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一昨日は成人式。友人の何人かは美容師をしていて、一年で一番忙しい日。今や、皆が一斉にヘアを美しく飾るのはこの日だけじゃないかしら。

私の同世代の友人も、ちょうど今年お子さんが成人式を迎えたという方が多くて、SNSのタイムラインは一日中、色とりどりの振袖と笑顔とご両親の幸せそうなコメントに溢れていた。

我がことを振り返ると、高校卒業と同時に家族で香川から千葉に移り住み、成人式の開かれる自治体に知り合いもいなかったから、わざわざ孤独を感じるために足を運ぶ気にはならなかった。それに「成人式」というのは一人前になった証なのだろうに、親に高いお金を出してもらって1日限りの派手なベベを着せてもらうなんて本末転倒だ、などとうそぶいていた。当時私は商業的なこと、慣習的なこと、虚栄的なこと、あるいは少しでもそう見える可能性のあるものが嫌いだった。真実とか本質とかを希求していた。要するに中2だった。

とにかくそんなわけで、知らん顔をして成人式を見送った。

大学の卒業式も本当はふわっとやり過ごしたかったが、母から「甘えることも親孝行なのよ」と言われ、大学に近い池袋の百貨店で袴をレンタルして写真を撮ってもらった。あの写真はどこにあるのやら。


あれから30年が経った。私も遅ればせながら親になり、友人のお子さんが次々と成人式を迎えている今年。本当にたくさんの心と時間とお金をかけて、大切に育ててもらったのだ、ということにやっと気づく。何を偉そうに、自力で成人になった気でいたのだろう。
日本文学科という経済的に回収もできなそうな学科に、浪人してまで入学し、卒業させてもらった。そこまで来られたことがどんなに幸せなことか。私はもっと大喜びすべきだった。親孝行だなんて言い訳すべきではなかった。

そんなことにやっと気づいたが、もう母は他界している。せめて存命の父に、改めて、成人式にかこつけて感謝を伝えよう、と、ハタチの私になりかわって、ここまで育ててくれてありがとう、とメッセージを送った。

すると父から「成人式に晴れ着も与えてやらず、今でも反省している」と、返信があった。

なんてことを。
いや、そうだ。成人式の晴れ着は親にとっても表彰状なのだ。ここまでよく頑張って育ててきた、と。自分のことを後回しにして、子を大切にしてきたのだ。言いたいことももどかしいこともグッとこらえて、子を見守ってきたのだ。
あんなに大事に育ててもらったのに、その節目をちゃんと飾らなかった私。本当に未成熟で、まさに成人とは言えなかったな。

人生には後悔することがたくさんあって、まだまだ歩き直さなきゃいけない道がたくさんあって、償いかリベンジかわからないけれど、少しでも挽回して生きていきたいな。

成人式のことに気づけて、今日も生きていてよかった。今度帰省したら大学の卒業式の写真を探して、父と見よう。


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