何かと不器用な私が手芸作家を名乗るまで
子どもの頃の夢は「手芸屋さんを開くこと」
手縫いの針を持ちフェルトのマスコットを作り始めたのは
小学一年生の頃だったかな
本や材料を買ってもらい好きなマスコットの完成を夢見てチクチク。。
しかし出来上がったものは本の中の見本とは比べものにならないほど
酷い出来
^^:
その違いの大きさに幼いながらもかなりの衝撃とショックを受けたのに
何故かな。。
ハンドメイドへの愛が止むことはなく出来の悪い作品を生みながらも
どうにかならないかと何度も作り続けていた。。
あぁ。。
たまっていくのは作りかけの作品とハンドメイド本と材料の山。。
やめられない理由の一つは無類の生地フェチという事実も手伝っての話
私は数十年の時をひたすら駄作に費やして
もはやハンドメイドはただの趣味と諦めいていたのだ
しかしそれが一転
自分の作品を売りハンドメイドでお金を頂くことになったのはそう
あの東日本大震災の支援のためだった。。
先の記事に書いたように
震災当日に流産をしてしまい数ヶ月涙に暮れていた私が
立ち上がるきっかけになったのはテレビで観た震災孤児の笑顔だった。。
その日から被災地で頑張る子どもたちへの震災支援に奮起し
お金を得るための作品作りを始めたのです
最初に作品を販売したのは西荻窪の知人が開いたマルシェ
道端にテーブルを出しビーズをあしらったふさふさのブローチを並べると
親戚と連絡が取れなくて心配だと言う高齢女性がいくつも買ってくれて
「支援をお願いね」と言われたことは今でも忘れない。。
一連の活動では奇跡的に素晴らしい仲間との出会いもあり
微力ながら支援をさせて頂けたあの時が今となってはすごい時間だったと思うし
それは一生のご縁となって私を支えてもくれている
あれからもうすぐ12年
私の手芸技術が魔法のように上達した訳ではない
したがっていまだに真っ直ぐ縫えるものしか作れないけれど
今は作品のデザインや色合わせを考えるのがとても楽しく
同じ趣味の方に作品を買っていただき
好きこそものの上手なれとはよく言ったもので
不器用な私が手芸作家と名乗れるようになっている
ティッシュケースやブローチに始まった作品は
やがて着物リメイクという分野に変わり
ヘアコームや帯、ストールに紬のスカートなど
真っ直ぐに縫えて時間をかけずに仕上がる物を中心に
次々と作品を生み出せている
そしてそれは今
私の副業として我が家の家計になくてはならない収入ともなっている
音楽業界の長引く下冷えやコロナ禍を
何とか家族で生き抜いてこられたのは他でもない自分が好きなハンドメイドだ
ピンチにこそ自分を信じて何かを生み出す力を知った。。
本当は旦那様の収入で優雅に趣味でやりたい気持ちもあるけれどね、汗
それはいつかきっと。。と夢見て
売ると言う前提があるから本気で作れるのかもしれない。。
とも思うのです
それにしても相変わらずマスコットがうまく作れないのは
なんでかな?
(T。T)?
こけしなのに包帯巻いてる怪我人みたいになった。。涙