涙くんさよなら、君は僕の友達
昨年の8月に永平寺の坐禅体験をした時、お坊さんの説法で
「修行とは、感情も不幸も幸せも、なにもかも全てを手放していくこと」
と言ってて、
私は「え、そんな人生っておもんな」
と思った次第で。
以上が前置きです。
胸を掻きむしるほどに辛くて叫びたくなるときも、嬉しすぎてつい歌いたくなるようなときも、他人のせいで自分の感情が揺さぶられるのが私は嫌いじゃない。
悲しいことって、無けりゃない方がいい? 本当にそう?
悲しみで心が満たされている状態も、きっと癒しであって悪くないはずだ。
だが、しかし、私は、とうとう、幸せになる覚悟を決めたのです。
孤独で、毎日いなくなりたくて、可哀想な自分とさよならするのは、本当に、とっても寂しい。
涙くんとさよならするのが寂しくて泣いてる。
子供のころからずっと一緒にいる友達がいなくなるみたいな、
大好きだったペットが死んじゃったみたいな、
兄弟ともう2度と会えなくなるみたいな気持ち。
本当に、とっても寂しい。
じゃあなんでこんなこと覚悟したかというと、幸せは、自分の分は自力で調達して、他人に供給する側にまわりたいと思ったから。
幸せになるのは、気合いだと思う。
自分の行動が他人に左右されるのは良くないけど、どんな感情を抱えていても、人はそれなりに満たされていて、そのままでいいんだというお話でした。
気合い入れてこ。わー。