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日記の提出と私の進化について
朝起きたら、秋だった。ノースリーブに短パンで目覚めた私は冷え込んでいる。何故秋は毎年突然来るのだろう。
フィリピンへの旅をnoteに記録してから、二ヶ月が経とうとしている。そうか、そんなに経てば夏も終わるか。また私だけ夏に置いてけぼりだ。去年もそんなことを思った気がする。
夏の余韻が冷めず、私は英会話の習い事を始めていた。よくある、凄まじく高いお月謝を教科書や授業システムに注ぎ込むものではなくて、近所の個人経営の小さな教室だ。まだ始めて2ヶ月ほどだけど、我ながら肌に合った場所を見つけた。
先生から宿題を出される。英語で日記をつけて、授業日に添削してもらうというものだった。日記をつける習慣はもともとあったし、こうしてブログを書くほど作文が好きなので私は喜んで始めた。
が、これが結構難しい。
夏休みの宿題みたいになるのだ。
「今日は海に行きました。友達と行きました。満潮だったので近くの公園から見ました。綺麗でした。」
「今日は友達と遊びました。お酒を飲んだりカラオケに行って歌を歌ったりしました。楽しかったです。」
子供用の塗り絵のような平たい世界観。言葉の引き出しがないって辛いなあとしみじみと感じる。それでもちまちまと、日記をつけ続けた。
ある日、秋になった。
私は今日も日記を捻り出していた。
「今日は朝起きたら秋になっていました。ノースリーブに短パンで寒かったです。何故秋は毎年突然来るのでしょう。」
「今日は古着屋でとても良い冬のスカートを見つけました。試着したかったのですが、試着室に入った女の人が一向に出てきません。私は待ちましたが二度と出てくることはありませんでした。」
内容に色がついてきて、日記をつけるのが面白くなってきた。わたし的には「夏休みのにっき」から「秋のプチ読書感想文」くらいレベルアップしているような気がする。
残念ながら、英語が上手になったとかでは全くない。なんとなく「今日あったこと」から「今日言いたいこと」の方向に自分がゆっくり向いていくのを感じただけ。
言葉の習得ってこうして始まっていくのかな。
「自分の世界」から「相手のいる世界」へ心を開いていくの、楽しいかもしれない。赤ちゃんに戻ったような気分で自分自身の変化を楽しみたい。
今日は何を書こうか。面白いことはあったかな。電気をつけて、珈琲を淹れて、ホクホクとした気持ちでノートを開く。夏に負けない秋になりそうだ。