、自分達だけでやっている。ケルンでは、クラブのために戦うのではなく、ドルトムントの男達と自分達のために戦うというところまで来ている。自分達の街、自分達の地域のために戦っているんだ。」とニキーチンは言う。
政治的にはドイツの極右政党AfDを支持している。
右翼ビジネス
ニキーチンは2008年にネオナチと格闘技のブランド「ホワイトレックス」を設立した。
それ以来、彼は極右をターゲットにした一連の格闘技トーナメントをヨーロッパ各地で開催している。最初はロシアで始まったが、最近ではイタリア、ハンガリー、ギリシャでも開催されている。
「ウォリアー・スピリット」と名付けられた最初の大会は、MMA(総合格闘技)の予選トーナメントだった。これらの初期の大会は、ロシアの大都市から遠く離れたヴォロネジやノヴォロシースクといった場所で開催され、10人のファイターと20人の観客が小さな部屋で行われることもあった。ファイターは、サンクトペテルブルクやモスクワで開催される右翼のチンピラ達のための大きなトーナメントに出場する資格を得ることができた。
『troublemakers.com』のインタビューで、ニキーチンは自身の人種差別的な考え方について率直に語っている。「俺は白人の若い男(と若い女)に自分の強さを試す機会を与えている。より健康に、より強くならなければならない」と彼は言う。ニキーチンは禁欲的な 「健康ナチス 」なのだ。
ニキーチンが主催する他のトーナメントシリーズには、ドルトムントのフーリガン、ティモ "フリッツ "Kが参加した2013年10月の 「Birth of a Nation 」や、新進気鋭のファイター達が自達の力を証明する 「Young Storm League」などがある。
イベントには多くの観客が訪れ、1,500人もの観客が会場を埋め尽くす。ニキーチンは、このような大規模なイベントの企画をうまくこなしている。
ホワイトレックスはプロフェッショナルに運営されている。よくできたビデオとモダンなデザインでイベントを宣伝している。ニキーチンはネオナチであると同時にビジネスマンでもある。彼は自分の業界以外の人々にもアプローチしたいと考えており、スポーツ イベントだけに限定されないビジネス プランを持っている。
ホワイトレックスはまた、極右のハイキング・グループ 「ザ・ヴァンダルズ 」を持ち、アウトドア用品を販売している。
「俺にはグローバルな使命があり、現代生活のあらゆる要素をカバーする必要がある。」とニキーチンは続ける。「ホワイトレックスは、人生に対する代替的なアプローチであり、衣料品、トーナメント、スポーツ栄養学、ジムなど、全てを網羅したいと考えている。」
ニキーチンは、国家社会主義を包括するサプライヤーのような大物になりたいと考えている。
モスクワのフーリガン・シーンの出身で、多忙なキャリアを持ち、国際的なネットワークにも広く通じている。22歳でフーリガン・シーンに入り、4年後にはCSKAモスクワに近いグループ "ヤロスラフカ "のメンバーになった。
「あれは全くの偶然だった。サッカーは好きじゃない。ボクシングが好きなんだ。サポーターとしてチームと一緒にチャントを唱えても、僕にはあまり意味がない。アドレナリンが出たり、街中で敵対してる相手を追い詰めたり、乱闘(全面対決)になったり、サッカーの裏にあるアクションが好きなんだ。」
彼はロシアのフーリガン・シーンと深く結びついており、2016年には多くの人々と共にマルセイユで開催された欧州選手権に足を運び、港で暴動を起こした。ニキーチンはこの中の小さなグループのリーダーだった。
また、ロシア国内外で護身術やナイフ・ファイティングの講座も開いている。ブログukrainianpolicy.comによると、2014年には「London New Right(ロンドン新右翼)」の会議に招かれ、講演を行った。
それ以前には、ウェールズにあるイギリスのネオナチのトレーニング・キャンプでフィットネスコースを指導したこともある。自身のブランドを通じてレギア・ワルシャワやスパルタ・プラハのファンとも交流があり、キーウでトーナメントを開催するなどウクライナ人とも親交がある。
この関係は、ドンバスにおけるロシアとウクライナの戦争の影響をあまり受けていないように見える。
「ロシアの世界という考えは好きだが、まずはロシア国内でこの世界を確立しなければならない」とニキーチンは言い、ロシア国内の多文化主義、特にチェチェン人とタジク人についての独白を始めた。
「だからこそ、多くのロシア人とウクライナ人の優秀な若者が巻き込まれたのはとても悲しい」と彼は戦争についての考えをはっきりと述べている。
ニーベルンゲンの戦い
ナチス・ビジネス、様々な現代格闘技、そして国際的なネットワークを持つニキーチンは、ヨーロッパ極右の重要人物のひとりに成長した。彼は、暴力、連帯、政治的憎悪の祭典という新しいタイプのイベントによって、フーリガンをナチスの世界に引き込もうとしている。
彼はこれをドイツ市場にまで持ち込んだ。前述のパートナーと共に、極右団体 「Hammerskins(ハンマースキンズ)」が主催する格闘技イベント 「The Nibelungen Fight (ニーベルンゲンの戦い)」のスポンサーを務めた。彼は講演者として、また格闘家として自らも参加した。
この大会の名前は、中世ゲルマンの武勇伝に登場する、竜を退治したジークフリートが犠牲者の中の1人の血を浴びることで無敵になるという物語にちなんでいる。しかし、彼の肩は葉で覆われており、無防備なままである。大会のロゴには小さな葉っぱが描かれており、国民的叙事詩の一部であるという大会主催者のセルフイメージに一役買っている。
2013年以来、「ニーベルンゲンの指環」として知られるイベントが秘密の場所で開催されており、一種の秘密のナチスコンサートとして準備されている。チケットを購入するために匿名のアドレスにEメールを送り、通常はドルトムントにある私書箱の番号を受け取り、そこにお金を振り込む。
イベント当日は、様々な集合場所や他の電話番号につながる電話番号が送られ、最終的に正確な場所が知らされる。
最初の数年間はアイフェル山系のドイツ側にある温泉街で行われていたが、2016年はヘッセン州のゲミュンデで開催された。これは、議会の質問に対する政府の回答で確認された。
会場では、ホールの中央にロープを張ったリングが作られ、そこでキックボクシングに似たK-1ボクシングと総合格闘技の試合が行われる。周囲には椅子が置かれ、立ち見席もある。
長年にわたり、演奏される音楽は、現在のポップ・グループと、StahlgewitterやLandserといったシーンに関連するバンドとが交互に演奏されて来た。
Ansgar Aryan、Pride France、White Rexなどのブランドから、Tシャツ、ステッカー、スポーツ用品などのグッズが販売されている。また、出演バンドのレコードも購入する事ができる。
ロシア人客のおかげで、ヴィーガン・スープは好まれるスナックとして定着した。なぜなら、この業界関係者によると、ロシアのネオナチの多くは 「ストレート・エッジ 」思想を採用していると言う。
そのため、ドイツ人ビール愛飲家達からは、鼻にしわを寄せて皮肉を言われることもある。しかし、ドイツでもヴィーガンのナチスや「ニップスター(ナチスのヒップスター)」が目立つようになってきている。
初回の大会には、観客とファイター合わせて約100人しか来なかった。その後、観客は増え、2016年には観客が約180人に達した。
ここに来るのは、ドイツの極右勢力の中心地であるドルトムント、ザクセン、テューリンゲンから来たフーリガンだけではない。
2016年、ニーベルンゲンの戦いでビーレフェルト出身のフーリガンがアドルフという名前を使って戦った。彼は暴力的な右翼グループ 「Venomous Generation 」のメンバーで、アルミニア・ビーレフェルト周辺の過激派とフーリガンの寄せ集めだった。午後から夕方にかけて、20以上の試合が行われた。
このイベントの中心であり、ファイター達にとって極めて重要なのは、肉体の完璧さと自制心というファシスト的な考えと、民主主義体制への敵意である。
「ドイツのほとんどの“ファイトナイト”では、参加はファイター個人の自由民主主義体制の受け入れに大きく左右されるが、ニーベルンゲンの戦いは自らを衰退する政治体制の一部とは考えず、むしろこの体制に代わる基本的要素としての地位を確立し、これをより広く普及させることを目指している」と、この試合(大会)のホームページでは民主主義に対する彼らの見解を説明している。
ニーベルンゲンの戦いは、右翼フーリガン、ネオナチ・ギャング、有名な国際的右翼武道家にとって重要な出会いの場である。特にニーベルンゲンの戦いが2017年夏にドイツ特許商標庁に商標登録されたことから、この格闘技イベントが更に発展し、大きくなる可能性は大いにある。
彼らは自由市場に参入したがっている。ドイツの右翼フーリガンはよりプロフェッショナルになった。彼らは自分達でイベントを企画し、レーベルを運営し、国際的なネットワークを持っている。ロシアは彼らに前例を提供している。
ニキーチンは2017年10月、ドルトムントとケルンの同志を訪ねたが、おそらくこれが最後ではないだろう。
これはロバート・クラウス著『フーリガン:サッカー、暴力、政治の世界』の「暴力をプロフェッショナル化するフーリガン」という章からの抜粋である。