40・モラ逃げXデー。18年間のモラハラからついに逃げました。【後編】
前回の記事はこちら ↓
モラ逃げした翌朝、起きて子供達とコンビニで朝ごはんを買いました。
まだガス台もレンジもない我が家。
買って来たパンやサラダを小さなテーブルでもそもそと食べました。
本当にこれからここに住むんだ。
小さなアパートに3人で。
不思議でした。
午前10時に荷物が届きます。
それに合わせて友人が手伝いに来てくれました。
駅からうちまでの経路は案内していたけど、子供がどうしても駅まで迎えにいきたいというのでのんびり歩いて行きました。
昨日の夜とはうって変わって、暖かくポカポカといい陽気の日でした。
子供は楽しそうに歩いて行くのですが、私はどうしてもキョロキョロと周りを見渡してしまうのでした。コロナ禍でマスクをしていて、顔が半分隠れていることが「よかった!」とも感じました。
友人を迎えてアパートに戻り、しばらくすると荷物が届きました。
家具は2つ、あとはダンボールに入れた日用品だけ。
配送業者さんはそれらを手早く運び入れると颯爽と帰って行かれました。
荷解きをして、いるとまたスマホに着信が。
昨日とは違うけど、また前の市の市外局番からです。
え・・・。
怖かった。
どうしよう?
一度は鳴り止むまで見送り、友達に泣きつきました。
「怖い怖い!昨日も違う番号から何分かおきに電話あったの!」
やっぱり探されてるのか・・・?
力を振り絞って出て来たのに、今度は追いかけて来られる恐怖があるのか・・・。
怖くて胸がすーっと寒くなりました。が、子供たちと友達の顔を見ると恐怖で動けなくなっている場合ではない。
落ち着け私。
落ち着け落ち着け。
そう心の中で唱えていたら、また着信が来ました。
私は意を決して出ることにしました。
「もしもし?私、DV相談センターの〇〇です。昨日から何度もお電話してしまってごめんなさいね。知らない番号からで怖かったわよね?それで出てもらえないんだとわかったんだけど、どうしても伝えたいことがあって。」
なんと、DV相談センターでお世話になった相談員さんからでした。
その当時、国がコロナ禍の対策で子供一人当たり10万円というのをやっていました。
その受取人は児童手当を受給している保護者になるので、我が家の場合、このままだと夫の口座へお金が振り込まれるということでした。
それを変更することができるが、期限が差し迫っているからどうしても伝えようと思って、ご連絡くださっていたのだそうだ。
思いもよらぬ連絡だったのでした。
私はほっとして、安堵感で力が抜けてしまいました。
翌日は母が来てくれることになっていたので、その時に子供たちを見ててもらい、役所へ行くことにしました。
前述の助成金の他にもいろいろな手続きがあり、役所内をぐるぐる・・・。
これがもし小さい子連れだったら今よりずっと大変だっただろうな。
とぼんやり考えていました。
常に母に頼れるわけではありませんが、このような要所で助けてもらえてとても有り難かったです。
こうして、私たちのモラ逃げ(引っ越しまで)が終了しました。
このあと、弁護士さんをお願いして離婚調停、離婚成立、そして私の就活となっていきます。
ここまで長いこと読んでくださり、ありがとうございました!