ヘルタ・ミュラーからの公開書簡
Truth of the Middle East に掲載された2024年6月5日の記事の翻訳です。
彼女は現代ドイツの最も偉大な作家の一人です。今、ノーベル賞受賞者のヘルタ・ミュラーは、西洋社会に衝撃的な警鐘を鳴らしています。ハマスがイスラエルを攻撃して以来、西洋社会の一部を襲っている狂気です。
彼らは怪物化した
ガザでの戦争について語られるほとんどの筋書きは、戦争はそれが始まった場所で始まっているわけではない。戦争はガザで始まったのではない。戦争は、エジプトとシリアがイスラエルに侵攻してからちょうど50年後の10月7日に始まった。パレスチナのハマスのテロリストらは、イスラエルで想像を絶する大虐殺を行った。彼らは自分達を英雄として撮影し、流血を祝った。彼らの勝利の祝賀はガザでも続き、テロリスト達はひどく虐待された人質を引きずり出し、歓喜に沸くパレスチナ住民に戦利品として差し出した。この不気味な歓喜はベルリンにまで及んだ。ノイケルン地区では路上でダンスが繰り広げられ、パレスチナ人組織サミドゥンがお菓子を配った。インターネットは喜びのコメントで賑わっていた。
この虐殺で1200人以上が死亡した。拷問、切断、レイプの後、239人が拉致された。ハマスによるこの大虐殺は、文明からの完全な脱線である。この血への渇望には、もはや現代では考えられない古代の恐怖がある。この大虐殺には、ポグロムによる絶滅のパターンがある。ユダヤ人が何世紀も前から知っているパターンだ。国全体がトラウマを負っているのはそのためだ。何故ならイスラエル建国は、このようなポグロムから身を守るためのものだったからだ。そして10月7日までは、守られていると信じられていた。1987年以来、ハマスがイスラエル国家の首根っこにすがりついているのにだ。ハマスの建国憲章には、ユダヤ人の絶滅が目標であり、「神のための死が我々の最も崇高な願いである」と明記されている。
それ以来、この憲章に変更が加えられているとはいえ、何も変わっていないことは明らかだ。ユダヤ人の滅亡とイスラエルの破壊がハマスの目標であり願望であることに変わりはない。これはイランと全く同じだ。イラン・イスラム共和国でも、ユダヤ人の破壊は建国以来、つまり1979年以来の国家の教義である。
ハマスのテロについて語る時は、常にイランも議論に加えるべきだ。同じ原則が当てはまるからこそ、兄イランは弟ハマスに資金を提供し、武器を与え、子分にするのだ。どちらも容赦のない独裁者だ。そして私達は、独裁者は長く支配すればするほど過激になることを知っている。今日、イラン政府は強硬派だけで構成されている。革命防衛隊を擁するムラーの国家は、不謹慎に拡大する軍事独裁政権である。宗教はカモフラージュにすぎない。政治的イスラムとは、人間蔑視、公開鞭打ち、死刑判決、神の名による処刑を意味する。イランは戦争に執着しているが、同時に核兵器は作っていないと偽っている。いわゆる神権政治の創始者であるアヤトラ・ホメイニは、核兵器は非イスラム的であるとする宗教令(ファトワー)を発布した。
2002年、国際査察団は既にイランの秘密核兵器開発の証拠を発見していた。ロシア人が爆弾開発のために雇われた。ソ連の核兵器研究の専門家が何年もイランで働いていた。イランは北朝鮮に倣って核抑止力を実現しようとしているようだ - これは恐ろしい考えだ。特にイスラエルにとって、そして全世界にとって。
ムッラー(イスラム教シーア派)とハマスの戦争への執着は、ユダヤ人抹殺ということになると、シーア派とスンニ派という宗教的な隔たりさえ超えてしまうほど支配的だ。他の全ての人々は、この戦争への執着に従属させられている。住民は意図的に貧困に陥れられ、同時にハマス指導者の富は計り知れないほど増えている。カタールでは、イスマエル・ハニエが数十億ドルを自由に使えると言われている。そして、人間蔑視はとどまるところを知らない。住民にとって、殉教以外に残されたものはほとんど何もない。軍事+宗教という完全な監視体制。文字通り、ガザのパレスチナ政治に異論を挟む余地はない。ハマスは信じられないような残忍さで、ガザ地区から他の全ての政治潮流を追い出してきた。2007年にイスラエルがガザ地区から撤退した後、ファタハのメンバーは邪魔者として15階建てのビルから投げ出された。
私達の感情は彼らの最強の武器だ
こうしてハマスがガザ地区全体を掌握し、揺るぎない独裁体制を確立した。誰からも挑戦されないのは、独裁政権に疑問を呈する者は誰も長生きしないからだ。ハマスは住民のための社会的ネットワークの代わりに、パレスチナ人の足下にトンネルのネットワークを構築した。国際社会から資金援助を受けている病院や学校、幼稚園の下にもだ。ガザはひとつの軍事バラックであり、地下には反ユダヤ主義のディープステイト(深層国家)がある。完全でありながら目には見えない。イランではこう言われている: イスラエルは国民を守るために武器を必要とする。そしてハマスには、兵器を守るために国民を必要とする。
このことわざは、ガザでは民間人と軍人を分けることができないというジレンマを端的に表している。そしてそれは建物に限ったことでなく、建物内の人員にも当てはまる。イスラエル軍は10月7日の対応で、この罠にはまることを余儀なくされた。誘い込まれたのではなく、強いられたのだ。自衛を強いられ、民間人の犠牲者を伴うインフラを破壊することで自らを有罪にせざるを得なかったのだ。そして、この必然性こそ、ハマスが望み、利用しているものなのだ。それ以来、ハマスが世界に発信するニュースを演出している。苦しみの光景は、日々私達を不安にさせる。しかし、ガザで独自に活動できる戦争記者はいない。ハマスが映像の選択をコントロールし、私達の感情を操っているのだ。私達の感情は、イスラエルに対するハマスの最強の武器なのだ。そして、画像を選別することで、パレスチナ人の唯一の擁護者であるかのように見せかけることさえできる。この皮肉な計算は功を奏している。
「普通の男性」
10月7日以来、私はナチス時代に関する一冊の本、クリストファー・R・ブラウニング著『Ganz normale Männer(普通の男)』について何度も考えている。彼は、アウシュビッツの大型ガス室や火葬場がまだ存在しなかった頃、予備警察大隊110がポーランドのユダヤ人村を殲滅させた様子を描いている。それは、音楽祭やキキブツでのハマスのテロリスト達の血に飢えた行為のようだった。1942年7月のたった1日で、ヨゼフォフ村の1500人のユダヤ人住民が虐殺された。子供や幼児は家の前の通りで、老人や病人はベッドの上で射殺れた。他の全ての人々は森に追いやられ、そこで裸にされ、地面を這うように歩かされた。彼らは嘲笑され、拷問され、そして射殺され、血まみれの森に横たわったまま放置されれた。殺人は予期に反するものになった。
この本は「Ganz normale Männer(ごく普通の男たち)」と題されている。なぜなら、この予備警察大隊はSS隊員やドイツ国防軍兵士ではなく、高齢のため兵役に適さないと見なされた民間人で構成されていたからだ。彼らは完全に普通の職業に就いていたが、怪物に変身した。この戦争犯罪事件の裁判が始まったのは1962年になってからだった。裁判の記録によれば、何人かの男達は「その一部始終に大興奮」していた。そのサディズムは、新婚の大尉が新婚旅行を祝うために妻を虐殺現場に連れてくるほどだった。血への渇望は他の村でも続いたからだ。そして、その女性は持参した白いウエディングドレスを着て、市場の広場に集められていたユダヤ人達の間をぶらぶらと歩き回った。訪問を許された妻は彼女だけではなかった。裁判資料の中で、ある中尉の妻は次のように語っている:「ある朝、私は夫の宿舎の庭で朝食をとっていたところ、彼の小隊の素朴な男が近づいてきて、硬い姿勢でこう言った。『中尉さん、私はまだ朝食をとっていません』夫が怪訝な顔をすると、彼は更にこう説明した。『私はまだユダヤ人を殺していません。』
もはや自由を実感できない
10月7日の事でナチスによる大虐殺について考えるのは正しいことなのだろうか?私はそうするのが正しいと思う。なぜなら、ハマス自身がホロコーストの記憶を呼び起こしたかったからだ。そして、イスラエル国家がもはやユダヤ人の生存を保証するものではないことを示したかった。彼らの国家は蜃気楼であり、ユダヤ人を救うことはできない。論理的に考えれば、ホロコーストという言葉に近づくことは禁じられている。しかし、なぜ禁じなければならないのか?なぜなら、あなたが抱く感情は、この脈打つような接近を避けることができないからだ。
そして、ナチスを思い起こさせる別のものが思い浮かぶ。パレスチナ国旗の赤い三角形だ。強制収容所では、共産主義者の囚人のシンボルだった。そして今日は?今日、それはハマスのビデオやベルリンの建物のファサード(正面)で再び見ることができる。ビデオでは、殺人を呼びかけるものとして使われている。ファサードでは、攻撃されるべき標的を示している。テクノクラブ「アバウト・ブランク」の入り口には、大きな赤い三角形がそびえ立っている。何年もの間、シリア難民やゲイのイスラエル人は当たり前のようにここで踊っていた。しかし、今ではもう当たり前のことなど何もない。今、赤い三角形が入り口の上で叫んでいる。リビアとモロッコ出身のユダヤ人家族を持つレイバー(ナイトクラブで遊ぶ人達)は今日、こう語る: 「政治情勢は全ての悪魔を目覚めさせる。右派にとって、我々ユダヤ人は十分に白くない(白人ではない)。左派にとって、我々はユダヤ人は白過ぎる(白人に近すぎる)」。ユダヤ人への憎悪はベルリンのナイトライフにも根付いている。10月7日以降、ベルリンのクラブシーンは文字通り萎縮した。彼らのようなレイバーである若者364人が(ガザの)テクノ・フェスティバルで惨殺されたにもかかわらず、クラブ協会は数日後までそれについてコメントしなかった。それも単なるおざなりの行動に過ぎず、反ユダヤ主義やハマスについては言及さえされなかった。
私は30年以上も独裁国家に住んでいた。そして西ヨーロッパに来た時、民主主義がこのような形で疑問視されるなど想像もできなかった。独裁政権下では、人々は組織的に洗脳されるものだと思っていた。そして民主主義国家では、個人が重要視されるため、人々は自分の頭で考えることを学ぶのだと。独裁政権下では、独自の思考は禁じられ、強制的な集団が人々を訓練する。個人は集団の一部ではなく、敵なのだ。私は、欧米の若者や学生達があまりに混乱し、自分達の自由を認識できなくなっていることに愕然とする。民主主義と独裁を区別する能力を失っているようだ。
また、アメリカの多くの大学の学生達がデモで「我々はハマスだ」とか「愛するハマスよ、テルアビブを爆撃せよ!」とか「1948年に戻れ」と叫ぶ時、自分達が何をしているのか分かっているのだろうかと不思議に思う。まだ無邪気なのか、それとも既に白痴なのか。10月7日の大虐殺は、もはやこれらのデモでは言及されていないが。そして、10月7日がイスラエルによる演出とさえ解釈されること、人質の解放要求についても一言も語られないことは言語道断だ。それどころか、イスラエルのガザでの戦争が、植民地支配国による恣意的な征服と殲滅の戦争として描かれている。
若者はTiktokのクリップしか見ないのだろうか?一方、フォロワー、インフルエンサー、活動家という言葉は、もはや私にとって無害であるとは思えない。これらの洗練されたインターネット用語は深刻だ。それらは全てインターネット以前から存在していた。私はそれらを当時の言葉に翻訳する。すると突然、それらは板金のように硬くなり、過度に明確になる。インターネットの外では、それらは崇拝者、影響力のある工作員、積極行動主義者を意味するからだ。まるでファシストや共産主義の独裁者の訓練場から引き継いだかのように。それらの柔軟性は、いずれにせよ幻想だ。と言うのも、私はこの言葉がその言葉通りの働きをすることを知っているからだ。彼らはそれらは集団内の日和見主義と服従を促進し、人々がグループの行動に対する責任を取ることを免除する。
ほんの数カ月前まで、『女性、生命、自由』をスローガンにイランの弾圧に抗議していた学生達がデモに参加していたとしても、私は驚かない。同じデモ参加者が今日、ハマスとの連帯を表明していることに私は愕然とする。彼らはもはや、その内容のひどい矛盾を理解していないように思える。そして、ハマスが女性の権利を訴えるどんな小さなデモさえ許さないことを、なぜ気にしないのだろう。そして10月7日、暴力を受けた女性達が戦利品としてパレードされたことも。
ワシントン大学のキャンパスで、デモ参加者達が娯楽として集団ゲーム「人民法廷」で遊んでいる。大学の代表者が面白半分に裁判にかけられる。そして判決が下されると、全員が大合唱する: 「絞首台へ」とか「ギロチンだ」と大合唱する。拍手と笑いが起こり、彼らは自分達のキャンプ地を「殉教者の場所」と名付ける。ハプニングという形で、彼らは自分達の集団的愚かさを、澄んだ良心とともに祝うのだ。今日の大学では何が教えられているのだろうか。
20世紀の惨事の原因である大衆の感受性は、新たな展開を見せようとしているのだろうか?複雑な内容、ニュアンス、文脈や矛盾、妥協はメディアの世界では馴染みのないものだ。
このことは、オーバーハウゼン短編映画祭に対するネット活動家達の愚かな呼びかけにも表れている。この映画祭は、世界最古の短編映画祭であり、今年で70周年を迎える。多くの偉大な映画作家達が、初期の作品をこの映画祭で発表し、キャリアをスタートさせた。ミロシュ・フォアマン、ロマン・ポランスキー、マーティン・スコセッシ、イシュトヴァーン・サボー、アニエス・ヴァルダなどだ。ハマスがベルリンの街頭で祝った2週間後、映画祭ディレクターのラース・ヘンリック・ガスは次のように書いている。2022年3月、ロシアのウクライナ侵攻に抗議するため、50万人の人々が街頭に繰り出した。それは重要なことだった。どうか今、同じように強いメッセージを送らせて欲しい。ノイケルンのハマスの友人やユダヤ人を憎む者は少数派であることを世界に示してほしい。みんな来てくれ!お願いだ!」
これはインターネット上で敵対的な反応を引き起こした。匿名のグループが、パレスチナ解放への連帯を悪者扱いしていると非難したのだ。そのグループは、映画祭への参加を考え直すよう国際映画界に「働きかける」と断言した。これはボイコットの暗黙の呼びかけであり、多くの映画人がそれに従い、参加を取りやめた。ラース・ヘンリック・ガスは、私達は現在、政治的議論の後退を経験していると言っている。政治的思考の代わりに、政治に対する難解な理解が蔓延している。その背後には、一貫性を求める欲求と、同調圧力がある。アートシーンにおいても、イスラエルの生存権を擁護することと、イスラエル政府を批判することの区別がつかなくなっている。
だからこそ、ガザでの多くの死者や苦しみに対する世界的な怒りが、ハマスの戦略の一部ではないのかどうか、検討すらされないのだ。ハマスは人々の苦しみに耳を貸さず、盲目なのだ。そうでなければ、なぜ援助物資の多くが到着するケレム・シャローム国境交差点に発砲するのか。あるいは、援助物資がまもなく到着する仮設港の建設現場で発砲する理由が他にあるだろうか?シンワルやハニエからは、ガザの人々に対する同情の言葉は一言も聞かれない。そして、和平への願望の代わりに、イスラエルが果たせないとわかっている最大限の要求を突きつけるだけだ。ハマスはイスラエルとの永続的な戦争に賭けている。それがハマスの存続を保証する最善の方法だからだ。ハマスはまた、いかなる犠牲を払ってでもイスラエルを国際的に孤立させることを望んでいる。
トーマス・マンの小説『ファウスト博士』では、国家社会主義は「ドイツ的なもの全てを世界にとって耐え難いものにした」と言われている。ハマスとその支持者の戦略は、イスラエル的なもの全てを、したがってユダヤ的なもの全てを、世界にとって耐え難いものにすることだという印象を私は持っている。ハマスが望んでいるのは、反ユダヤ主義を恒久的な世界的ムードとして維持することだ。だからこそ、ホロコーストの再解釈も望んでいるのだ。ナチスの迫害とパレスチナへの救出飛行もまた、問題視されることになる。そして最終的には、イスラエルの生存権も。この工作は、ドイツのホロコースト追悼は、西欧系白人によるイスラエルの「入植計画」を正当化するための文化的武器としてしか機能していないとまで主張する。加害者と被害者の関係をこのように非歴史的かつ冷笑的に逆転させるのは、ホロコーストと植民地主義を区別することを妨げるためである。こうした積み重ねによって、イスラエルはもはや中東における唯一の民主主義国家ではなく、植民地主義的なモデル国家とみなされる。そして、盲目的な憎悪が正当化される永遠の侵略者として見なされる。そして、その破壊を望むことさえある。
ユダヤの詩人イェフダ・アミハイは、ヘブライ語の愛の詩は常に戦争についての詩であると言う。多くの場合、それは戦争の最中の戦争についての詩である。彼の詩「エルサレム1973」は、ヨム・キプール戦争を彷彿とさせる:
1969年にポール・ツェランがイスラエルを訪れた時、アミハイはツェランの詩を翻訳し、ヘブライ語で朗読した。ここで2人のホロコーストの生存者が出会った。イェフダ・アミハイは、両親がヴュルツブルクから逃れてきた時、ルートヴィヒ・プフォイファーと呼ばれていた。
イスラエルへの訪問はツェランを刺激した。彼は、殺害された両親とは異なり、パレスチナに逃れることができたルーマニアのチェルノヴィッツ出身の学校の友人達と出会った。ポール・ツェランは訪問後、セーヌ川で亡くなる直前にイェフダ・アミハイに手紙を書いている: 「親愛なるイェフダ・アミハイ、私達の会話の中で自然に口から出てきた言葉を繰り返そう: イスラエルのない世界を想像することはできない。また、イスラエルのない世界を想像したいとも思わない。」
著者:ヘルタ・ミュラー
作家でありノーベル賞受賞者でもある彼女は、5月25日にストックホルムで開催された「スウェーデンのユダヤ文化」の10月7日フォーラムでこの文章を朗読した。