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共に闘うなら、尊敬する人と

貴方は誰と共に闘っていますか。

怯える暮らしには、もう飽きました。

私は闘って、生き抜きたいのです。


noteを書こう、と思いながら月日が過ぎ、いつの間にか世界中の全てが止まろうとしています。

こちらでははじめまして。
私はただバスケ観戦が趣味の、どこにでもいる平凡な人間です。

発言の場としてのTwitterを停止し、心の中に溢れる思いはここに記すことにしました。刹那的に流れては消えていく世界は楽しかったことも多いけれど、繋ぎ留めておく何かが、私の中で失われてしまったので、独り言として書き記す手段を選びました。

本来は観戦記に近いものを書きたいのですが、世界中が停止する直前のような状況が毎日続き、日常を取り戻すにはまず倒すべきものが世界中の人々の目の前にあると思います。

現代史の中で、これほどまでに粘り強いものとの闘いは、初めてだと思います。人間は未知の病と対峙しています。古くからは黒死病を、ようやく減ってきた結核を、特効薬を作り出したSARSを、予防接種に組み込んだ新型インフルエンザを。人間は歩みを止めず、どうにかして前進してきました。

今回は根絶を目指すことも、飼い慣らすことも、どうにか共存することも、なかなかできそうにありません。

手強い相手です。

衛生環境も、医学も、文明の利器も、今はかなり発達してよくなっています。そのなかでも消えず生き抜こうと、人間を侵すウイルス。

ただ怯え、侵食されていくのを眺める日々。

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発達した文明の利器から、世界中の出来事や、人々のダイレクトな言葉が即時に伝わる時代になりました。

これをご覧になれる環境の方は、SNS等での溢れる言葉の渦に目を通していると思います。

私は正直、辟易しました。

不甲斐ない国の対応にではありません。

糾弾、呪詛、恐怖、扇動、流言の洪水にです。

認識の強度は違えど、誰もが怖いと思います。鬱々とした日に嫌気もさすと思います。正しい情報を手に入れるために、真偽を確かめ続けることは非常に精神的にも疲弊します。私だってそうです。

ただ、SNSはその性質上、非常に脊髄反射的なツールで、集合知でもある反面、理論と感情の入り混じる、そもそも真偽の怪しいソースであることがままあります。

振り回されて、疲れて、うんざりして。

精神の疲労は、肉体を蝕みます。健全な肉体は、健全な精神に宿るのだと思います。

身体が弱ったらそれこそ、新種のウイルスの思う壺です。

私はとても、とっても負けず嫌いなので、なんだかそう思うと腹立たしくなってしまうのです。バスケで勝ちたいのと同じで、ウイルスにだって勝ちたい。負けたくない。死にたくないもの。大切な人だって誰一人死なせたくない。

今闘う相手はなんなのか。

政府でしょうか?デマでしょうか?メディアでしょうか?
総理は即時に引き摺り下ろせないけれど、みんなで手を洗うことは今すぐ、できます。

目前の敵はウイルスです。

何はともあれ、それらへの行動は、ウイルスに打ち勝ってから。に、私はします。


私が意識して、やめていることを書きます。

✔︎乱暴な言葉遣いの発言をわざわざ読んで、憤ることをやめました。
✔︎どんなに多くの方に拡散されていても、事実確認のできないものは感想文だと思い、容易に信じることをやめました。
✔︎注意喚起のためにデマを否定することは、結局は内容の拡散に繋がると考え、あえて啓蒙することをやめました。

非常時、人間は心が乱されて、全てを安易に信じてしまう心境になったりします。また、他人はそう簡単に変えられないので、特に最初から好みの答えの用意してあるような意見交換は、こんな時は疲弊するだけ時間の無駄と考えています。

そして私が意識して、やるようにしていることです。

✔︎有事以前からの平凡なルーティンを大切にし、大切にしている人と交流する。
✔︎社会における自分の立場を理解し、わかりやすく貢献している方の投稿を参考にする。
✔︎政策への不満は忘れず選挙に生かすよう記憶し、今は自宅周辺での生活を楽しめることを小さなことでも探す。

例とすると、真偽の定かでない恐怖を煽るツイートの間違いを事細かに調べ上げて糾弾するくらいなら、NBA選手が家でできるトレーニングを公表してくれていることや家にいようと励ましてくれている事実に注視すること。などです。

闘う相手を間違えると、肝心の勝負に負けます。それは嫌です。

寄り添うなら、闘うのならば。
見知らぬ妄言に耳を貸し、
役に立たない傀儡を言論で殴るよりも。

私は、大切な人と、尊敬する方と共にありたい。

その方は、自分がおかれている立場を理解し、慎ましくも強く在るひとです。
若く、勇敢で、優しくとても聡明な方です。その生き方に、私が、どんなに励まされたことか。きっとずっと忘れないでしょう。


人間は、社会の中で生きる生き物です。群れで暮らし、集まることも、話すことも、生きるためにはとても大切な行動です。

それを取り戻したい。切に思います。

社会に生きる我らには、それぞれに相応しい役割があると私は思っています。

今やれる、最善の手段をとること。振り回されず、自分の力で考えて生きたいです。


あー!早くバスケを観て、素晴らしいプレーに感動して感謝して、大きな声で応援して、帰りにご飯を食べながら、あーだこーだ友人と試合の話をしたいなぁ!!!そしてここに暑苦しい観戦記を書いてやるんだ。必ず。

2020.04.06.