117本のまつエクたち〜アプリ用の写真を撮りにゆく
「いつものとおり、80本つけ足しでよろしいですか」
「100本、つきそうですか?」
まつ毛屋さんは、まりかのまつ毛をピンセットでしゅっしゅとこすりながら、少し考えた。
これから、まつ毛エクステンション、略してまつエクを施してもらう。
「100本…大丈夫だと思います」
「よろしくお願いします」
まりかは日曜出勤の帰り、まつ毛屋さんのふかふかの寝椅子の上にいた。
このふわふわが気持ちよくて、きっとまりかはガーガーいびきをかいて寝ちゃうオバさんとして有名なことだろう。
まつ毛を触られることは、本当に気持ちよい。
左目のまつ毛のきわ、弱いのだ。
これまで体を重ねた殿方は、ひとりも気づいてくれなかったけれども。
明日は10時から、マッチングアプリ用の写真撮影だ。
納品される1枚は、異性が選んだものになるというオプション付き。
お代は、10,800円。
待ち合わせは、高校の最寄駅で、美容院、精神科、脱毛のエステ、そして殿方とのお顔合わせでも使う駅前。
屋外で、バストアップと全身を撮ってもらう。
週半ばまでの雨予報が今日の風で吹き飛んだように、明日は晴れるらしい。
まりかは、笑うのが苦手だ。
正確にいえば、微笑んで写真に収まるのが苦手だ。
お品のないガハハ笑いか、さみしげなおすまし顔になってしまう。
さらには、まりか史上最上の体重を更新し続けているいま、体の線以上に二重顎が美しくない。
5キロ痩せてから、と思っていたけど、いつになるかわからないから、いまにすることにした。
今日が一番若い。時間は待ってくれないのだ。
今日つけてもらったまつエクは、両眼で117本。
まりかを守る短剣たちは、まりかの短く薄い自まつ毛の上に乗せられ、糊でしっかり貼り付けられた。
まばたきすると、お花が咲いたように広がる。
顔色までぱっと明るくなるようだ。
まりかは自分の顔が好きだ。どのパーツもそれぞれに、愛着がある。
わずかに上向きにカーブした目元は、われながら品がある。
瞳は小さいけれども、黒目がちでお人形のようだ。
丸顔でチャビーチークはご愛嬌、このほっぺゆえに、実は自己主張をしない鼻もしゅっと高いことに、多くの人は気づかない。
そして、何より気に入っているのが口元だ。
明日は、お気に入りの青みの効いたローズピンクの口紅をつけよう。
前歯の歯並びが悪いのが弱点なので、口を開けて笑うことが苦手で、ついつんとすました顔になってしまう。
明日のカメラマンは、まりかからどんな笑みを引き出してくれるだろうか。
信じて待とう。
クロゼットから、お気に入りなのになかなか出番のなかった、リネン地のワインレッドが気取りすぎず美しい、七分袖のワンピースを出した。
ベージュのスリップと、よそゆきブラの中でバストをいちばんきれいにつくってくれるブラ、新品でパッケージに入ったままのストッキングも。
ピアスは、小さなパールの輪っかが、ふわふわと揺れるのにしよう。
ネイルも、ワインレッドのグラデーションに塗り上げた。
アプリ用の写真にお金をかけることに、賛否はあるだろう。
でも、これは52歳のまりかへの、まりかからのお誕生日プレゼントなのだ。
たくさんの殿方と会って、たくさん自分と向き合って、ようやく見つけかけている自分軸を形にしておきたくて。
ふぁさっとついた117本のまつ毛は、まりかの武器であり、お守りだ。
明日、眉とチークだけのメイクをしたら、ショートボブにアイロンをしゅるりと当てよう。
笑えない、ということは、まだまだまりかの中に癒やされていない部分があることにほかならない。
つくり込みすぎずに、いまのまりかのベストを撮ってもらおう。
さくらまりか52歳、気分は女優なのである。