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好きと嫌い

ほぼ誰にでも好かれる人はすごいな、とよく思います。たぶんとても気持ちの良い人であって、自然とそれができるのなら人格者なんだろうし、もしご苦労があるのだとするのならば、それをやれる強さや優しさがあるからです。

私はできないから書いています。自然とそうさせる柔軟さも心の優しさもないからきっと努力しなければならないんだろうけども、それも面倒だからです。悪いところを挙げるとするならば、この怠惰が諸悪の根源なのでしょう。

「嫌われる勇気」という本がベストセラーになった一時代がありました。詳しく話すのも既に知られたことなので割愛しますが、私は読了したのち、あえて実践しなくても、まあまあ数多く嫌われることをよくするんじゃないかな、と思ったことを覚えています。

別に、格好つけているわけでもなんでもなく、本のような発展的なことに繋がるわけでもなく。全然、勇気があるわけではないんですよね。私のすることは、ナチュラルに嫌われるので。

今日はこれでも自分を卑下する話ではなくて、最近こちらを読んでいます、という話です。

私はcakeで連載されている幡野さんの人生相談と、Vogueに掲載されているしいたけ占いを愛読しているので、興味深い対談です。

まだ完結はしていないのですが、トークの部分の掲載分は終わったようなので、感想文に近いものをここに書いています。

お話しの中で、こういうやりとりがありました。

幡野
(笑)でも、嫌いなものに対して「嫌い」って向き合うのは大事ですよね。ぼく自身は人でも、ものでも、なんでも、直接「嫌いです」って言っちゃうほうですけど。
しいたけ.
ああ、幡野さん、言うんですよね。
幡野
うん。言うことで場が微妙な空気になることもやっぱりあるんですけど。それでもそうやって「嫌い」ってはっきり言ってると、相手から干渉されなくなるんです。経験上、嫌いな相手に対しては「嫌い」とはっきり言うと、相手から離れていくなと思いますね。

気になった方は前後も読んでいただきたいのですが、私はこのあたりにとても同意してしまうのです。ダメですね。一般的にだからだよ、というやつなのかしら。

私が嫌われるのは、きっと私が嫌いというか、苦手になるからです。うまく付き合えなくなります。ああ、なんか違うな、と思うと、忘れることもできなければ、よかったことを思い出すことも減り、その場を切り抜けるためにも繕って笑うことができなくなります。

色々な関係性やツールがある中で、うまく曖昧にしていれば分からないのに、私は、それは自分がダメかもしれない、いうラインがどうしても譲れなくて、かつて私がどんなに心を許したとしても、そのラインを踏んだ、と感じてしまうとかなり明確に拒否の姿勢を出すことをやめないので。

また、嫌われる勇気によく関連づけられる「承認欲求」の話もあまりピンときません。SNSを使っていて、よく誤解されるのですが、関連性の薄い大勢からのいいねが欲しい、とか偉くなりたい、などという欲求は、近年の環境には切り離せない問題なのかもしれませんが、仕事にしていないしなるわけもないし、私は自分で書いて、自分で読んで満足できてしまうのでした。何より、他人の評価や印象に振り回されるくらいなら、自分の内面に振り回される方が楽しいのです。 

これは全て、私自身が頑固であり、自分勝手で自己中心的で、穏やかで緩やかでないせいなのですが、実は比較的、こうしてしまう性分は気に入っていたりもします。だから治らないし、直さないし、嘆いてるわけでもない、という図々しさ。

これを世間では性格が悪い、といいます。

ただ、私の中の世界は0か100…好きと嫌いのくっきりとした二層であるわけではないようです。

じっくり考えてみると、好きはともかく、嫌いでもない感情も存在しています。なんでもない、どうでもいい、など。

私は好き嫌いははっきりしていますが、好きも嫌いもさほど数が多くありません。大半がなんでもない、か、どうでもいい。また、後述しますが、嫌いは徐々にどうでもいいへ消えていきます。何かあっても気にしないか、何かあっても関知しないことがほとんど。あ、自分でも対人関係は乏しいのは理解できています。

嫌いになるのは、だいたい好きだったり、興味があったりしたあとです。だいたい自分に残念な気持ちにはなります。それは、何かが違っていても分かって欲しかった、捉え方はそうじゃない誤解だった、など、色々な場合がありますが、それは全てが自分勝手な思い込みなので、私が好きになること自体が間違っていたのだろうな、と思うことが多いです。

後悔がないと言えば嘘になります。またやってるなぁ自分、でも譲れないんだよなぁ、と何度か逡巡した挙句、そのうちどうでも良くなって忘れてしまいます。…繊細さの欠片もない。

私はあまりエネルギーのある方ではありません。肉体的にも、精神的にもです。気配りも下手ですし、お世辞も下手です。会話にはそのかわり嘘はないのですが、信じてもらう努力は怠っている自覚はあります。

ちなみに、こんな私にも数少ない大切な好きはあります。私の少ないエネルギーは、好きを大切にしたり、守ったり、励ましたりする私の中に残っている良心というか、まともな力にしたい、と思っています。


2020.04.24.