「差別をしない」ということは「自然でいる」ということ。前編
ブラッドフォードゆり絵です。
読んでくださっている方、ありがとうございます。
昨日、我が息子に起こった出来事を書きたい!と感じたので
また久しぶりになりましたがペンを取りました。(a.k.a.PCの蓋を開けました。)
差別とか。
LGBTQとか。
マイノリティとかダイバーシティとか。
SDGsとかウェルビーイングとか。(これちょっと違うか?)
今日は少し大きなテーマに触れてみたいと思うのですが。
とにかく、こう、
『違いを認めて受け容れ合おう!オー!』
みたいな?
(私からしたらこう聞こえる。)
そんな言葉が今の時代あちらこちらに散らばっていますよね。
でも、
果たして
私たちは
実際にどのくらいにこれらの言葉を意識したり。
また、
事実を知っていたり経験したり。
はたまた、
無意識にでも自分自身で実践していたりしているでしょうか。
【当事者】
という言葉があるけれど
どこからが当事者なんだろうね。
何かをしたら、されたら?
意識をしたら?
それとも、
『私たちはみんな当事者です』
?????
そのこと自体がもう
「違い」を「違い」として区切っている感じもするし
大きなテーマだと感じているのは私だけで
受け取り手によっては、どうでも良いことだったりするかもしれない。
でも
せっかく私とご縁があり、
これを読んでくださっている方々(主にママだと思いますが)には
少しでも今日のテーマについて
【当事者】になって
一緒に考えてもらうきっかけにしていただけたら嬉しいなぁ
とちょっと期待を込めたりして書いています。
何のご縁か因縁か未だに自分でもよく分かっていないのですが(笑)
我が息子たちは、アメリカンアフリカン(いわゆる黒人)ミックスです。
可愛い可愛〜い、私にとっては世界一可愛い子どもたち。
どの親もきっとこう思っているよね。
先述させてくださいね。
私はもともと
「黒人差別」の記事とかに、今まで結構苦手意識があって
「うわ〜また言ってるわ〜」
みたいにおもっていたことが過去にありました。
(命をかけて発信しているかもしれないのに。)
黒人差別に限らず、
人の発信や訴えに
あまり眼や耳を傾けることに興味がなかったというか。
自分の考えが稚拙だったから?
それとも
これもただ【当事者】じゃなかったからでしょうか?
そういう意味では、
今、
私は【当事者】になり
そしてこのことは想像していなかったことでした。
(自分の人生に「差別」について考える機会が与えられること)
ので、
今、あの時私が
「また言ってるわ〜」
と感じる気持ちを
これを読んでくださっている
どこかの誰かが感じるかもしれない気持ちは本当に理解が出来ます。
あんなことを想っていた私が
今はこんな記事を書き、どこかの誰かに伝えようとしていることは
本当に
人生ってunexpexcted(予想外)ですよね。
面白いナァ〜
愛しき息子たちがこの世に誕生してから
いわゆる「黒人ミックス」という彼らの「アイデンテティそのもの」が
いつか
「差別」という言葉
に出会う日がくることは想像に容易かったけれど
(それに怯え、それを絶対変えるぞ!という特別に強い想いみたいなものは今の私にはありません。
でもこれもまだまだ知識がないだけなのかもしれませんね。)
昨日は
あ〜!こういうこともあるのネ!
なんていう出来事があったので
(※決して嫌な想いや悲しい思いはしていないです!)
シェアしてみよう♪と思ったのです。
長くなってしまったので休憩。
続きは次の記事で。
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