建築とアジリティ vol.3 『アジャイル設計』を体系化する。
前回の建築とアジリティ vol.2では、アジャイル開発のノウハウの中の、建築設計プロジェクトに応用できそうな手法や考え方を取り上げた。いよいよ今回は、それらのアジャイル原則を設計プロジェクトに具体的に落とし込むため土台について書いていきたい。
◆ 『アジャイル設計』の現状
設計業務のフローは、実はアジャイル的?
具体的な土台に入る前にまず、建築設計プロジェクトの現状について考えてみたい。果たして、設計の仕事は実際のところ、言うほどアジャイル開発とかけ離れているのだろうか。
建築設計業務の一般的な流れを見てみる。
住宅設計の場合を一例に取ると、プロジェクトフローはこんな感じ。
このように見ると建築プロジェクトは、設計フェーズにおいては模型・図面・レンダリングを用いながら定例的に進捗を共有していく仕組みがすでにあり、施工管理フェーズにおいても、現場にて、設計者と施工者をはじめとする関係者がフェイス・トゥ・フェイスで工事の進捗や課題を洗い出すことが通常化している。
つまり設計者は、アジャイルのエッセンスを無意識的にくみ取り、仕事の進め方に取り入れている。さらに言えば、設計業務のどのフェーズにおいても、コミュニケーションがかなり重要な位置を占めている。コミュニケーションを密にとればとるほど、プロジェクトは迅速に進むことからも、アジャイル手法を取り入れるメリットの大きさが感じられる。
海外ではすでに実践されている!
特に海外の設計事務所では、これが実践的に行われている。
例えば、私が以前働いていたOMAでは、基本的に一人が一つのプロジェクトを専任で担当する体制になっており、プロジェクトメンバーの席は一か所にまとめられており、何か確認することがあればすぐにコミュニケーションが取れるような環境が確立されている。これは、スクラムそのものだ。
しかしながら多くの日本の設計事務所(特に小中規模のアトリエ)では、実現したい価値やゴールがそもそも明示されていなかったり、仕事の振り返りを行う仕組みがないことなどが原因で、進捗がよくわからないまま仕事を進めてしまっているのではないだろうか。そもそも、ゴール設定が正しいかどうかも評価ができず、独りよがりの設計になっている場合もあるのではないか。
ここがネックとなっている以上、アジャイル原則を建築家の仕事メソッドとして落とし込むのは、なかなかハードルが高い。
◆ 『アジャイル設計』を実現するための5つの土台
では、前回の建築とアジリティ vol.2にて紹介したアジャイル原則を実践レベルで建築設計に落とし込むには、具体的にどうすればよいのか。
ここから紹介するのは、ソフトウェアやプロダクトと建築との本質的な違いを理解したうえで、『アジャイル設計を実現するための5つの土台』としてまとめた、私からの提案である。
1. 共同体としての意識
❶ アジャイル設計で行うことのクライアントとの合意
プロジェクト始動前に提示されるコンディションを設計事務所が深く理解したうえで、アジャイルサイクルを回しながら解像度を上げていくスコープが、このプロジェクトを進めるうえで最適であることをクライアントに提案し、合意を取る必要がある。このステップがない限りは、手も足も出ない。
現実、この土台をクリアするのが、最もハードルが高い。
前例がほとんどない今、クライアントの理解を得るのはかなり難しい。
小さな実績を着実に作っていくのはもちろんのこと、『アジャイル設計』のメリットをクライアント側にいかに明確に提示していけるかが、設計者の腕の見せどころである。
❷ 設計者とクライアントの共同体としての意識
そのうえクライアントと、設計者をはじめとするその他のプロジェクト担当者が、一つの共同体としてプロジェクトを遂行することを、はっきりと意識させることが重要なキーファクターとなる。
アジャイル設計では、いきなり0から100を目指すのではなく、0→10、10→20、…といったように段階的にバリューを積み上げていく。だが、0時点でにおいて最終的なゴールは曖昧であっても、プロジェクトの初期の段階で、100状態のイメージをクライアントと一緒に言語化するワークショップ等のプロセスを経るのは、とても効果的。
というのも、プロジェクトで達成したいビジョンを設計者と一緒に導き出すことで、クライアント側がその他関係者と二人三脚でプロジェクトを作り上げていくという意識がさらに強くなる。このプロセスを経ることで得られる共同体意識は、後々アジャイルサイクルを実際に回していく上で、スプリント計画やチームの編成方法にも大きく影響する重要ファクターである。
2. 組織を横断するチーム編成
では次に、アジャイル設計を行うためのチームは、どのように変わるのか。一般的な建築プロジェクトの体制図は、こんな感じ。
施主が設計事務所に建物のデザインを依頼し、工務店が施工をしていくという主な流れに加え、工務店は各種工事をつながりのある下請け業者に発注するという、枝分かれ的な関係性で成立している。設計事務所側でも、必要に応じて構造・ランドスケープ・照明・サイネージなどといった専門性の高い分野の設計を外部協力会社に依頼する。
つまり、建築プロジェクトを遂行するために必要な機能は、それぞれ独立した組織ごとに割り振られている。
組織の独立性が高いうえに、関係者が多いとなると、これはプロジェクトを迅速に進めていく際にかなりのボトルネック。
実際に顔を合わせての打合せを行うには、全員の予定を合わせるのは不可能に等しく、ゆえに基本的には各組織の代表者に絞って行われる。この場合、代表者は自分の組織の進捗情報を事細かに把握しなければならないが、伝言ゲーム的に渡されていく情報が途中で抜け落ちてしまうのは、防ぎようがない。
一方で、仮にプロジェクト関係者全員が参加できたとしても、議題が無限にあり、打合せは数時間に及ぶうえに、直接関係のない議題のときまで参加しなければいけないのは、全く効率的でない。
この問題を解決に導くためには、アジャイル原則を取り入れ、①プロジェクトの分割方法の考え方を見直し、そのうえで、②組織を横断してチームを編成する必要性が浮かび上がってくる。
❶ タスクごとの割り振りから、エリアごとの割り振りへ。
まずは、設計事務所内での一般的な作業分担について考える。
一般的に、設計事務所内で担当者が行う作業内容としてはざっくり、
施主とのやりとり
プラン検討(平面図)
立面ディテール検討(展開図・立面図)
断面検討(断面図)
設備検討(設備図・配灯図など)
施工会社や協力会社とのやりとり
確認申請等に関する行政とのやりとり
といったところだろうか。
ここでの最大のポイントは、担当設計者は、一定の作業をプロジェクト全体について行うというケースが多い。「○○さんは、この案件の平面図を全て担当」「△△さんは、この案件の立面図と模型を全て担当」といったイメージ。
のようなタスクベースの割り振りの問題は、担当者一人ひとりの負担が大きすぎること。作業の種類自体は限られているかもしれないが、考えなければいけないことが膨大であるうえに、別の作業の担当者たちと辻褄を合わせるという、また時間がかかる仕事もその後待っている。しかも、各々の作業が終わってから後から統合する際に一貫性を実現するのは、かなり難しい。
では、どのように分業すれば、一人ひとりの負担を必要以上に大きくせず、さらには、次のステップである、組織横断的なチームを組むことが可能になるのか。
例えば、プロジェクト全体をエリアごとに区切り、それぞれの担当者を決める。
この場合、各エリアの担当者は、そのエリアの全ての図面やダイアグラムを作成しなければいけず、作業の種類は増える。しかし、実際に頭を使って考える量は一定のエリアに限られるため、各エリアの解像度は圧倒的に高くなり、一貫性も生まれる。
❷ 組織を横断する共同体
ここまでは設計事務所を軸にプロジェクトの分割方法を考えてきたが、施主も施工会社などの他の関係組織にも同一の分割方法を適応し、エリアベースで担当を割り振る。これにより、各組織を代表して各エリアの担当者が割り当てられ、エリア単位のチームが同時進行的にプロジェクトを進めていくという組織横断的なチーム体制が出来上がる。
↓ ↓ ↓
それぞれのチームにクライアントと設計者が必ずメンバーとして存在することで、それぞれのチームに分散的に意思決定権が付与され、自己組織的なチーム体制が実現できる。
この場合、アジャイル設計におけるプロダクト・オーナーおよびスクラム・マスターの役割は、例えば以下のように書き換えられる。ここで一層、土台の一つ目で述べた、クライアントと設計者の共同体としての意識の重要度が増す。
3. ユーザー・コミュニティー形成
プロジェクトの初期段階から、建築物の将来のユーザーたちを集い、リアルなフィードバックを共有するコミュニティを持つことも、効果的な土台の一つとなるだろう。スタートアップにおけるアーリー・アドプターのような存在である。
一般的な設計案件は、クライアント側で整理した空間に対する要件を設計者が受け取り、それをベースに設計図書を作成し、実際の建物を作り上げるというプロセスを経るため、ユーザーとできあがりイメージを共有したり、ユーザーが実際に空間を体験するのは、全体ロードマップのかなり終盤となる。
一方、アジャイル設計においては、空間的要件の整理が行われる段階、つまり、実際の設計が始まる前からユーザーをどんどん巻き込みながら、各スプリントに適したフィードバックを得ていく。
ここでの重要なポイントは、効果的なフィードバックを効率的に収集すること。つまり、デベロップ中のアイデアを、いかにユーザーにリアリスティックかつバーチャルに体験してもえるかが勝負どころ。プロジェクトの種類やスプリントごとに、有効なフィードバックの性質は当然異なるため、イメージ画像・設計図・3Dレンダリング・モックアップやプロトタイプ等のツールを、必要に応じて使い分ける必要がある。
4. ドーナツ型フレームワーク
ユーザー・コミュニティ―が形成され、ユーザーからの生の声が拾い上げられたのちには、それをユーザー・ストーリーとして落とし込むフレームワークが必要である。
ユーザー・コミュニティから得られた膨大な情報は、一次データ(=ユーザーの声)としてストックしつつ、KJ法などを用いながら分析・整理することで、表面的に現れるユーザーの要望やニーズの上位にある思想・考え(=マインドセット)へアクセスすることが可能にする。このように、ユーザーの声をマインドセットとして一度抽象化するワンステップを経ることで、設計者がユーザーの声を具体的な空間や設備(=ファシリティ)に落とし込む際の貴重なヒントとなりうる。
下図のような同心円状のグラデーションの中に、マインドセットとファシリティを位置づけると、ユーザー・コミュニティを起点として、マインドセットとファシリティがシームレスつながるというフレームワーク(=ドーナツ図)が見えてくる。このドーナツ図は、各スプリントごとに更新されていく。
5. スクラムの在り方
さてここまで、アジャイル原則を建築設計プロジェクトに応用するときの
クライアントとの共同体としての意識の重要性
アジャイルチームの組み方
ユーザー・コミュニティーを形成することの重要性
ユーザーの声をストーリーとして落とし込むフレームワーク
について述べた。これらを全て踏まえたうえで最後に提案するのは、アジャイル設計におけるスクラムの在り方について。
❶ バリュー&エネルギーの見積りポーカー
スプリント・プランニングで行うべきなのはまず、全体ロードマップに照らし合わせながら、リソースや期間などを考慮したうえで、ユーザー・ストーリーの優先順位を決め、実際に行う作業項目を決定すること。前回の記事でも述べたが、ここで最も重要なのは、現状チームで実装可能であり、期間内に確実にバリュー届けられるような作業量を精密に見積もること。
関係者が多く、かつ、それぞれの専門性が高い建築プロジェクトでは、各タスクがプロジェクト全体に貢献する価値と、それに必要な作業量を定量的に評価するツールが存在するとはとても言えない。経験豊富なメンバーであれば、直感的に見積ることができるかもしれないが、それもまだ恣意的であり、判断ミスは招きかねない。経験のまだ浅い若手設計者であれば、なおさらである。
私が最も問題だと思うのは、作業に対する価値が明確化されないままプロジェクトが進行していくこと。「この作業、本当に意味あるのかな…」と一瞬でも迷うと、価値を実現することに直結しないところに無駄なエネルギーを使うことになる。各メンバーが行う作業とそれがもたらす価値は、必ず明確化され、チーム全体で共有されるべきである。ここまで見えてくれば、優先順位は自ずと決まってくる。
では実際にどのようにすれば、価値を定量的に評価し、作業量を正確に見積もれるのか。ここで、通常のアジャイル開発におけるスプリント・プランニングで使用される見積ポーカーを、建築設計プロジェクトにカスタマイズした、バリュー&エネルギーの見積ポーカーを提案する。
簡単にいうと、ユーザーストーリーにそれぞれ対して、チームメンバー全員が、ユーザー・ストーリーの価値(バリュー)に対してバリューポイント(VP)を、それを実現するために必要な作業量(エネルギー)に対してエネルギーポイント(EP)を割り当て、その差異の理由などについて話し合いうプロセスである。スプリントの回を重ねれば重ねるほど、この見積りの精度は飛躍的に上がる。
ポイントのつけ方のだいたいのステップは、こんなイメージ。
各ユーザー・ストーリーに対してバリューポイントとエネルギーポイントが決まれば、それらをバリューとエネルギーの2つの軸を持つマトリックス上で整理し一覧化することで、各タスクの優先順位が可視化され、チーム全体での共有が容易になり、同じ目標に向かって効率的にバリューを生み出す作業に集中することが可能になる。
❷ スプリントの組立て方
アジャイル設計におけるスプリントは、プロジェクトの性質や規模によって組まれ方が多種多様であると思うが、どのフェーズにおいても、イメージ画像・設計図・3Dレンダリング・モックアップやプロトタイプ等のツールを駆使し、デベロップ中のアイデアをいかにユーザーに、リアリスティックかつバーチャルに体験してもえるかを考え、計画に盛り込むことが重要である。
通常の建築プロジェクトでは、設計期間と施工期間には明確な線引きが存在するが、アジャイル設計では、作りながら設計・設計しながら作るというのが当たり前になる。
◆ 「強者生存」から「適者生存」へ
アジャイルシンキングが浸透しつつある背景には色々な社会情勢の変化が考えられるが、世の中全体は「強者生存」から「適者生存」へ移行していることがその一つであるのは間違いない。かつてのように、資本力などといった絶対的な指標によって強者が決まるのではなく、急激な変化への適応能力がある者が勝つ。
「持続性」とはむしろ、一つの安定状態を保つのではなく、状況に応じて変化し続けることであると言え、ゆえに今の時代は、変化をしないほうがリスクなのである。
となると、竣工をゴールと捉えている現状の建築業界の在り方は、もはや時代遅れなのである。今のうちから、アジャイル設計を積極的に取り入れ、時代に適し続けるためのマインドセットを培うことが必要なのではないだろうか。
【写真】かまぼこれくしょん ©Yuri Murata