Love,Basketball.
つらい夜はいつも楽しかったことを思い出すことにしている。そうやっていつも凌いできた。そうやって、布団をかぶってどうにか朝を迎えて、繰り返して凌いだ。
10年前、私は娘をお腹に宿していたが、発覚時から重症の悪阻で何ヶ月も寝たきりだった。現実に耐えられる自信がなく、何度も目の前の道路に横たわろうか、近くのビルから飛び降りようか、と思う気持ちがあった。そのときに少しでも今を忘れられるものをと思い、バスケットボールの動画を見ることを私は心のよすがにしていた。
バスケットボールについて何か書くときは、届かない手紙を書くことに少し似ている。
スポーツは、テレビでもストリーミング配信でも、雑誌や新聞で知るのも楽しいが、現地でお金を払ってみる価値が充分にあるものだと思っている。
私の好きな選手は、オールラウンダーと呼ばれるタイプの選手だ。基本、なんでもやる。なんでもできる。というかきっと、できるようにしているのだ。気の遠くなるような努力を続けられるその才能で。
あくまで憶測でしかない。
そう見えて、そんな感じがするだけで充分なのだ。「観る側」がプロの世界を覗き見て、それ以上を知りたがる人もおられるのだと近年知ったけれど、私はそこに興味はない。
相手が勝負をかけるそのときに、必ず止めるディフェンスに、ぎゅっと気合いの入る瞬間が好きだ。
チームの連携が実ってディフェンスが成功した時に、真っ先に走り出して駆け抜けていく姿が好きだ。
何人かを引きつけて、より打ちやすい仲間の手元にパスを出し、成功したらクラップして褒める仕草が好きだ。
劣勢でも決して諦めることなく、どれだけ走っていようと緩めることなく、誰が待ち構えていようとショットを決める姿が好きだ。
近い席を買えば時々の表情すら確認できる。そうでなくても、現地で同じ熱を共有させてもらえたような気持ちになることはとても楽しい。楽しませてもらっている。
もちろんそれはストリーミング配信だとしても感じられることでもある。距離が遠くても、たとえ画像がザラザラでも、通信状態がブツ切れでも…耐えれば感じることはできる。
スポーツを観たときに感じる、勝ち負けのあるものに対して闘っている人たちのいる空間に間借りするときの特有の胸の高鳴りは、独特の高揚感がある。バスケットボールのアリーナに降りていくとき、コートを見下ろすとき、必ず好きな選手を探すとき、見つけたとき、いつも手が震える。
観客になることは幸せな経験だ。与えられるスポーツの感動は誰にでも均しいから、私は観客になるのが好きだ。
観客が社会でどんな立場であろうと、どんな生活をしていようと「なんである」か、関係なく「その他大勢」になれる気楽さがあり、私は日頃の事を忘れることができる。得られるサービスは金額により差があるが、それは純粋な資本の対価だ。あとはホームかアウェイか、その程度でしか変化しない。
のは、あくまで私の感覚で私の理想だ。それでも、ただの大勢の中の1人になって、好きな選手が輝く試合を観るのは、私の抱く夢のひとつだ。
かつて、ミニバスに入った息子と共に練習していたとき、私はバスケットボールをするのはとても下手だった。「やる側」の気持ちに疎く、自分勝手に観ることでしか好きでいられない。カメラも持たず、写真も撮らない。イラストで何かを残すこともない。高い意識のもとに仕事にするつもりも全くない。ただの観客で、こんな情勢でも、好きでいることを止めることもできない。
バスケットボールが好きだ。バスケットボールを仕事にしている人を観るのが好きだ。
だから今日も布団を被って、素晴らしいプレー動画を反芻している。
2020.04.21.