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#008 サラリーマンをディスるのはどうして?
経験を語るだけで十分。他人を落とす必要はない。未知の世界を大声で語ることで、情報社会に不適切なバイアスを与えていませんか?
20年以上前からの疑問
昔から不思議に思っていることがある。「個人事業主だったり起業していたりする人の一部は、なぜサラリーマンをバカにしたがるのか?」という点だ。
もちろん全員ではない。けれど極少数というわけでもない。そういう人に限って声が大きいので影響も大きい。時にバーのカウンターで、時に飲み会で、時にSNSで。そんな時、私は反応しない。黙って微笑むだけだ。「個人でやってるってすごいですよね。」位のことは言うかもしれないけどそれだけだ。似た経験がある方、結構いらっしゃるのではなかろうか。
サラリーマンが嫌いらしい
サラリーマンはいいよね、楽してお金もらえて。
サラリーマンはいいよね、有給なんてあって。
サラリーマンはいいよね、無責任でよくて。
サラリーマンはだめだよね、経営者マインドがなくて。
サラリーマンはだめだよね、宮仕精神で。
そんな言葉を口にする彼らは大抵、人生・社会に対して真摯な人達であり、彼らが彼らの世界で真剣に頑張っているであろうことは想像がつく、尊敬もする。だから、彼らがその経験や苦労を誇る話をすることも自然だし、自分が体験していない世界の話を聞くのはこちらとしても面白い。素敵なことだ。
けれど、なぜそこでサラリーマンを執拗にこき下ろす必要があるのか?彼らが過去に出会ったサラリーマンが無能だったとして、束ねて語るのは乱暴すぎないだろうか?
アンフェアな情報社会
確かにしょうもないサラリーマンはたくさんいる。腐敗した組織もある。けれどもちろん全員ではない。どんな環境にあろうと、濁ることなく、輝きを放ち、組織や社会に挑み続け、社会に貢献している人がたくさんいる。そこには様々な苦しみ・喜び・悲しみ・学び・成長ある。選択して意志を持ち、その場に立っている人もいるということだ。
サラリーマンをこき下ろす彼らも、「上場企業の社長」位になると、一目置いてたりする。そんな様子をみると、「社長だって最初はヒラサラリーマンだったのだけどね」と思ったりする。他責にせず濁らず突き進んできた人たち。出世という形をとっていなくたって。同様に熱い魂をもって活躍している人はたくさんいる。そう、色々な人がいるのだ。起業家にだって個人事業主にだってよきも悪きもいるように。
「断片的にしか知りえない世界のことを、わかっているかのように下にみて断じて、大きな声で語りたがるのはなぜなのか?」
理由は色々あるだろう。問題はその発言・情報発信だと考えている。友人同士のプライベートな会話レベルなら、まぁいいかと聞き流してきた。けれど近年は、SNSでその情報だけがさも真理のように伝聞されてしまう。まさにアンフェアな情報社会だ。ルートAしか通ったことがない人が、ルートBの景色を極悪だと吹聴することは、世論操作につながっていると考える。
情報発信に戻る
情報社会のゆがみに気付きながら、フェアに導くために適切なアクションを取らないことは、選挙権放棄に近いのかなと最近思うようになった。正直ちょっとメンドクサイけど、それが大人の責任かなと。そういうことを#004の投稿に書いた。というわけで、こつこつ発信していきましょう。風通しのよいフェアな社会に向けて。
Yuri Masumi
細く)ちなみに私はサラリーマンで、近いうち副業起業も考えています。個人事業の友人らを尊敬しているし、会社の仕事でも尊敬する人はたくさんいます。ゼロイチ議論を煽るのではなく、ニュートラルに考える力をつけ、発信していきたい所存。