私達は、ロシアの政治のどのような特徴がファシズムでないかを問うべきです - ティモシー・スナイダー
Euromaidan Press 7/6/22の記事の翻訳。
著者前書き:ロシアのウクライナ侵攻全体は、明らかにファシストであるロシアが、ウクライナをファシストだと言いながら侵攻すると言う、分裂ファシズムの一つの大きな例です。ドイツとロシアの植民地支配のやり方、つまりウクライナを無視したやり方が重なっているのです。しかし、この戦争のおかげで、ウクライナ人はついにドイツ人に、自分達が単なる客体ではなく、歴史の中の主体であることを認識させることになったのです。これらは全て、歴史家のティモシー・スナイダーが、ウクライナの政治学者イワン・ゴンザとの対談で触れた話題である。
ウクライナを訪問していない識者には理解できない、イワン・ゴンザとの対談でのティモシー・スナイダー
中東欧史やホロコーストを専門とするアメリカの作家・歴史家ティモシー・スナイダーが、ウクライナの政治学者でキーウ経済学校の講師イヴァン・ゴンザから、現在のロシア政治体制のファシズム国家・専制国家としての性質、ウクライナに関するドイツやアメリカの誤解、COVID-19がプーチンや戦争一般に与える影響、中東欧における「揺れる者の連帯」についてのインタビューを受け、ウェビナーを開催しました。このウェビナーは、キーウ経済学校の「Global Minds for Ukraine」プロジェクトが主催したものです。
ロシアはファシズム国家である。そして、ルシズムはファシズムのバリエーションと解釈されるかもしれません
イヴァン・ゴンザ:あなたは『不自由への道』の中で、スキゾ・ファシズム(schizo fascism)という概念を作り出しました。あなたはこの概念で、明確にファシストでありながら、他者をファシストと呼ぶ政権を説明し、この概念をロシアに適用しました。2022年はどうでしょうか。ロシアはファシスト国家なのか、それとも何か別のものに進化したのでしょうか?
ティモシー・スナイダー:私が『不自由への道』でロシアを表現するためにスキゾ・ファシズムという言葉を使った時、私はそれをアレクサンドル・ドゥーギンやアレクサンドル・プロハノフといった特定の人物に当てはめて考えていました。私は、明らかにファシストである人々が、全くファシストではない他の人々をファシストと呼んでいる特定の文書を引用していたのです。私は、ある現象を明らかにしようとしていたのです。
2014年以降、ロシアの政策の中心には明らかにスキゾ・ファシズムがある、と言うところに到達したと思います。ウクライナへの侵攻全体が、スキゾ・ファシズムの一つの大きな例で、現在、jが、この国はファシストだと主張しながら他国を侵攻しているのです。これはもちろん、多くのヨーロッパやアメリカのオブザーバーにとって非常に混乱することです。私はその混乱を解消しようと懸命に努力してきました。あれから何が変わったかと言うと、現象から外交政策に移行したことだと思います。
ゴンザ:ロシアがファシスト国家であることを示す指標は何でしょうか。また、ロシアがファシストであることを受け入れたら、ロシアの政策や政治のどの要素がよりよく理解されるでしょうか。誰もがそれを受け入れているわけではありません。
スナイダー:質問の前提は理解できます。私としては、ファシズムは蔑称ではありません。ただ投げつけられる言葉ではないのです。分析的なカテゴリーなのです。ですから、正しい問いは、そのカテゴリーを使えば世界のことがもっとわかるのか、それとももっとわからなくなるのか、と言うことだと言うことに私は全く同意します。
私は、ファシズムが理性よりも意志を優先させるものであることを指摘することから始めることが非常に重要だと考えています。ファシズムは政治的想像力のプロジェクトなのです。それゆえ、ファシズムを正確に定義することは困難です。なぜなら、ファシズム自体が、事実に基づく現実と論理的な現実の両方の拒絶を伴うためです。
私が『不自由への道』で分析したことのひとつは、事実的な現実の否定や一種の主観性の主張といったポストモダンのある種の動きが、ファシスト的な意味で読まれる可能性があるということです。もし、全てが主観性に関わることだとしたら、主観性を独占するものがあるとしたらどうでしょう。ある指導者が、ある種の主観を構築するようにテレビ局をコントロールできるとしたらどうでしょう。
そして突然、個人の主観が全てであるという解放的な考えから、明らかに抑圧的な考え、つまり、真実など存在しないと言いながら、スペクタクル(情景)を支配することによって、一人の人間が主観を独占してしまうかもしれないと言う考えにループしてしまったわけですが、これは実際、ロシアの体制について述べたものなのです。私だけでなく、多くの人がそのように表現しています。
昨日(5月9日、ロシアは戦勝記念日)のことで、私が考えているもう一つのファシズムへの予想外のルートは、政治の中心的なカテゴリーとしての勝利という考えです。これはファシズムに由来するものではないかもしれません。しかし、それにもかかわらず、政治は勝利が全てであるという考え方は、ファシスト的な解釈となりうるのです。
この言葉通り、ソ連、そしてプーチンのロシアにおけるファシズムは、あらゆる内容を失い、"ただの敵 "という考え方になりました。ロシアで使われるファシストとは、ファシズム的な考えを持っている人ではない。ファシストとは単なるアウトサイダーです。しかし、ファシズムそのものは、政治が敵の定義から始まる。それがカール・シュミットの古典的な(ファシズムの)定義なのです。
だから、もしあなたがファシストという言葉を敵という意味で使うなら、あなたはファシスト的な行為に従事していることになるのです。もし「勝利の日」でファシストという言葉を 「他者」という意味で使っているとしたら、それは実はかなりファシスト的なことです。それはソビエトの伝統から生まれたもので、私達はそれをファシストと考えることに慣れていないかもしれませんが、実際にはそうなのです。
『不自由への道』を出版した当時、私はファシストの思想と政権のファシズム的特徴を主張していた。当時は、ロシアがファシスト政権であるとは言っていませんでした。今ならそう言うでしょう。
リーダー崇拝(カルト)に加え、重要な政党は一つしかない。
儀式化された選挙がある。
癒しの暴力によってのみ回復できる過去の「黄金時代」という幻想の宣伝がある。それがプーチンのウクライナ侵攻のイデオロギー。
死者のカルトがある。これもソ連が起源かもしれないが、時間が経てば経つほど、『勝利の日』の考え方はむしろ死者のカルトに見える。政治の手段そのものが犠牲であり、死を政治的意味に変換するのが国や民族の指導者の仕事であるというファシストの考え方に、ますます近づいている。これはファシストの考えであり、現代のロシアではまさにそうなっている。
また、メディアを完全にコントロールし、非常に単純な形の国家プロパガンダを繰り返し行うといった特徴もある。
そして、繰り返しになるが、全てが "我々と彼ら (他者)"の問題である時の“我々と彼ら(他者)”の政治。
最後に、グローバリゼーションや西側諸国は腐敗しており、我々の価値観を忘れてしまったが、我が国だけは基本的な価値観が守られているというプーチンの考え方がある。
だから、正直なところ、この問いはもっと別の方向から問うた方が有益かもしれない、と言うところまで来ていると思うのです。つまり、ファシストではないロシア政治の特徴を見つけようということです。これは、実は現時点では、より挑戦的な問いかけだと思います。
ゴンザ:ファシズムのもう一つの重要な古典的特徴は、国家が経済のほとんどの部分を実際に動かしている時の企業経済です。
スナイダー:そこに触れてくれて嬉しいです。コーポラティズムという考え方は、ファシズムの中心的なものですからね。私達はここで、ファシズムを分析的なカテゴリーとして使っていますが、これには、イタリアや、国家を統制しなかったルーマニアのファシストのような様々なケースが含まれます。ルーマニアのファシストは、実はイリインやプーチンに最も近いと私は考えています。それは、キリスト教を利用し、正統性を訴えるという点で、非常に近い伝統だと思います。
ファシズムという解釈の範疇の中で、しばしば見落とされがちなのが共有地です。それは、国家は一種のピラミッドであり、そして、全てのものにはその場所があり、場違いなものなど何もないと言う考えです。これはイタリア人、オーストリアのファシスト、そしてロシアの重要なファシスト思想家であるイワン・イリイン自身にとって、非常に中心的な考え方です。この思想では、国家と市民社会の間に差はありません。あなたには特定の役割があり、あなたはその役割を果たす。最終的には全てが、ロシア人が好んで使う言葉を使えば、垂直に沿っているのです。
ゴンザ:最近の記事で、新造語「ルシズム」を提唱されていますね。この概念を導入するための説得力のある論拠をいくつも挙げておられますが、本当にそうすべきなのかどうか、私には確信が持てないところがあります。というのも、ファシズムという総称を国ごとの差異に置き換えることは、逆効果だと思うのです。ドイツの国家社会主義はファシズムではなかったと主張する学者の伝統さえあるのです。ルシズムという概念を使うことの利点は?過剰では?デメリットは?
スナイダー:あなたは、私がルシストの小さな記事でやろうとしていたことの本質から、数歩離れていると思います。私はこの記事が存在していることをとても嬉しく思っています。つまり、私達は今、ニューヨーク・タイムズ誌が私に、たった一つのウクライナ語の単語について5000字も書かせてくれる世界にいるのです。少し前までは、ウクライナの文化はアメリカのメインストリームでは全く理解されていなかったのですから。そして突然、この非常にマイナーなウクライナ語の現象について5000字の文章を書くことが許されたのです。
私がこの記事でルシズムについて述べていたのは、それがウクライナ語の創造性の一例であると言うことです。私はこの記事の中で、この言葉がウクライナ語の新語であり、[別のウクライナ語の新語]「ラシュカ」とファシズムの合体のようなものだと説明するのに多くの時間を費やしました。これは、ウクライナ人の言語遊びの、より大きな実践の一例で、ロシア語に限らず、英語でも行われます。
私がやろうとしたのは、ウクライナの文化の特徴である、このような創造性を紹介することです。と言うのも、ウクライナに関する英語での議論では、常に、彼らはロシア人なのだろうか、それともウクライナ語を話すからウクライナ人なのだろうか、という感覚があります。ロシア語を話すからロシア人なのか、ウクライナ語を話すからウクライナ民族主義者なのか、なぜか実際の言語習慣を持つ市民的なウクライナ民族が入る余地がないのです。
これ(造語)は便利なカテゴリーなのか、そうでないのか?ウクライナでは、大量に使われているということです。ウクライナの記事のコメント欄はこれを見ないと読む事は出来ないし、ウクライナの国でも常に使われています。つまり、一種の粗悪な経験上の事実と言うだけです。
2点目は、ルシズムは明らかにファシズムの一種であるということです。スペルや響きからして、それを示唆しています。私の経験で、人々はロシアのファシズムと言うようなものがあるかもしれないと想像するのに苦労します。なぜなら、表面的には反ファシズムのレトリックが全てであり、そして反ファシズムのソ連の遺産があるからです。もちろん、それは必ずしも明確なものではありませんでしたが。
ですから、私は実際、ロシアとファシズムを組み合わせたこの言葉が役立つかもしれないと思うに至っています。と言うのもの、特にドイツでは、ロシアの兆候がかなり強い場合でも、ロシアがファシストになることを実際に想像するのは難しいことがたくさんあります。
ドイツのオストポリティーク(東方外交)と記憶政治はロシアに向けられ、ウクライナを見落としていた
ゴンザ:1919年、ドイツの経済大臣ロバート・シュミットは、戦後の悲惨な経済状況からドイツを脱出させる手段として、ロシアとの経済関係を回復することを提案しました。1912年と1913年にドイツはロシアにとって最大の貿易相手国であったため、彼がこの政策を提唱するのには理由がありました。また、第一次世界大戦前、ロシアは同時にドイツ製品の第二の輸入国でした。
そこで、シュミットとドイツ外務省の同僚達は、後に「オストポリティーク派」と呼ばれるようになるグループを構成しました。彼らは、ロシアとの関係を正常化し、経済協力を推し進めようとした。ハイテク産業の生産国であるドイツと、豊富な原材料を持つロシアは同盟国として当然であると考えた。当時のロシアは、まだドイツに革命を起こそうと熱望していた国でした。
しかし、イデオロギーの違いにもかかわらず、これらの国々は協力し合った。この協力の最終的な成果は、*『Bloodlands』とドイツとロシアによる東欧と中欧の破壊だったわけです。ドイツがウクライナに対する歴史的責任を認めたくないのは、地政学的な理由があるのでしょうか。
*『Bloodlands』:Europe Between Hitler and Stalinは、ティモシー・スナイダーの本
スナイダー:ええ、もちろんです。東方外交はさまざまな意味を持ちますが、ここ40年ほどでは、”モスクワに行く“事を意味します。-
ブレジネフのモスクワ、エリツィンのモスクワ、プーチンのモスクワのいずれかです。そして、ドイツ人の頭の中では、それは過去を乗り越えるというプロジェクトと結びついているのです。ここでウクライナ人にとって危険なのは、ドイツ人が別の帝国の勢力と話をして過去を受け入れようとする問題でした。
ドイツの植民地支配の慣行とロシアの植民地支配の慣行で重なるのは、ウクライナを無視していることです。あるいはウクライナを一種の対象として扱うことです。まったく同じだと言うつもりはありませんが、一種の心地よい重なりがありました。当然ながら、ブレジネフもプーチンも、ウィリー・ブラントやゲルハルト・シュレーダーに「ウクライナは国なのだから、我々は真剣に考えるべきだ」などと念押しすることはない。オストポリティックが「モスクワに行く」ことを意味するなら、それは絶対にありえないことです。
私がドイツ人に説明しようとしてきたことは、- もちろん、多くのドイツ人がこのことを理解しているのですが、- 実際の記憶の政治、あるいは歴史と折り合いをつける試みは、自国の植民地支配の慣行から始めなければならない、ということです。外交政策上たまたま都合のよいこととは対照的に、自分達の歴史から始めなければならないのです。
ドイツ人は、第二次世界大戦が実は植民地戦争であり、ウクライナが戦争の主な対象であったことを覚えておく必要があります。したがって、もしドイツ人がウクライナ人について話すのに慣れていなかったり、ウクライナ人を批判するは簡単でも、ロシア人を批判するのは簡単でないと感じたら、それは植民地時代の遺産であり、克服しなければならないもので、今でも多くの作業を必要としていることを忘れてはならないのです。
もちろん、物質的な利害がイデオロギー的な帰結をもたらすことがあるのはその通りです。許しを得るためにモスクワに行くのだと想像すると便利かもしれません。天然ガスを手に入れるためにモスクワに行くのであれば。マルクス主義者なら誰でもその点を指摘するでしょう。しかし、ドイツ人に求められているのは、歴史と利便性は必ずしも同じものではないことを実際に認識することです。
恐ろしい(戦争の)状況をある種楽観的に捉えるならば、ウクライナ人はドイツ人に、自分達が歴史の中の単なる対象ではなく、主体であることを認識させたということです。今、ここ数週間で、ドイツ人が、本当はここ数十年の間にするべきでだった議論をするようになったということです。
遅くとも1991年からは、ウクライナは植民地戦争の中心地であったため、ドイツの追悼政策の一環としてウクライナを取り上げなければならない、というドイツの方向性が常にあったはずです。しかし、そうはならなかったので、ここ数週間のドイツの混乱は、何十年もかけて行われるはずだったこのプロセスが、数日のうちに圧縮されてしまったと言うことなのです。
ゴンザ:あなたのお仲間の歴史家の一人であるリチャード・エヴァンスは、あなたの著書『bloodlands』の書評の中で、機能主義的な議論を展開し、あなたの立場を批判しています。彼は、ユダヤ人絶滅の決定は、総統の狂信的反ユダヤ主義によってではなく、第三帝国の制度的ジャングルが生み出したものであると説明しようとしました。1980年代には意味のあった意図主義的アプローチと機能主義的アプローチの議論です。しかし、私はこの問いを今、またしたいと思います。2022年にロシア人が行った残虐行為についてはどうですか?機能主義的アプローチと意図主義的アプローチのどちらを支持されるでしょうか?なぜ彼らはブチャをやったのか?
スナイダー:質問の前提条件について、少しゆっくり説明する必要があります。まず第一に、ドイツにおけるホロコーストに関する多くの議論の問題点は、ドイツ語の資料のみを用いていることです。ドイツ語の資料だけを使っていると、当然ながら、ドイツからの意図があったのか、ドイツ国内の官僚的な動きがあったのか、という二者択一に陥ってしまうのです。私がこの二つのアプローチを拒否した理由は、ドイツ軍がドイツを越えた時に何が起こったかを見なければ、ホロコーストを理解することはできないと考えたからです。
私が全て正しいとは言いませんが、私の方法論で異なっていたのは、エヴァンス教授や他の多くのドイツ人歴史家とは異なり、イディッシュ語、ポーランド語、ロシア語、ウクライナ語、とその他の資料も使っていたことです。これらの資料からは、東ヨーロッパで何が起きているのか、別のイメージを得ることができます。それらの資料によって、たとえば、ドイツ軍が到着する前にソ連が国家機関を破壊していたことが、いかに重要であったかを知ることができるのです。
『Bloodlands』や『Black Earth』でホロコーストについて私が主張したのは、ドイツ人が実際に犯罪を行った地域に入り、その地域について、ドイツ人自身が必ずしも理解していなかったある事柄を理解しなければならない、と言うことです。ですから、私のアプローチは、実際には非常に保守的な歴史的アプローチでした。全ての資料を集め、当事者達が理解していなかったことを理解することです。
一方、エバンス教授が擁護しているのは、帝国主義国の視点から全てを見よう、彼らの資料だけを使おうという、ある種の標準的な保守主義的な考え方です。しかし、ホロコーストに関しては、丁寧に言えば、不十分なものでした。
ヒトラーの意図は非常に重要です。しかし、それはドイツの権力がドイツを超え、ドイツの制度が他の既存の制度を破壊するようになって初めて重要になるのです。ドイツの官僚制の力学もまた非常に重要です。しかし、もっと重要なのは、既に存在していた他の官僚機構の破壊であり、それによって人々は(官僚機構のみならず)ユダヤ人でさえも他の欠陥ある政権の国民となることを可能にしたのです。
私の議論は、植民地時代のスケールと関係していて、ドイツの狭い解釈よりも実際に戦われた戦争でとして議論です。
ウクライナにおけるロシアの破壊戦争に関して言えば、プーチンの思想は非常に重要ですが、ヒトラーの思想と同様に、国は国境の外でのみ実現するという前提から始まっています。発想が全く同じというわけではありませんが、この共通点があります。ヒトラーの思想は、ドイツ民族には使命があり、それはドイツを越えてしか果たせないというものでした。プーチンは、ロシアはウクライナを吸収する限りにおいてのみ存在する、ウクライナを吸収することによってのみロシアは自分自身になる、と言ってきました。
つまり、それは意図(していたこと)なのです。しかし、その意図がどのように大量殺戮の政策になるかは、その意図が現実に即して初めて理解できるものです。つまり、ドイツの場合、ヒトラーはユダヤ人を世界から排除するという意図を持っている。それが現実にどのように実行されるのか?その意図が、赤軍やアメリカやイギリスの参戦という形で、ある種の抵抗に出会った時、その意図が現実のものとなるのです。しかし、それは彼の期待したような形ではなく、ユダヤ人が住んでいる場所で殺されることになる。
ロシアの対ウクライナ政策を見ると、プーチンの意図は、ウクライナ人が降伏し、ウクライナの政治的エリートが殺害され、残りのウクライナ人はロシアに従う不定形の集団のような存在になることでした。そうでないことが判明した以上、エスカレートせざるを得ないのです。ウクライナに帰属する人が増えれば、より多くの人が国外追放され、より多くの人が殺されなければならないのです。
だから、相手の国と接触して初めてその意図がわかるのです。隷属する国についてのアイデアはあっても、そのアイデアはその国自体で実際に起こっていることとの一種の相互作用の中で初めて政策化されるのです。
ゴンザ:ユルゲン・ハーバーマスがウクライナについてあまり良くない言葉で言及しているスキャンダラスな(少なくともウクライナでは)記事がありました。ウクライナに武器を供給することが有用か、許容できるかというドイツでの最近の議論は、ドイツの記憶政治と関係があるのでしょうか。[会場からの質問】
スナイダー:そう、それはこの政治と全て関係があります。公平に見て、民主主義は歴史との絶え間ない関わり合いに依存している、と言うドイツ人の言葉はまったく正しいと思います。ロシアが自国の過去と向き合わなければならないなどと言うのは、彼らの言うとおりです。しかし、ヨーロッパで自国の過去と向き合うべきだと言っている国は、今やドイツだけだということを認識すべきです。だからといって、ドイツ人が常に自国の過去と正しく関わっているかというと、そうではありません。なぜなら、自分の過去と向き合うということは、それまでの解釈が必ずしも正しくなかったと認識することだからです。
ドイツの場合、政治がオストポリティーク(東方外交)として心地よい方向に向かうことがある。つまり、第二次世界大戦の罪悪感を表明するのであれば、モスクワに対してそうしようと言うことです。しかし、誠実なオストポリティークを行うためには、歴史も含まれなければならない。
ドイツの東部戦線での戦争は、大部分がウクライナに関するもので、大部分がウクライナで戦われ、ウクライナはドイツの主要な植民地になるはずだったのです。ドイツがしなかったことは、オストポリティークをウクライナに向けなかったことです。明らかに、冷戦時代にはなかったことですが、1991年以来30年間してこなかったのです。ですから、現在のドイツは、ある意味で、ウクライナに対する自分達の植民地的態度からまだ回復していないのです。それはロシアから来るウクライナに対する植民地的態度によって強化されました。
ウクライナを主体として見ないと言うドイツのナチスの伝統と、ウクライナを主体として見ないというロシアの伝統が、ある意味で重なり合っているのです。ここ数週間、ドイツ人はこの会話の不在から立ち直ろうとしています。しかし、希望が持てるのは、人は常に過去について考えなければならないという原則に訴えることができるからです。ドイツ人に対して、これは植民地時代の戦争であり、あなた方はそれに折り合いをつけてこなかった、今がその時だと主張することができるのです。歴史的な責任を取るとはどういうことかという議論です。ウクライナ人であれ、ドイツに関心がある人であれ、そのレベルの議論に参加しなければならないと思っています。
ロシアの言うことを聞けとか、ウクライナは降伏しろとか言っている人達は、歴史的責任という概念が非常に狭く、実際に戦争で何が起こっているのかを誤解しているのです。
もしあなたが、ドイツはウクライナを助けるべきではない、何故ならそれは戦争を拡大させるだけだからだと考えるなら、アメリカはイギリスを助けるべきではなかった、何故ならそれは第二次世界大戦を拡大させただけだった、と言う論理的になる。この原則では、侵略者が常に正しいのです。私にとっては、これは第二次世界大戦の正しい教訓ではありません。もっと洗練された教訓があるはずです。
過去と折り合いをつけるには、最初のステップは、まず反対側の話を聞くことです。ドイツ人はウクライナ人の話を聞くのにとても苦労してきたので、私はウクライナ人にとても共感しています。そして、ドイツ人のウクライナ人に対する多くの苛立ちや多くの無作法が見受けられます。それは失敗の兆候です。あなた(ドイツ)が相手を対等なパートナーとして受け入れないと、相手をただ苛立たせるだけです。あなたは彼らに去って欲しいと思う。あなたは何でもかんでもシンプルにしたいと思うのです。
アメリカ左翼の「反転ナショナリズム」:何でもアメリカのせいにして、ウクライナの主体性に気づかない
ゴンザ:あなたは自らを「最後の冷戦世代」と呼んでいますね。歴史家や知識人が比較的親ロシア的な見方をするのは、世代間の違いによるものでしょうか?ここにいくつかの文脈があります。最近の記事で、シーラ・フィッツパトリックは、2014年からウクライナで内戦が起こっていると主張しています。彼女は、ウクライナがNATOに加盟してはならない理由として、「ウクライナは1920年代初頭からソビエト連邦の基礎的なメンバーであったから。そして、ウクライナは言語や文化においてロシア人と密接な関係を持っているから。」と説明しています。
つまり、フィッツパトリックという非常に特殊な親ロシアの立場があるわけです。そして、プロの政治哲学者であるノーム・チョムスキーが最近、「ゼレンスキー大統領は世界の現実に目を向けるべき 」と提言していますが、それは事実上、「ウクライナの連邦化とクリミアの放棄を受け入れる 」という意味です。
どうしてフィッツパトリックとチョムスキーは、侵略に対してこのような謝罪的なアプローチをとったのか?また、反帝国主義を進化させたにもかかわらず、一部の左翼がロシアと手を組む傾向があるのはなぜか。彼らが伝統主義的で排外主義的なプーチン政権を支持しているのは逆説的ではありませんか?つまり、世代の問題なのか?イデオロギーの問題なのか?
スナイダー:まず、この質問には人格ではなく現象で答えようと思います。フィッツパトリックへの質問は彼女への質問、チョムスキー教授への質問は彼への質問のように思われるからです。私は現象の方がしっくりくるのですが、現象のひとつはとてもシンプルです。この人達はウクライナに行ったことがあるのかないのか?これは修辞的な質問です。彼らは行ったことがない。あるいはめったにない、あるいは最近はない。私の基本的な質問のひとつは、「あなたは実際にウクライナに行ったことがありますか?それは、世代や政治よりも、多くのことを決定するものだと思います。
ウクライナに行ったことのある人なら、一般的にウクライナ人を当事者と見なし、ロシア的な見方を受け入れる必要があるとは考えにくいでしょう。
そして、なぜ経験が重要かというと、ウクライナの国民性や主体性は、宣言よりも行動、過去に関する神話よりも未来に関するものが多いからだと思います。過去に関する神話やイデオロギーは、知識人にとってかなり処理しやすいものです。一方、経験や未来についての考え方は、より人と人との接触を必要とする傾向があります。
それは、言語と関係があります。[西側諸国では]ほとんどの人がロシア語もウクライナ語も知りませんし、ロシア語を知っている人でもウクライナ語を知らない人がほとんどです。[ウクライナ語を知っているかどうかで]、人を主体として見るか、ロシアにウクライナの解釈を委ねるか、大きな違いがあります。
ウクライナはこうしなければならない、ウクライナはああしなければならない、というような宣言は非常に不愉快です。ケニアはこうしなければならないとか、グアテマラはこうしなければならないとか、カナダはこうしなければならないとかいうのも、非常に不愉快です。つまり、欧米やアメリカの人々が「現実がどうなっているかを教えててやる。そして、その現実に自分を合わせなければならない"。」と言うのは、とても不愉快なのです。
それは一種の帝国主義だと思うので、とても不愉快です。あなたが「私は現実を見ることができるが、あなた方は現実を見ることができない。なぜなら、あなた方は小さくて重要でない国だから。だから、現実とは何か、どのように現実に適応しなければならないかを教えてあげよう」と言う時、それは一種の帝国主義的な立場であり、左翼についてもうひとつ指摘したいことにつながります。
この問題の多くは、少なくともアメリカの左翼(ドイツの左翼も同様)は、一種の反転(逆)ナショナリズムに関与していることだと思うのです。つまり、もしあなたがアメリカの右派なら、アメリカが世界のあらゆることをやっていて、それは素晴らしいことだと考え、もしあなたがアメリカの左翼(あるいは少なくともアメリカの左翼の一部)なら、アメリカが世界のあらゆることをやっていて、それは悪いことだと言うのです。少し単純化していますが、これが基本的な考え方です。
一旦、逆帝国主義の立場に立つと、主体性を見出すことが非常に難しくなります。だから、あなたはロシアに主導権を見出せないのです。ロシアに選択の余地はなかったと考えるのです。NATOのせいでプーチンはそうせざるを得なかった」と言うのです。それが心地よいのは、あなたの心の奥底にある、アメリカは全てに責任があるという思い込みを裏付けてくれるからです。
注) ティモシー・スナイダー教授は、エール大学の歴史学者。11冊の著書を持ち、その多くはハンナ・アーレント賞(政治思想部門)などの著名な賞を受賞している。5カ国語を話し、10カ国語を読むが、その中には学界ではまだ珍しいウクライナ語も含まれている。ウクライナは、かつてスナイダー教授が「研究対象として最も興味深いヨーロッパの国」と呼んだほど、特別な思い入れのある国である。