「笑って過ごす時間が増えた」 乳ガンになった自分を救ってくれた、笑顔のパワーを伝えたい
会うと元気になれる。
一緒に話をすると前向きになれる。
真夏の太陽にも負けず、きらきら輝くヒマワリのような人が、誰しも周りに一人はいると思う。
大阪を拠点に活動する「YASプロジェクト」のリーダーである畑泰枝さんもその一人だ。
みんなで楽しく、笑顔で毎日過ごすことを目指し、インスタグラムで笑顔の写真などを発信している。(アカウント名@yasssproject)
YASとは英語で「最高」を意味する言葉で、YASプロジェクトにはYas(最高に)All(みんなで)Shining Smile(輝く笑顔)を作っていこうという想いが込められている。
とにかく明るく、笑い声の絶えない畑さんだが、2013年に乳ガンを発症したガンサバイバーである。2018年に再発転移し、現在も治療を続けている。
「ガンと共に生きる覚悟を決めたからこそ、伝えられることがある。」と、畑さんはYASプロジェクトを始動した。
第一回「YAS会」開催!
2019年8月20日の夜、大阪の北堀江で「YAS会」と称される座談会が開催された。仕事帰りのOLや子育て中の母親など、30〜40代の女性12名が参加した。
「抗ガン剤治療や、辛い闘病生活をのりこえられた一番の源は笑顔だった。笑顔で自分を救ってきた。」
これまでの闘病生活を振り返りながら畑さんは話を始めた。
令和元年の誕生日にSNSでガンであることを公表した。それまでは「ガンになる前の自分に戻らないと!」という気持ちで頑張ってきたが、宣言したことでガンも自分の個性。共に生きていくものだと認識が変わり、ガンを受け入れる覚悟ができたという。
公表後、周囲から想像もしなかった反応があった。励ましや彼女の体を気遣うメッセージの他に、「励まされた!」「家族との接し方を考え直した。」という感謝の言葉。さらには「転職する背中を押してもらえた!」という報告まで受けたそうだ。
「自分の経験や、ガンになって変化した考え方を伝えることで、周囲の人々の気持ちを動かすことができた。自分にもできることがあると分かった今、もっと多くの人に伝えたいと強く思った。」これが、YASプロジェクトを始めるきっかけだった。
どうして、畑さんはこんなにも前向きに過ごすことができるのか。
それは本気で自分の生き方に向き合い、自分と戦ってきたからだ。
「この病気の一番辛いことは、自分らしくいられなくなること。それが検診の度に訪れる。メンタルの波がジェットコースターのように、上がったり下がったりをもの凄いスピードで駆け巡る。気持ちのジェットコースターにやられてしまうこともあって、自分を取り戻すのがしんどい。」
検査前は不安で眠れない夜を過ごし、結果を聞いては安堵する。そんな不安定な状態を救ったのは笑うことだったという。
「大丈夫の言葉に押しつぶされそうになる時もあるけれど、その不安を皆んなと共有し、笑いに変えて乗り越えてきた。 今を楽しんで生きることが辛さを解消すると分かったから、私は笑顔で過ごすと決めた。」
抗がん剤の副作用で髪が抜け落ちたときには、ウィッグを買いに出掛け、様子を見に来た友人に、装着していたウィッグを投げ飛ばし驚かせて遊んでいたという。まるで子供のいたずらのように、その時を楽しんできた。
「奇跡はいきなりやってこない。日々を楽しむことで人の縁がつながり、新たな出会いが生まれる。いま過ごしているこの時間も奇跡。この奇跡の連続が楽しい人生を送ることにつながっていくと思う。」
笑顔の輪を広げていきたい
ガンになる前よりも、今の方が笑って過ごしていると畑さんは断言する。
「恐怖はもちろんある。でも、ガンになったことで自分の人生を大事に生きようと思うきっかけになった。想いを共有してくれる家族や友人がいるから、一人ではなく共に生きていると感じられる。だから皆と一緒にいる時間は笑って過ごしたいし、その瞬間を大切にしたい。」
この日も、参加者と一緒に笑い合う時間が多くあった。
YASプロジェクトとは、笑顔の連鎖で人々に元気を与える活動だ。
今日集まった12名の女性もまた、それぞれに笑顔のバトンをつなぎ、奇跡を起こしていくのだろう。
「すべての人に笑顔で元気になってもらいたい。」という畑さんの想いは、こうやって皆んなで創り上げられていくのだ。
「私を必要とする人がいれば、どこへでも行く。皆と一緒に笑顔を増やしていきたい。」
畑さんが、笑顔のバトンを渡す準備はできている。