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一回読んだ本や見た映画やドラマや人に再び出会うことが多い。出会いなおし期間。[2023.06 #02]

金曜日
雨の音を聞きながら眠るのが好きだ。雨なら、外に出る理由がなくていい。生粋のインドアというか、家でできる行為が好きだから。............はい、ごめんなさい。ベットから動かないでいる理由を求めているだけです。でも雨の音を聴くととても落ち着く。でも外を出る時はなるべく雨が降っていてほしくない。雨は降ってほしくないけれど、朝ドラの『半分、青い』の永井芽衣と間宮祥太朗みたいに雨の中で踊ったりしたら、たのしいだろうなとも思う。

雨の音を聞きながら、夜寝る前に、自分の家の本棚とにらめっこする時間が好きだ。といいつつも持っている本の3割くらいしかたぶん読んだことない。ちゃんと読んでもないけれど、なんとなくこの本にはこんなことが書かれているだろうということは知っている。今日会った人と話した話や今なんとなく気になる本を引っ張り出してパラパラめくる。明日から読む本になる時もあれば、ただ机に積まれて終わる時もある。
今日は本棚から『農民生活史』と『山漁村生活史』、『spectator 土のがっこう』、『死ぬまで生きる日記』、『日常的実践のポイエティーク』を引き出した。頭の中でこれらの本をマッピングする。また、同じ場所に戻す本もある。『死ぬまで生きる日記』は次に読みたい本として、枕元に積む。『日常的実践のポイエティーク』は研究室で当時話題になっていて、読んだけどあんまり分からなくて、悲しくなった過去があるから元気じゃないと読めなさそう。本を読む時はあんまり元気がない時が多いから、元気がなくても読める本ばかり読んでしまう。

H.Takahashiさんの『Nymphaea』をかける。人におすすめしたのもあって、永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』を読み直している。読みながら、何度も何度も本に重ねて、自分の脳みそでも、考えて考えて考えてしまう本。考えさせられている。

土曜日
ひさしぶりに、大学に行った。大学生の頃、毎日通っていた場所。私の大学生は都心部から遠くて、わざわざ大学に行かないと普通はあまり行かない場所にある。それだからかもしれないけれど、そのまちの至る所に当時の記憶が棲みついていて、サイゼリアだけでも友だちとサイゼ飲みをした楽しかった夜、友人が住んでいて足しげく通ったマンションなど、Google Mapでは分からない、他の人とは違う視点でまちをみることができる。

普段は脳のどこにしまってあるのか、全く思い出さないようなことが、まちにしまってあったのか、まちからどんどん思い起こされる。「ああ、ここのコンビニでアイスを買って食べたなー」とか、「ここに住んでいた先輩、元気かな」とか。

駅前なんてめちゃくちゃ普通の駅。でも、たくさん行ったカラオケ、なぜか同級生の多くがバイトをする居酒屋、抜け出した飲み会で酔い覚ましした階段、どれも平凡でありふれた思い出だけど、わたしにとって私を型づくる思い出の数々のような気がしてくる。セブインイレブンもファミリーマートもイトーヨーカドーもサイゼリアも全部、ちょっとずつ思い出とともにあって、それはどこにでもあるまちのひとつなんだけど、どこにもないなぁってちょっと感情に浸り過ぎているね、これは。

土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』を読みはじめる。私はめちゃくちゃネガティヴだけど、あんまり死にたいとは思ったことがない。正確に言うと、生きるのがつらい感情があるけれど、死ぬっていう選択肢がないに近い。なんで生きているんだろうとは、思う。でもみずから死ぬを選ぶのはなぜか違うと思っている。(少なくとも自分の意思で思っているつもりだが、もしかしたら死んではいけないという教育の賜物かもしれないとも思う。)だから、死にたいっていう友人の気持ちも分からなくもない。みんな度合いはあれど、そうなのかなと最近は思う。この世の中、しんどいって言えないことが多すぎる。死にたいって言われると、死にたいって言わないでって思ってそれを言ってしまったことがある。けどそれは、言わないでという呪いの言葉だったのかな。この本を、死にたいという、あの人にも渡したいな。

火曜日
最近好きなポッドキャスト『take me high(er)』の「日本語で怒れない💢」を聞く。怒れない人の話について。怒ってないんじゃなくて、怒れない。怒りを人に伝えられない人の話。友だちと、伝えること、こうしたら嫌じゃないかなということがほんとに難しいと話していた。

このエピソードでいうと、私はharu.さんタイプで、社会にはめちゃくちゃ怒れるけど個人的なことは、かなしくなって怒れないタイプ。社会に対してや友だちの悩みとかに対してはいくらでも怒れるんだけど、個人的なことは対立が怖くて、基本的には嫌われたくないから、いつもうまく伝えられないし、対立がとっても怖い。というか年々下手になってきている。めっちゃくちゃ勇気を出して言っても、対立が怖いから、思っているのの1/10くらいで伝えちゃうし、ポップに伝えたくて笑いながら話しちゃう。それで自分で自分の怒りを肯定してあげられなくてより落ち込む。

ポッドキャストのエピソードで、ぷんぷんって言葉は自分の怒りを2gのグミにされた気分っていってて、あー私そうしちゃうってなって。でも、本当は3kgのキムチくらい怒っているって話もめちゃくちゃ共感した。怒りを質量と物質(しかも食べ物)で表現するっていうのは、すごくいいな。
わたしも3kgのキムチくらい怒っているよってちゃんと伝えたいな。でもそもそもそんなに怒っていないのかもしれない。怒るというよりはやっぱり、かなしいことや違和感の方が大きくて、そのズレを相手と確認して対立しちゃうのがこわい。怖い。ああ、世の中怖いことばっかりだなー。

薦めてもらった、谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』を読む。最近、この人ってこんなに素敵だったの?というように、一回読んだ本や見た映画やドラマに再会することが多い。いつも見過ごしている。でも今会えてうれしい。出会いなおし期間。

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