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小林秀雄になりたかった話

皆さんは小林秀雄という方をご存じだろうか。きっと名前を知らずとも、教科書や試験の問題で嫌というほど見たと思う。『無常という事』や『本居宣長』など、様々なセンター試験で採用されているほど有名な文芸批評家であり、作家であった。
かく言う私も、高校の入試問題に小林秀雄の鴨長明に対する批評文が出て苦しみながらも、文の上手さに舌を巻いたことを今でも覚えている。最近では『西行』を教えなければならなくなり、読んだところ思わず泣いてしまうといった状態である。正直バイト先で泣きだしたのは自分でも危ないと思っているが、実際に読んでもらえばわかると思う。

さて本題に入る。
私が小林秀雄になりたかったと思うのは、彼の文章の上手さに対してではない。
彼の「作品や作家の心」をいかに読み解くか、という点である。
時代背景のみならずその時代の多くの作品、様々な歴史的事実、伝承からその人となりを読み解き、作品の奥深くを見ていく。その姿に私は憧れた。
勿論、その読み解いたものを伝える文章力、知識量、全て私の憧れであることは間違いないのだが、彼の批評文には想像力だけでは収まらない説得力がある。

多くの人物に対する批評文というのは、作品一つ一つの通説的な解釈であったり、その文章の技法であったりを、自分の感じたことや想像を織り交ぜ批評をしていく。
その人物像を自己の解釈で読み解き、それを第三者に伝えるというものだから、容易いものではない。もちろんその中には肯定的な意見だけではなく、ミスや欠点をつくようなものも少なくない。

批評文を書いている全ての人が、その人物への理解をしていないというわけではない。もちろん批評文の中の多くの名文は、人物への解釈を深めたうえで、作品を読み解き、更に読み手の想像力を膨らませるように書いてあるため、頭の弱い私でも読みやすく理解しやすい。
その中でも異彩を放っているのが小林秀雄であると私は確信している。


世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせん

西行の歌である。この歌は藤原定家にも評され、「郡首類従」によれば西行はその評言に心を動かされたという逸話もある。
俳句の大まかな解釈としては、「世の中の理を思えば、物は全て散る花のようなものだ。そのようなわが身をどう考えればよいのか。」といったものである。
武士であったものの20歳で出家した西行が、散る花は根に土に帰るというが、わが身の行方はどこに置くべきか。それを知ってどうしていこうかと、苦しみながら迷う心が見える、と思う。

私自身は、古文なんぞわからんので解釈聞いて納得したい!!と思うタイプなのでこの解釈も人の解説を聞き自分の納得のいくものをとどめている。

同じ俳句をこちらもかなり有名な批評家白洲正子氏は、「どこまでも内省的に、自己のうちへ籠るのが若いころの西行の歌風であった。」と評している。(「西行」より)

この歌に対しての小林秀雄の解釈は、彼の歌風だけではなく、心の内省の傾向までをも見ていた。

如何にして歌を作ろうかという悩みに身も細る想いをしていた平安末期の歌壇に、如何にして己れを知ろうかという殆ど歌にもならぬ悩みを提げて西行は登場したのである。彼の悩みは専門歌道の上にあったのではない。陰謀、戦乱、火災、飢饉、悪疫、地震、洪水、の間にいかに処すべきかを想った正直な一人の人間の荒々しい悩みであった。彼の天賦の歌才が練ったものは、新しい粗金であった。事もなげに「古今」の風袋を装ったが、彼の行くところ、当時の血腥い風は吹いているのであり、其処に、彼の内省が深く根を下ろしている点が、心と歌詞との関係に思いをひそめた当時の歌人等の内省の傾向とは全く違っていたのであって、彼の歌に於ける、わが身とかわが心とかいう言葉の、強く大胆な独特な使用法も其処から来る。「わが身をさてもいづちかもせん」という風には、誰にも詠めなかった。
(「西行」小林秀雄)

西行の歩んできた道を知ったうえで、歌からここまでを読み解き、想像し、私たちに訴えかけるものを書くことは彼にしかできないだろう。
更に言えば、「専門歌道の上にあったのではない」という文も西行が歌論というものをあまり残してはいないということが事実としてある。「古今」の風袋を装ったというのも、実際のところである。西行の歌の技法、その歴史的事実にも基づきこの解釈を書くのだから、ただただ感嘆の声を漏らすしかない。

私は感想を書くたびに思う。文にはその人となりが出るのというのなら、私にもそれが読み解けるようになる日は来るのだろうか。私が文の奥底まで読み解ける時がもし訪れたら、そこに何が残るのだろうかと。感想なんて。感想なんて、自分の事を見つめ続けるだけの言葉なんて本当に必要だろうか。私は、人に素晴らしさを伝える文なんて書けるのだろうか。私もその人を深く知り、作品を、時代背景を読み解き、その素晴らしさを人に伝える文が書きたい。私の文は、文ではない。と。

時々小林秀雄の文を読んでは、私もこうなってみたいと思う。彼のように人を作品を愛することが出来れば、どれだけ幸せだろうとも思う。
実際には、私は決してその道に進んでいるわけではないし、普段読む小説は専ら二次創作ばかりの私が言うことではないのは分かっているが、憧れるのだ。彼の表現に、理解に、作品への愛情に。

もしこの雑文を最後まで読んでくださった方がいれば、「無常という事」を読んでいただきたい。彼の作品を読んだ時の経験や歴史への考え方などが、深い思索と気風のよい文章で書かれており、その思想は錆びることなく現代の私達にも響くものがあると言える。

最後に、西行の最後の一段落を引用して本当のお終いにしようと思う。

   風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな

これも同じ年の行脚のうちに詠まれた歌だ。彼が、これを、自讃歌の第一に推したという伝説を、僕は信ずる。ここまで歩いて来た事を、彼自身はよく知っていた筈である。「いかにかすべき我が心」の呪文が、どうして遂にこういう驚くほど平明な純粋な人楽句と化して了ったかを。この歌が通俗と映る歌人の心は汚れている。一西行の苦しみは純化し、「読人知らず」の調べを奏でる。人々は、幾時とはなく、ここに「富士見西行」の絵姿を想い描き、知らず知らずのうちに、めいめいの胸の嘆きを通わせる。西行はついに自分の思想の行方を見定め得なかった。併し、彼にしてみれば、それは、自分の肉体の行方ははっきりと見定めた事に他ならなかった。

   願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ

彼は、間もなく、その願いを安らかに遂げた。

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