self awarenessを心掛けた4ヶ月のこと
2022年。
入籍して3年目、転職(ひさしぶりの正職としての就職)や転居(別居婚だった旦那さんとの同居)が重なり、大きな変化(transition)の中にいると思っていました。
でも、私のtransitionはそれだけではありませんでした。
子宮頚部上皮内癌と子宮筋腫がみつかり、人生初の入院・手術が待ってました。
病気がわかるまで。
1)今年も受けてみた「子宮頸がん検診」
昔は季節の変わり目には必ず高熱を出すタイプでしたが、「趣味は仕事」「セルフブラック」みたいな暮らしになってからは風邪すらあまりひかない頑丈な身体になったなあと思っていました。
(それでも数年に一度、体調を大きく崩すことはあったんだけど)
ただ、この歳になると、親になっていく友人たちが増え、私も結婚したし、そういう未来もあるかもしれないなと思って、少しだけ健康を気にかけるようになりました。
2021年、久しぶりの子宮頸がん検診を雲南市で受けた結果、異常なし。
2022年、西条市に引っ越して対象年だったので、受診間隔1年で受診。
ちなみに、行政のがん検診は2年に一度のところも多いようなので、受診間隔1年で受けられたのは幸運だったと最近知りました。
検診日当日の視診結果は「異常なし」。
ただ、細胞診の結果は「ASC-H(中等度異形成)の疑い」「要精密検査」。
想定外の結果でした。
2)精密検査から入院まで
自宅に精密検査のお願いが届いたのが年明けすぐ。
1月下旬に病院に行って、いろいろと説明を受け、疑わしい組織を採取し、病理検査を受けることに。
(パンチバイオプシーとかコルポ下生検とかいうらしい)
説明の中で、先生は事実を淡々と伝えてくれたのかもしれないけど、このことは相当ショックが大きかったです。
「なんでわたしがそっち側?
そりゃ無茶な暮らしをここ数年は続けていたと自覚はしているけど、
それでもなんで?どうして?去年は異常なしだったじゃん。
・・・こんな嫁でごめん。」
って気持ちでいっぱいになって、診察室を出て、会計終わるまでは、必死に耐えてたけど、車に戻って、出張中の旦那さんに電話をしたら涙腺崩壊。
なんで泣いてるのかもわからないけど、とにかく涙が止まらなくて。30分くらいぼーっとしてました。
生検から2週間後の2月上旬。
今度は、旦那さんと一緒に病院に。一緒に検査の結果を聞きました。
「中等度異形成だと思っていたけれど、もう少し悪かったですね。
高度異形成から上皮内がん(CIN3、CIS)という結果が出ています。」と。
隣に旦那さんがいたからか、前回よりは少し落ち着いていられました。
でも、今後の治療方針とか、何をどう決めたらいいのかわからなくて、旦那さんがいろいろと先生と話をしてくれて、入院・手術をすることが決定。
そして、3月後半は半月ほどお休みをもらい、入院・手術・自宅療養をしていました。
手術は、上皮内がん部分の切除(子宮頸部円錐切除術)と子宮筋腫の除去(子宮筋腫核出術)を同時に行いました。
病気的には前者のが深刻だけど、治療的には後者が格段にしんどかった。
手術の前処置が痛くてつらすぎて、入院してから手術が終わるまで、泣き続けていて、メンタルよわよわでした。
なんなら、手術は脊椎麻酔だったけれど、それも子宮だけ効きが悪くて、手術中も痛くて涙がこぼれて、途中で笑気ガスが追加されました。
手術時間も予定より長くて、終わった時には意識朦朧でした。
3)手術後から今現在
術後の経過は多少麻酔による頭痛が残っていたけれど、痛みがなくなればみるみる元気になってきて、予定通り3泊4日で退院しました。
人間って痛みによってメンタルが大きく動かされるんだって自覚しました。
術後は安静にとのことで、3月いっぱいは仕事をおやすみしました。
こんなにだらだらした2週間はなかったんじゃないかってくらいのんびり。
でも、結構多めの出血があったり、なんどか通院して、やっと出血が治まってきたのがここ数日のこと。
病気になったからこそ。
1)彼と結婚していてよかった。
ずっと一緒にいてくれた旦那さんに感謝。
私がわざわざ説明をしなくても、状況をわかってくれている人がいることにとても助けられました。
病気がわかったタイミングで旦那さんにお願いしたことは3つ。
結果的に、①のように感情の起伏はやっぱりあって、色々考えて涙が止まらなくなったり、死にたくなったり、かと思えば、ポジティブになったり。
その都度、旦那さんは否定することなく、励ましたり、受け止めたり、聞き流したりしてくれた。
何度もその存在に救われたよ、ありがとう。
2)self awarenessのパワフルさに改めて気付けた。
旦那さんという安心してメソメソできる環境があったことで、無理して自分を押し殺すようなことが減り、今までよりも格段に自分の感情や体調に自覚的になれました。
そして、それをちゃんと記録に残しておこう、それがきっと将来の自分の糧になると思って、メモのような日記も書き始めました。
書いていくと、ただメソメソしていたのに、ひと息ついて、少し視野を広げて客観的に自分を見つめたり、今の状況を、捉えたり、味わったり、解釈したり、出来るようにもなってすごくよかったです。
これはひとえにNVC(共感コミュニケーション)を学んで、物事の受け止め方として自分の助けになるものをもっていたから。
self awarenessであろうと意識することで、いろんな感覚が研ぎ澄まされている感覚もありました。
これまでに出会った人との何気ない会話や気づきも、私を支えてくれて。
そのおかげで、どんな自分も無駄なものや、間違いなんてなくて、意味はあると信じて受け止めようと試み続けることができました。
3)どうにもできない現実のやりきれなさ。
その一方で、難しかったのがこれ。
先生のスケジュールや、私の体調的なこととの兼ね合いから、手術が決まってから実際の手術まで1ヶ月半くらい時間が空きました。
その1ヶ月半は生殺し状態というか。問題があることはわかってるし、さっさとどうにかしたいけど、私にはどうすることもできないというもどかしい時間でした。
そして、検診を受けて、手術も終わって検査結果も出て、確定診断がされ、経過観察だねとなった今まで約4ヶ月。
つまり、疑いありと言われてから、病名が確定するまで4ヶ月かかったということ。
その間に仕事を休んで、入院・手術をしなければいけませんでした。
一般的にこれが早いのか遅いのかわからないけれど、私の体感としては長かった。もっと早く手術することはできないのか、もっと早く結果が分からないのかと何度も思いました。
なんなら、もっと早く病気に気づけないのかとも。
もっと早くわかっていたら、もっと早い段階でリスクに気づけていたら、こうなる前にどうにかできていたかもしれないのに。
なので、皆さん、検診は定期的に行きましょう。予防接種も打ちましょう。
あと、『ミステリと言う勿れ』で整くんが言っていたこの言葉を何度も思い出していました。
この言葉を思い出すと、自分だけが悪いわけじゃないって思えて、少し心が楽になりました。
4)人にどう伝えるかの難しさ
病気のことは旦那さん以外の誰にも話せませんでした。
話したら心配されるのがわかってて、でも、どう振舞ったら良いのかがわからなかったから。
心配するのが悪いというつもりはないんだけど、「何かしてほしいことある?」「大丈夫?」「心配だねえ」と言われても、確定診断が出るまでは、「〇〇という病気の疑いがあるという状態」としか伝えられなくて、「それ以上は私ですら何もできることないんだから、あなたにできることはもっとないよ。そっとしておいて。」って思うだろうなと想像して。
幸いにも職場は、手術を受けなくてはいけないこと、診断書が出ていることを伝えたら、「治療優先で、無理せずに。」とだけ言って、休暇に送り出してくれました。
カラッとした対応がとてもありがたかったです。
3)につながることだけど、病気との向き合い方、受け止め方がもっとサポートされる環境が、世の中に自然とあったらいいのになあと思いました。
今でも、患者さん同士がコミュニケーションが取れるような仕組みや、そういう団体もあるんだろうけど、患者本人が知ろうとして行動を起こして、意を決して踏み出さないとつながれないって結構ハードル高い。
しかも、患者本人もその病気になるのは初めてだと、そもそもどう行動したら良いかもわからない。
医療機関にそこまで求めるのは苦かもしれないけれど、患者と必ず接点があるのは医療機関だから、まずは、病気の診断や治療だけでなく、そういったことも流れの中でサポートされるようになっていったらいいのになあと思った次第です。
これから。
仕事にも復帰して、日常が戻ってくると、この経験の記憶も朧げになったり、実感が伴わなくなったりしそうになります。
でも、私は確実に変わっていて、大事にしなくてはいけないことにも気づけたはずだから、時折この記録も読み直しながら、今まで以上に1日1日を大切に生きていきたいなと思います。
皆さんもどうか自分の身体は大事に。