産後うつと断乳と娘からの愛ある試練
生後10日、軽度の産後うつになりました。
”子供は親を選んでくる”
”ママを幸せにするために生まれてくる”という類の話は割と信じていている方。
娘が生まれて数日で、私の弱点を克服しないといけない状況に陥った。
もしかしたらこれが、娘が私を幸せにするために与えてくれた試練なのかも、と。割と本気でそう思っている。
当時の感情をそのまま残しているので、暗い部分があります。
嫌な気持ちになりそうな方はスルーしてくださいね。
今は元気に回復して育児に励んでいます!
この体験を備忘録として残したかったので記事にします。
私の弱点は「人を頼ることが苦手」なこと。
何事も平均点までは器用にこなせてしまうところもあり、自分があともう少し頑張れば済むことだ、と1人で抱えこむ癖がついている。
振り返ってみれば、今までぶつかってきた問題の中には、人に頼れないことが自分を苦しめていたケースも多かった。
子供が生まれた今、これからの生活を想像すると、この苦手を克服しないとやっていけないことは容易に想像できる。
愛ある試練が始まる。
7月1日に娘は産まれた。
退院後、我が子からの愛ある試練はスタートした。
実家が近いこともあり、里帰りせずに1ヶ月育休をとってくれた夫がいる自宅に娘と帰宅。
産後1週間のため極力休んでいないといけないが、色んなことが気になって動きたくなってしまう。
すごく協力的な夫だが、私のホルモンの変化もあり、些細なも気になって小さなストレスが積み重なっていた。
7月10日頃、胸の痛みで母乳をあげるのが辛く、泣きながら授乳や搾乳をしていた。
優しく声をかけてくれる夫に対しても、「こんなに辛いんだから察してよ」と心で叫んで口には出せず、涙ばかりが出てきてしまう。
7月13日、朝起きた瞬間から強い胸の張りと微熱と悪寒。
午後になると40.3度の熱と激しい震えが。
救急車呼び産婦人科へ(どこも受け入れてもらえず2時間ほど救急車の中で待機した)。
婦人科で診断を受けるも、薬出されて帰宅と言われて驚いた。
とても起き上がれる状況ではない。
点滴を打つも歩けず結局入院することに(絶対帰れなかったよ)
こんな時でも人の心配ばかりしてしまうのは私の悪い癖だ。
早朝から、新生児と熱がある私の世話をして過ごした夫の体力が心配で、義母さんに「夫を休ませてください」とお願いの電話を入れてしまう。
2回の点滴が終わり、2時間おきに洗面所で手で搾乳するがとても痛い。
赤ちゃんに飲んでもらうしか治す方法はないと言われたので、
退院後は激痛を我慢し、叫びながら直接授乳を続けた。
少し張りは良くなったものの乳首から血が出て痛すぎる。
もうあげることができない。怖い。
翌日は3時間おきに手搾りと搾乳器で母乳を出しつづける。
4時間あくとハリが強くなると言われたので寝過ごすことはできない。
もう高熱を出したくないし、あの痛みが怖い。
「最初はみんな痛いから今が頑張りどき」と言われたので、あと1ヶ月はこの生活を続けなきゃいけないのかと途方に暮れ、涙を流しながら搾乳をする。
当時の感情をメモに残した。
かなり暗いので、読みたくない方はスルーしてくださいね。
生後16日、母乳をやめました
7月16日 産婦人科の母乳外来へ
両方の胸が赤く炎症を起こしていて良くない状態だと言われる。
先生に今の状況を説明しながら、また涙が止まらない。
先生から一言。
「薬でおっぱい止めてみる?」
”え、そんな方法があるの?”
おっぱいをあげられない寂しさもあったが、すがるような気持ちで薬をお願いした。
赤ちゃんの栄養は他でなんとかなるけどママは一人しかいないから。と。
少し安心したのか、また涙が勝手に溢れてくる。
順調に育ちすやすやと眠る娘を見ると、また違う涙が。
もう目が開かないほどにまぶたが腫れてしまった。
これからはもっと抱っこしてあげられると思うと嬉しい。
夜も夫にバトンタッチして長く寝ていいんだ。
今しかないこの一瞬を正常な感情で味わえる喜び。
色んな感情が湧き出てくる。
頼ると罪悪感を感じてしまう体になっていた
”とにかく今は周りの人に頼ってゆっくり休んで。”
合言葉のように色んな人からそう言われた。
母乳をやめて気持ちはかなり楽になったものの
やはり難関は「人に頼る」というところだ。
休まなきゃいけないけど、子供のことを任せっきりなことも胸が痛む。
眠そうな夫の顔を見ると申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
でも体力が追いつかない。悔しい。申し訳ない。の繰り返し。
そんな感情で数日を過ごして、ようやく本音が出せた。
「任せているのを見ると罪悪感を感じてしまう。人への頼り方がわからない。」
これを言うのにさえ何日もかかってしまった。
すると、これまで私の意思を確認しにきていた夫も、独断で色々と決めてくれるようになっていった。
周りが決めてくれるのはとても楽だった。
判断をすることにも疲れていたし、私に判断を迫られたら「大丈夫」と言って自分で頑張る選択をしてしまうから。
こうして少しずつ周りに頼ることができるようになってきた。
ここまで書いていて、なんて面倒くさいんだろうと自分でも驚く。
過去の小さな体験の積み重ねで、これほどまでに頼る行為ができない体になっていたとは。
素直に頼ってもらった方が、周りの人も楽なはずなのにね。
我が子からの試練は容赦なし
我が子からの愛ある試練は、しょっぱなから本質をついてきたものだった。
自分でも見て見ぬふりをしてきた根深い弱点。
お空でよく私のことを見てくれていたのだろうか。
「人に頼る」は、まだまだ克服できてはいないけれど、
「弱点に向き合う」という一番エネルギーを使う段階は乗り越えたはず。
自分の見たくない一面に「向き合う」ことが一番難しいことは、過去の経験からわかっている。
向き合えさえすれば、ここからは方法論。
きっと少しずつ試練を乗り越えて、我が子が願う"ママの幸せ"に近づいていける気がしてる。
今は体も心もかなり回復し、
寝かしつける時のオリジナルソングも口ずさめるようになった。
(思いつきで変な歌を作曲している、効果は謎)
備忘録
今回の経験で感じた忘れてはいけないことを記録します。
1)「お願い」ではなく「今の気持ち」を伝える
人に頼るときに「〜してほしい」と言えない時は、今の気持ちを伝えるだけでも大丈夫。
「どうしていいかわからない」「何をお願いしたらいいか決められない」
これを伝えるだけでも気持ちは少し楽になるし、相手もそれに対して考えてくれる。
2)手放せるものは手放す。遮断していい。
・頼ることが難しい時は公的機関や有料サービスを利用する(プロに任せる)
家族に任せるのは罪悪感を感じてしまうが、産後ケアでは安心して子供を預け療養することができた。
・外部への連絡は家族に任せる
メッセージ一つにしても気を遣うため、家族や友人、病院への連絡も全て夫に任せた。判断することも疲れた時は手放していい。
3)知識は人を助ける
母乳を止められる薬のことを知らなかったら、今も泣きながら授乳を続けていた。知識は命を救うこともある。
(ヨガでも無知は苦痛を生むという教えがある)
4)心と体はつながっている
一晩寝ただけでも、憂鬱な気持ちが少し良くなった。
ご飯を食べたら動いてみようという気持ちが生まれた。
ヨガを通してわかっていたつもりだったけど、今回身をもって心と体のつながりを感じた。
今日でちょうど娘が産まれて1ヶ月。
お腹の中から全く違う世界に出てきた娘も、
眠い目をこすりながら3時間おきにミルクをあげて、入退院を繰り返して怒涛の日々を送った私も夫も、1ヶ月間よくがんばりました(ハナマル!)
まだまだ始まったばかりの3人家族生活。
今回のことに限らず、これから色んな場面でこの学びが私を助けてくれると思います。
ありがとう娘ちゃん!