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建築とアジリティ vol.4 ERRC戦略をあてはめてみたら、アジャイル建築にいきついた件

最近、ERRC戦略という言葉を知った。

W・チャン・キムとレネ・モボルニュの共著『ブルー・オーシャン戦略』という本で紹介されている概念である。ERRCとは、Eliminate(排除)、Reduce(削減)、Raise(引き上げ)、Create(創造)の頭文字を取ったもので、既存の常識や価値を再構築する際に有効なフレームワークとして注目されている。

要するに、競争の激しい市場、いわゆるレッドオーシャンから抜け出し、新たな市場空間、ブルーオーシャンを創造するための手法だ。

レッドオーシャンで戦うのは骨が折れる。

日々どっぷり浸かっている建築業界なんて、真っ赤すぎるレッドオーシャンだ。

ではなおさら、ここにERRC戦略を適応してみたら、何か糸口があるのではないかと思って、そんな興味本位でカタカタと書いているのが、この記事である。


1. 建築業界の赤すぎるレッドオーシャン実態

日本全国に建築士事務所は 94,950件(令和5年4月1日時点)存在し、これは コンビニの約2倍 にもなる。建築士事務所の数がここまで多いとなれば、業界内の競争が熾烈になるのは当然だ。正真正銘のレッドオーシャンである。

生き残るために 低賃金・長時間労働 が常態化し、それが業界の当たり前なっている。特に小規模な事務所では、案件を確保するために価格を抑えざるを得ず、結果として収益構造が厳しくなり、経営は常にギリギリの状態に追い込まれる。

加えて、クライアントの関心が コスト削減とスピード に向かいやすいのも、建築業界の大きな特徴だ。予算やスケジュールの都合上、設計料はできるだけ抑えられる傾向にあり、建築家の役割や価値が十分に活かされない場面も少なくない。「安くて早い」が業界のスタンダードになれば、デザインの質よりも効率性が求められ、建築家の立場はますます弱くなる。

さらに、建築プロジェクトの契約形態にも課題がある。基本的に 単発契約 が多く、事務所の収益はプロジェクトの有無に左右される。仕事がひとつ終われば、次の案件、次のコンペを探さなければならない。この自転車操業の中で、経営を安定させるのは簡単ではない

クライアントとの関係性 もまた、建築家にとって大きな課題のひとつだ。設計のプロセスやその労力が十分に理解されていない場合、軽い修正依頼が積み重なり、作業が想定以上に膨らんでしまうことがある。設計料の範囲内で対応できる部分と、追加業務として請求できる部分の境界が曖昧なまま進行すると、結果として労働時間が長くなりやすくなる。

独立のハードルの高さも、業界が抱える大きな問題だ。どれだけ実力があっても、実績がなければ仕事を取るのは簡単ではない。経験を積んでも、自分の名前で勝負できる機会が少なく、独立を目指す若手にとっては大きな壁となる。その結果、若い建築家が育ちにくく、業界全体の新陳代謝が進みにくい状況が続いている。

2. ERRC戦略を建築に用いてみる

建築のように熟成しきった業界には、熟成しすぎているからこそ定常化してしまっている問題が多数あるように感じる。なおさら、ERRC戦略を当てはめてみる価値がありそうだ。

ERRC戦略の4つの幹であるEliminate(排除)、Reduce(削減)、Raise(引き上げ)、Create(創造)は、以下のような考えかたを意味する。

Eliminate(排除)
業界に暗黙的に残存している非効率なルールや慣習を見直し、市場の常識となっているものの、実際には不要な要素、あるいは、不要になった要素を積極的に取り除く。

Reduce(削減)
価値を提供するうえで、過剰となっている要素を減らす。コスト・労力がかかる要素を最小限に抑え、効率化を図ることで新たな価値を生み出す余地を作る。

Raise(引き上げ)
競争力を高めるために、業界で軽視されがちな要素や顧客の満足度を向上させる要素を強化する。従来のスタンダードを超える品質やサービスを提供することで、差別化を図る。

Create(創造)
市場にまだ存在しない新しい価値やビジネスモデルを生み出す。競争に巻き込まれない独自のサービスや仕組みを構築し、従来の枠組みにとらわれないブルーオーシャンを開拓する。

建築業界が抱える課題を整理しながら、このERRC戦略を活用してみると、色々と糸口が見えてきた。

ELIMINATE|スポーツ根性文化を抹消

建築業界では「気合と根性」がいまだに美徳とされがちだ。長時間労働や過酷な環境が当たり前になっている現状を見直し、持続可能な働き方へシフトするべき時が来ている。

  • 過剰な価格競争や長時間労働の文化を見直す
    多くの建築士事務所が競争の中で価格を抑えざるを得ない状況にあるが、それが結果的に労働環境の悪化につながっている。適正な設計料が確保できる環境を整えることで、無理な働き方を見直す機会を作る。

  • 無料提案や過剰なコンペ文化を抑える
    プロジェクトを獲得するために設計事務所が負担する無料提案や、過剰なコンペが常態化している。これらを見直し、建築家のアイデアが適切に評価される仕組みを整えることが重要になる。

REDUCE|もっとチルな働き方に

ハードワークが前提の働き方では、良いデザインも生まれない。無駄な業務負担や非効率なワークフローを削ぎ落とし、建築家が本当に力を発揮できる環境を整えることに、もっと注力すべきだ。

  • 非効率な契約形態を見直し、単発契約のリスクを低減する
    事務所の収益がプロジェクトごとに大きく変動することで、経営の安定が難しくなっている。契約形態を見直し、継続的な関係性を築ける仕組みを取り入れることで、事務所の運営をより持続可能なものにする。

  • クライアントとの業務範囲を明確にし、無制限な修正対応を防ぐ
    設計業務の中で、修正が何度も発生することで負担が増大することがある。契約時点で業務範囲を明確にし、適切なフィードバックの流れを作ることで、設計の質と効率を両立させる。

RAISE|建築家の価値をアップデート

建築家の役割は、単なる図面描きではないが、その価値が適正に評価されないケースも少なくない。設計のプロセスや専門性を可視化し、建築家の職能と存在感が社会全体で高まるように工夫する。

  • 設計の価値を可視化し、クライアントの理解を深める
    設計のプロセスや労力が十分に理解されないまま進むことが多いため、建築家の仕事が適正に評価される仕組みを作る。設計の過程を可視化し、クライアントと共有することで、理解と信頼を深めることができる。

  • 建築家のスキルを多方面で活用できるようにする
    設計だけでなく、プロジェクトマネジメントや空間コンサルティング、維持管理など、建築家の知識を活かせる領域を広げることで、設計事務所の役割を拡大し、新たな価値提供の可能性を生み出す。

CREATE|業界のゲームを変える

このままのルールでは、建築業界は変わらない。新たなビジネスモデルを取り入れ、持続可能な業界構造を生み出す必要がある。

  • 建築のサブスクリプションモデルを導入し、継続的な価値を提供する
    建築は「一度作って終わり」ではなく、時間とともに変化し、維持・アップデートされるべきものだ。設計を単発契約ではなくサブスクリプション型にすることで、建築家がプロジェクト完了後も関与し続ける仕組みを作る。クライアントとの長期的な関係性が築けるうえに、建築家には安定した収入源となる。

  • デジタルツールを活用し、設計・施工の業務を効率化する
    BIMやAIの活用によって、設計の精度を向上させ、労働時間を削減しながらも質の高い、ミスの少ない成果物を提供することが可能になる。遠隔管理の仕組みなどを導入したら、施工の進行状況をリアルタイムで把握し、設計者と現場のスムーズな連携が実現できるかもしれない。クライアントとのコミュニケーションもデジタル化を進めることで、無駄な対面会議を減らし、クリエイションの注力する時間が増える。

  • 設計の分業・マッチングプラットフォームを構築し、若手建築家の活躍の場を広げる
    プロジェクトを分業できる仕組みがあれば、若手建築家が経験を積みやすいし、業界全体の活性化につながる。クライアントが建築家と出会えるプラットフォームをつくることで、経験の浅い建築家でも小さなプロジェクトから参画し、着実にスキルを積み上げていくことが可能になる。

3. これって、アジャイル建築じゃん

なるほど。ERRC戦略を建築業界に当てはめてみると、自然とたどり着くのは、「柔軟なプロセス」「継続的な改善」「クライアントとの協働」といったところか。ここで、私は気が付いた。

これって、アジャイル建築の考え方そのものじゃないか!

アジャイル開発とは、もともとはソフトウェア開発で生まれた手法だ。どんなプロジェクトでも、完成形なんてはじめからわかるはずないと割り切り、とりあえずはじめてみて、細かいステップを刻みながら軌道修正を重ね、最適な形を探りながら完成へと導く。このフレームワークは、建築の世界にも応用できるのではないか、いやむしろ、応用するべきなのでは?と思って書いているのが『建築とアジリティシリーズである。

建築の現場も、結局は変化の連続だ。現場が進むにつれ、監督からは「これは無理、あれも厳しい」と断られ、また、実際に立ち上がっていく建物を見たクライアントからは「思ってたのと違うんですけど」と言われ、といった感じで、最初にガチガチに固めたはずの設計が、現実とどんどんとズレていくことなんて、日常茶飯事だ。

今の建築業界のやり方は、その変化を前提にしていない。

契約が単発だから、設計が終わったら基本的に建築家の仕事はそこで終了。でも、建物はその後も使われ続ける。環境は変わるし、使い方も変わるのに、設計者はそこに関与し続ける仕組みを持っていない。

サブスクリプションモデルといった、建築家の継続的な関与の仕組みを導入することができれば、設計は「一度作って終わり」ではなく、長い時間の中で更新し続けるものだというマインドセットを、業界全体で構築することができる。そしてこれを実現するためには、例えば、アジャイル開発の根幹をなす考え方の一つである「スプリント」のように、小さな単位で設計と施工を回し続け、環境の変化に適応する仕組みが有効になってくる。

4. ルールに従うだけが建築家の仕事じゃない。

実際にはハードルは無限にあるだろう。

でも、できない理由を100個並べるよりも、「これならいけるかもしれない」という糸口が一つでも見つかるなら、そこから試してみる価値があるのではないか。今すぐすべてを変えることはできなくても、小さな実験から始めればいい。

今あるルールに忠実に従うだけが、建築家の仕事ではない。

むしろ、新しいやり方を探り、試し、新しいルールを創っていくことこそが、本来の意味でのクリエイティビティではないか。

その先にあるのは、効率的な働き方や持続可能なビジネスモデルだけではない。人が心から喜ぶ、人のためになる建築空間を継続的に生み出せる未来だ。 そこに住む人、働く人、集う人が、より心地よく、より豊かに過ごせる空間をつくることができたなら、それは建築家にとっても、社会にとっても、確実に「より良い世の中」へと近づく一歩となるにちがいない。



この記事のサムネールは、尾道にあるホテルLOGだ。
LOGは、使い手と一緒に作り上げる参加型デザインというプロセスを通して設計された。固定されたデザインではなく、対話を重ねながら柔軟に変化し、徐々に形作られる建築。

3年前に訪れたとき、そこで働いている人たち全員が、自分事のようにこの建築について語ってくれたのを、今でも鮮明に覚えている。

インスタ:https://www.instagram.com/_yurimurata/

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