浜崎あゆみになりたかった。
小学生の頃、いくつか憧れた職業があった。
その中のひとつが「歌手」で、わたしは浜崎あゆみの大ファンだった。
あのヴィジュアルも、ファッションも、歌声も、歌詞も大好きで、憧れというより、なんだか夢のようなふわふわした存在だった。高校生くらいのお姉さんたちが、それぞれいわゆる「ギャルファッション」でおしゃれしているのが羨ましかった。それに比べ、太くてしっかりした眉毛も、一重の目も、すらっとしてない体型も、田舎者の自分も、全然好きになれなかった。
学校からの帰り道は、あゆの歌を歌いながら帰った。
田舎だったから周りに誰もいなくて、気持ちよく歌ってたのを覚えている。誰にも邪魔されずに、歌手を夢みることができた時間だった。
思い返すと、あの頃は結構本気で歌手になりたくて、親にオーディションを受けたいって相談したこともあった。音楽を仕事にするならと、本当はあんまり好きじゃなかったピアノのお稽古も続けてた。
けれど、親からは、「東京に住んでたらね。田舎はオーディションもないから、ごめんね。」と言われ、小学生の自分はそれに納得して、歌手への夢はひっそり幕を閉じた。
田舎者ゆえの無知で、せめてライブで一目あゆを見てみたい…なんて願望すら芽生えなかった。
そして月日が経ち、32歳になった私は東京で暮らしながら、憧れだった職業の1つのデザイナーとして働いている。
歌手にはなれなかったけど、今でも歌うのは好きで、その気持ちは主にカラオケで発散されている。ここ最近は、90年代のあゆのヒットソングのライブ映像を流しながら歌うのにハマっている。
その日も、いつものように友人と近所のカラオケで、あゆのライブ映像を楽しみながら楽しく歌っていた。煌びやかな演出、綺麗なブロンドの髪に大きな瞳。あゆはずっと私の中で憧れたあゆのままだった。
そのとき、本当になんの前触れもなくふと気付いてしまった。
私の中にまだ「浜崎あゆみになりたい」という気持ちが残っていることに。
そして、「浜崎あゆみに会いたい」という想いが芽生えていることに。
そして、思いついてしまった。
そうだ、当時憧れた浜崎あゆみの格好をして、あゆのライブに行こう。。。
......。
いやいや何言っているの、という感じなのだが、まぁまぁ大真面目でそんなことを思いつき。ほぼ実行することが自分の中で確定した。その場にいた友人にその想いをそのまま話してみたところ、心優しい友人はすぐさま「いいじゃん!」と肯定してくれ、この思いつきは無事『浜崎あゆみプロジェクト』として私の中の小さな夢の1つとなった。
それから約半年後。
2022年4月23日、神戸ワールド記念ホール。
ayumi hamasaki ASIA TOUR 2021-2022 ~23rd Monster~
私は無事、浜崎あゆみのライブに行くこととなる。
当時憧れたブロンドのウィッグに、お人形さんのようなつけまつげ、淡い色のカラーコンタクト。やってみたかった全てを自分に施すため、前々から準備もしっかり行った。
原宿のウィッグ屋さんで恥を忍んで「あゆになりたいので、あゆっぽいウィッグをください。」とも言ったし、生まれて初めてカラーコンタクトもを買った。
ライブ当日はホテルの部屋で東京からスーツケースに詰めてきた浜崎あゆみファッションを身にまとい、浜崎あゆみらしいメイクを一時間以上かけて全力で施した。あゆに似てる訳じゃないけど、私の中でのあゆっぽいメイク。当時できなかった憧れを全て詰め込んだ。
完成したあゆ風の自分は、若干の気恥ずかしさ、そして「変じゃないか?これ合ってるのか?」という不安な気持ちもありつつ、やはり高揚感もあり、はしゃぐ自分もいた。
そしてついにライブ会場へ向かう。道中には同じくあゆのファンが多く歩いている。みんな楽しそうで、昔からのファンが多いんだなという印象だった。ギャルはあまりいなかった。
会場では光るピンクのうちわが配られ、みんなそれを手に笑顔であゆの登場を待つ。
会場が暗くなり、ついにライブが始まる。
浜崎あゆみが降臨する。
私のあゆを一目見た感想は、「浜崎あゆみって実在したんだ...」ということ。
そして、「あゆはずっと、あゆなんだなあ」ということ。
私が憧れ続けた彼女が、すぐそこで、私たちの為に歌っていた。
これはもう、なんだか信じられない光景だった。
小学生の頃の自分に、この光景を見せてあげたい。って何度も思った。あの頃の私が見たらどんなに喜ぶだろう、と心から思った。
想像上でだけど、隣の席にあの頃の私を座らせてあげた。頑張って付けたつけまつげが取れないように、泣くのを堪えたけれど、だめだった。幼い自分が、感動してとても喜んでいたから。
泣いて、笑って、歌って、踊って。最高の2時間を過ごした。
本当に心からやりきった思いで、この日を終えることができた。
さて、このプロジェクトを通して、私が文字にして残しておきたかったことが2つある。
1つは、「時間を超えて、まわりのみんなが私の夢を認めてくれたことに救われた」ということ。
実は、幼い頃は「歌手になりたい」「あゆみたいになりたい」「あゆが好きだ」って正直に言うのができなかった。
そこには「バカにされたくない」とか、「恥ずかしい」とか、もしかしたら「こんな自分が」なんて想いがあったのかもしれない。親には一度歌手になりたいって相談したけど、一度断られて諦めてしまったし、外見や素直すぎる性格が原因でいじめられてたから、好きなものを好きって言うことが怖かったんだと思う。
けれど、そこから20年の月日が経って、今の私のまわりにこの夢をバカにする人はいない。
ウィッグを選ぶため、慣れない原宿のウィッグ屋さんに行き、恥を忍んで「浜崎あゆみみたいになりたいんです」って話した時、ひとまわりくらい若い店員さんが「いいですね!あゆになりましょうよ!」と一緒になって真剣に選んでくれた。
このメイクどうかな?って写真を送った友達みんなが「いいじゃん!」って褒めてくれた。
友人達はもちろん、見知らぬ人も、この夢をバカにせず、応援してくれたことが本当に本当に嬉しかった。自信がなく、「バカにされたくない」と怯えていた小学生の頃の自分まで肯定してもらったような気持ちになった。
それともう一つ。
今回、このプロジェクトを実行に移すことにも一抹の勇気を出したけれど、この話を「伝える」ことにもかなり勇気を出してみた、ということ。
私は自分のことを伝えるのがあんまり得意じゃない。
その根底には、やはり「バカにされたくない」って想いがあるんだと思う。
伝えたとて、無関心な態度をとられたり、ダサいって言われたりするのがとても怖い。だから発信することが怖い。
でも、今回は、「夢を叶えた自分」を精一杯労ってあげたかった。
応援してくれた友人の存在も大きかった。
思い切って、普段は全くあげない浜崎あゆみの格好をした自分と、その時の気持ちをSNSにアップしてみた。
後日、会社のみんなの前でこの話をしてみた。
もちろん恥ずかしかったし、「引かれたらどうしよう」って気持ちはあったけど、自分の想いを知って欲しいって気持ちもあったから、思い切って伝えてみた。
でもやっぱり、バカにするような人は一人もいなくて。「あなたの生き方が好き」と泣いてくれた人がいた。
見知らずの人が「自分のことのように感動した」とメッセージを送ってくれた。
「今度は一緒にあゆのライブに行ってみたい」と仲間になってくれる人がいた。
ただ、あゆの格好をして、あゆのライブに行くという、小さなプロジェクトなのだけど、このことは、自分で自分のことを少し好きになれるきっかけになったように思う。
私は本当に弱い人間なので、幼い頃の自分のことを否定ばかりしていた。
幼い頃にいじめられていた自分を「ダサい人間だから」と設定し、それを払拭することが東京で生きる原動力になっていた。
ダサい人間、と言われ、うずくまって傷ついている自分を踏み台にするような生き方しか、できなかった。
それでできるようになったことや、得たものもあったけど、私の根っこにある「ダサい人間だから」という間違った自己肯定は、ずっとじわじわと私を縛り、苦しめていたように思う。
30歳を過ぎて、私はやっとこのことに気付いて、今は自分のことを大切にすることに取り組めている。
あゆに会えたこと、1日だけでもあゆになれたことは、私が私を肯定し、自分の「好き」、「やってみたい」という気持ちを認めてあげる大事な過程になった。そして周りがそれを認めてくれたことが、更に「自分を大切にしていいんだ」、と思えるきっかけになった。
そして、仮にもしもこのことをバカにされても、傷付きはするけれど、自分のことは嫌いにならない。
これは、断言できる。
私は、わたしのことが大好き。
それはまだ素直に言えないけれど、
「嫌いにならない。」って今はっきり言えることは、自分でも泣けるくらい嬉しい変化だ。
小さな夢を叶えること。自分のやりたいことに素直になること。
これを実行する人を私は応援したいし、「いいね!」って言ってあげたい。
そして自分にも「いいね!」って言ってあげたい。
自分を大切にすることって、勇気はいるけど、とても楽しくて、嬉しくて、幼い頃の自分を救う、大切な工程でした
さて、次はどんな夢を叶えようか。
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この想いが風化して、文字にできなくなる前に、ちゃんと文章として残しておきたくて、書きました。こんな拙く長い文章をここまで読んでくださった方。もしいらっしゃったら、本当にありがとうございます。
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