結婚なんてオワコンだと言っていた私の、入籍して1年のセーブポイント
令和2年12月3日。入籍して1年が経ちました。
セーブポイント的にいま考えてることを、つらつらと。(長くなった。)
▶︎入籍した時のnoteはこちら。
1. 気づいたら1年経ちました。挙式はできてないけど。
あっという間、本当にその一言。ぐわーっとすぎた1年でした。
挙式は今年の5月30日の予定でした。
当分は別居婚な私たちなので、挙式は同居してからでいいんじゃない?なんて話してもいたんですが、両家の親が「早くしたほうがいい!」というので、「結婚式は親孝行でもあるもんねえ」なんて言いながら、5月にしたんでした。
でも、蓋を開けてみたら、新型コロナウィルスがやってきていました。
年明けに招待状も作って、送って、3月には返信ももらっていたけど、延期をすることにしました。
正直にいうと、延期できてよかった…
世の中がざわざわしているタイミングで結婚式をしても、みんなにめいっぱいお祝いをしてもらうことも難しい。きっと。安心安全の環境下で、気兼ねなくお祝いして欲しい。(私がゲストだったらきっとザワザワするし、実際、何人かの友人からは参加を見送りたいという声ももらってた。)
もっとも、年度の境目もあったりして、バタバタと忙しくしていて、全然準備が追いついておらずだったから、そういう意味でも延期してよかった。
とはいえ、延期後の日程は来年の3月末。
どんな状況になってるかわからないから、意思決定しきれず、挙式の進行表を組むこともできず…(やっぱり、準備は進まず…どうなることやら。こればっかりは決めだなと話してます。)
あ、でも前撮りはしました。
挙式はどうなるかわかんないけど、とりあえず写真だけでも!ということで撮ったのがカバー写真です。素敵なカメラマンが撮ってくれたからだと思うんだけど、今この瞬間の私たちの温度感や関係が、かなり写真に現れているように感じてます。
写真はもともと好きだったし、イマココを残しておきたいという思いから、写真を撮ることはしてきていましたが、自分たちで撮る写真では、ここまで雰囲気が現れないなーと。綺麗さもないし。
(↓自分たちで撮るとこんな感じ)
やっと、カメラマンにお願いして、定期的に写真を撮ってもらうことの価値がわかったように思います。天才カメラマン、ありがとう。
震えながら海辺で撮った、洋装の写真も待ってるよ。
(2020.12.29 追記 ↓ 届きました)
2. 別居婚という選択について:1年過ごした感想
これについては、何の後悔もないし、満足。
そして、こういってはなんだけど、寂しいと思うこともあまりない。
新型コロナ旋風がきてからは、東京と島根という距離の移動はまあ難しくなり、5ヶ月くらい会わない時間があって、それは確かにちょっと寂しかったような気もするけど、寂しくて泣いちゃうとかは全然なかったように思う。(その時の記憶がすでに曖昧。ドライな嫁でごめんよ、旦那)
毎日会わなきゃ死んじゃう!という人たちには、言わずもがなで向かない。
やめておくことをオススメします。
けど、結婚当初に別居なのは結構良いかもとも感じています。
それは、変えられるものと変えられないものを冷静に認識できるようになるからかなと。
結婚当初って、結婚の安心感が生まれて気が緩む一方で、恋愛モードのテンションも高く、別々の背景を持ってる二人だからこその衝突があるような。(一度も同居してないので完全に妄想だけど)
「なんで私ばっかり」とか「どうして〇〇できないの」みたいな言い合いも起こりがちだったりするんだろうなあと。ちょっと落ち着いて、ある種の同志な関係になれれば、お互いに許しあえるところも出てくるような。
でも、私たちは出会ってからもずっと遠距離だったので、会いたいときに会えないことが当たり前。
無理なものは無理だし、叶わなくたってしょうがない。
その前提があるからこそ、叶ったときは嬉しいし、その時間を大事にしようと思えてるんじゃないかなあ。
つまりは、「変えられるものと変えられないものの区別をつけられている」ということかなと。その基準って、世間一般にあるものではなくて、2人で見つけていくもの。(この見つけていくというのが重要な気がしてます。自分も気付いていないこだわりって結構いっぱいあるから、相手とのやりとりの中で見つけていく。)
その認識を、別居という程よい距離感で作っていけるのが別居婚の魅力だなと感じてます。
beforeコロナな世界、withコロナな世界、afterコロナな世界では、それぞれ若干別居婚の意味合いが違うような気もするけど、いま、思ってることとして。
3. イマココの結婚観(結婚してよかったこと)
この1年で感じた、結婚してよかったこと。
※この中の結構たくさんは相手次第なところあります。※完全に主観です。
1)心のよりどころができる
入籍1周年の夕食を食べながら2人で話してて共通してたのが、「コロナ禍によって起こったいろいろ、結婚してなかったら無理だったかもね」ということ。それにはいろんな意味があって、『結婚して守るものができたから、頑張らなくちゃと思って乗り越えられた』もあるだろうし、『結婚して頼れる存在ができたから、弱音吐いても大丈夫』もあると思う。
どんなきっかけであれ、お互いの存在が、お互いがより強く在るために必要なものになれていることは、なんだか誇らしく、嬉しいこと。
2)自分に自分で課すNGが減っていく
誰にも言われてないのに「そんなことしちゃダメ」が多いタイプの私。別の言い方をすると、結構たくさんの鎧を着ている。「脱ぎゃいいのに」と思うけど、もうずっと着てるせいで脱ぎ方がわかんない。
これを公言できるようになっただけでも個人的にはめっちゃ大きな前進だけど、自己評価では少しずつ鎧を脱ぐことができるようになってきているとも思えていて、それは、旦那さんの存在が大きい。
どんな姿も見せてくれていて、そして、私のどんな姿も受け止めてくれているので、「そんなことしても大丈夫」と少しずつ背中を押されている。ありがたい存在。
3)2人の関係を2人の間で、いちいち定義づけなくても良くなる
結婚という法的に縛られた関係になったからこそ、「私たちってどういう関係?」という会話が起こり得なくなった。お互いが考える結婚のタイミングや、未来予想図を変に探り合ったりする必要がなく、楽。
(先日、未婚の同い年の友人が「30歳越えると、「付き合いましょう」「そうしましょう」みたいなやりとりなくならない?」って話をしていたことを思い出した。笑)
4)マリハラ的な優しいおせっかいへの返答に困らなくなる
「結婚はいいよ、まだしないの?」とか「彼氏はいるの?結婚の予定は?」みたいな問いは、地域に暮らす独身女子は、まあよく投げかけられる。(俗にはマリッジハラスメントとも言うらしい)
なんでもハラスメントにするのは個人的には好きじゃないし、みなさん優しいおせっかいから言っているのもわかるから、飲み会の席で酔っ払って言われるとき以外は、ハラスメントとは思わない。
けど、問いの純粋度が高いほど、聞かれる回数が多いほど、なんて返すのが良いのかわからなくなって困る。
「結婚に興味がないんで」というのもなんだし、「いい人いないんですよー」といって誰かを紹介されても…だし。
結婚したことによって、そういうことを言われなくなったのは、すごく楽になったなーと思うところ。(これからマタハラが始まるのかもだけど…)
特に、1と2は「結婚」という制度に拠らなくても得られるかもな「よいこと」だけど、私にとっては、結婚がもたらしてくれたよいこと。
4. イマココの結婚観(結婚して困ったこと)
ほぼ唯一と言っていいけど困っていることは、呼び方問題。
元来、ずっと『うのちゃん』(旧姓が宇野だから)と呼ばれていた私。
結婚して、お仕事の仲間や友達みんながリニューアルされる、なんてことはなく、引き続き変わらず仲良くさせてもらっています。ありがたや。
ただ、そうすると困るのが、呼び方。
お仕事上は、宇野でもいいっちゃいいんだけど、結婚したなあという実感が個人的にも嬉しいし、(苗字が変わればマリハラ的なことからも解放されるし)、今年の4月から変えることにしました。(noteにも書いたよ。)
それでも、やっぱり圧倒的に『うのちゃん』呼びがしやすく慣れていること、そもそも結婚したって伝わってないこともままあることから、予想していた通り、うのちゃん誰や問題が毎回起こります。
これはねえ、選択的夫婦別姓になれば済む問題じゃないというのが実感値。
『結婚したら苗字が同じになる』ということ、つまりは、『(特に女性は)苗字が変われば結婚したということ』というイメージや意味合いの大きさが変わっていかないことにはダメなのでは。
事実婚がもっともっと世の中に浸透して、ありふれた選択肢になった時に、解決されるのかなあ、この問題は。
5. 2年目に向けて
さて、これから向かっていく課題たち。
1)まず、来年3月末の挙式どうしよう
2)そして、ここから数年間どんな働き方をして生きていこうかな
3)いつから同居しようかな(お財布どうするか考えないとなー)
先のことはわかんないので、とりあえずここ数年を彩り豊かに、幸せに暮らしきることを目指したいと思います。
2年目も私たちらしく、面白おかしく。
みなさんどうぞよろしくお願いします。