今宵の月のように
「次の信号を左方向です」
まりかは、すっかり慣れっこになった伯父夫婦の施設へと、車を走らせていた。
渋滞の名所をいくつも抱えるこの国道は、8月最後の日だというのに、奇跡的に空いていた。
もうナビもいらないのだけども、到着予定時刻がわからないのも不安になので、模範的に空々しく美しいアナウンスを、今日も聞きながら運転していた。
受診先を確認し、老人ホームの看護師さんと、発熱外来で落ち合う。
コロナ患者がまた急増しているとあって、この病院も殺気立っている。
幸い伯父は抗原検査は陰性、担当看護師に渋い顔をされながら、どうにか個室にねじ込んでもらえたようだ。
心配していた肺に影は見られず、検査の数値から尿路感染が疑われるとのことだった。
もともと食が細く、お酒を飲むとまったく食べなくなる伯父は、嚥下が困難になってますます痩せ細ってしまい、点滴の管が腕よりも太いようにさえ見えた。
来週末、トマトキムチのタクシーさんとランチの仮予約をしていたけれども、キャンセルしよう。
私から誘ったけrども、仕方ない。
17時15分前に入院センターに駆け込み、受付のクラークから、書類の提出はこんな間際じゃなくて明日にでもゆっくりきてよね、と、非言語での圧力をかけられたが、負けてはいられない。
ここまで片道2時間なんですと凄み、すべての書類をその場で書き、引き出しておいた入院保証金を入れ、16時55分までには、病衣の申し込みも済ませた。
いったいこの人の入院手続き、これで何度目だろう。
幸運なことに、今日はその場でドクターの説明も受けることができ、ナースステーションでの説明や身体拘束に関する書類と、監護計画書にサインもして、18時には無罪放免だ。
「感染の治療と、栄養面の改善と、合わせて進めてゆきます。
できるだけのことはさせていただきます。
ただ、ご年齢と既往歴を考えると、もしものときを考えておいてください」
まだ20代と思しき主治医から、説明があった。
いつ、何が起きてもおかしくない、ということだ。
葬儀社の見積もりを取っておかなくちゃ、と、無慈悲なことが頭をよぎった。
車に乗り込むと、伯父の顔くらい見にきてくれるかもと一縷の望みをかけて、最年長の従兄に電話をした。
案の定、「そうなんだ、まりかちゃん、大変だね、ありがとう」と、見舞いのみの字もなく、あっという間に電話は切られた。
わかっていた。わかっていたはずだ。
疲れ切っているときに、どうして電話をかけたのだろうと激しく後悔したが、これで覚悟が決まった。
もう、だれにも頼らない、頼ろうとするまい。
瞼の裏が熱い。
18時半近くなって、薄暗くなった国道をひとり帰途に着いた。
慣れっこになってはいても、やはり大変なものは大変だ。
幸い、帰りも渋滞はひどくはないけれども、2時間弱の運転は心にも体にも堪える。
突然、左手の木々の間から、大きな鈍い金色の物体が目に入った。
満月だった。
そう、今宵はスーパーブルームーン。
巨大な月がちょうど、地上に顔を出したところだった。
輝きを失った金属のような巨大な物体は、おどろおどろしくもあった。
べろんと飲み込まれそうだ。
月は少しずつ足取りを早め、今度は国道沿いのチェーン店の看板の間から、ちらちらと顔をのぞかせるようになった。
鈍色は艶消しの金色になり、蒸しケーキのような卵色になり、紺色の空に引き上げられたころにははちみつ色になっていた。
浮力をつけた月にはもう、あのおどろおどろしさはない。
いつの間にか、やさしいお月さまへと姿を変えている。
ラジオから、エレファントカシマシの「今宵の月のように」が流れてきた。
いつの日か輝くだろう 今宵の月のように。
そう、ほんの数十分ででがらりと表情を変える月のように、私の人生だって変わるのかもしれない。
今宵の月のように。