アイデンティティ
私は今、学校でカウンセリングについて学んでいる。
子どもの発達段階と発達課題にプラスして、傾聴の技法など、モリモリたくさんな内容だ。
私は看護学校で学んでいたので、ある程度コミュニケーション技法や発達段階は学んできた。しかし、医療の側から見るそれと教育の側から見るそれは少し、いや、だいぶ違く見えてくる。自分が何者であるか、それによって一つの知識の認識は変わってくることを知る。
初めて「アイデンティティの確立」について学んだ時、私は18歳だった。まだ自分も青年期。看護師になると決めた自分は、側から見たらアイデンティティ確立しまくってるように見えただろう。(特にその頃の歳上の彼氏なんかには特に)
しかし私はボロボロだった。高校生の時に人生の中心であった習い事を辞めて、自分の夢も楽しみも、自信を持って言える特技も趣味も無くなってしまった。アイデンティティを確立していたのに、崩れてしまった。
その時、自分のために何かするのはやめようと思った。好きなことをさせてもらってきたから、家族の喜ぶことを安心することを、誰かの役に立つことをしようと思って看護師になった。
誰かのためにと働いたり、動いたり、生きたりする事は決して悪いことじゃない。しかし、今の私にはそれは結構きついんじゃないかと思っている。
誰かのためにしたこと、それに対する対価があればまだ続けられるかもしれない。例えば、お金だったり、地位や名誉、賞賛される直接の機会。でも、それが『やりがい』のただ一つになるときつい。
やりがいは大抵搾取されてしまう。特に真面目で正義感に溢れた若者のやりがいは、その人の心を蝕むほどに。そんな友人を何人も見てきた。
大人になることは理不尽なことに出会って、それを空気読みながらかわしていけるようになる事でもある。「そんな奴ほっておけ」「仕事だと割り切りなさい」。いやいや、やりがいのある仕事だよ言ったやーん。
そんなこんなで、ピュアで真面目な私は少しやられてしまった。
仕事を辞めて、進学して。彼氏と別れて。一人暮らしして。
私はアイデンティティを確立するために色んなことをしてきたのかもしれない。
今学校で学んでいて、初めて、私の苦しみを自分で伝えて、聞いてくれる人に出会った。(苦手な先生だけど)
「わかってるよ」なんて言うのってなんて無責任な!って思ってたけど、そんなことないのかもしれない。どうすれば解決する、そんな簡単なことじゃないから、あなたの現状知ってるし、わかってるよ!って言ってもらえると、一人ぼっちじゃない気がしてすこし、ほんのすこーし救われる気がする。
だからどうって分かんないけど、しんどいなぁって思いながら、これはしんどいことだよなぁって分かってあげるだけで、少し自分の心に自分で寄り添ってあげられる気がする。
この一歩先、どこかに相談したり、自分のどこをどう変えたらいいかは分からない。
でも、少しずつ、すこーしずつ、楽しい、ウキウキした時間が増えていけばいいなぁと思います。