おじいちゃんはバーテンダー


「いいもの作ってやろうか」
 おじいちゃんはそう言って冷蔵庫からフレッシュジュースのボトルを取り出す。目の前に並べられた綺麗なボトルをまじまじと見た。
「さあて。おっと、これもだ」
 レモンをぎゅぎゅっと絞った。
 シェイカーの代わりだと、蓋付きの密閉容器にそれぞれ、オレンジジュース、パイナップルジュース、最後にレモン果汁を入れると、容器を振った。
「おじいちゃんね、昔はバーテンダーだったのよ。修くん、知ってる?」
 おばあちゃんがおじいちゃんに洗ったばかりのグラスを渡す。
「知ってるよ。お酒を作る人でしょ? ドラマで見たよ」
「ドラマも役立つな」
 おじいちゃんは綺麗なグラスにジュースのようなものを注いだ。
「美味しそう! 何ジュース?」
「ジュースじゃないよ。これは『シンデレラ』という名のカクテルだ」
「えっ。お酒なの?」
「いやいや。お酒は入ってない」
「修くんには大人の味かもね」
 おばあちゃんはいたずらっ子の様に笑った。
「い、いただきます」
「どうだ? 美味いか?」 
「もう。またそうやって聞く」
 嗜められたおじいちゃんがぺろっと舌を出した。
「うん。ちょっと酸っぱいけど、飲んだことない味で面白い!」
 おじいちゃんは「そうか。面白いか」と嬉しそうだ。
「ただいま」
 お母さんが、僕を迎えに戻って来た。
「あっ。何飲んでるの」
「えーと、シンデレラだっけ」
「いいなあ。私にも何か作ってよ」
「お前、今日は車だったな」
 おじいちゃんが出しかけたお酒を冷蔵庫にしまった。
「残念。今度泊まりがけで来ようかな」
「狭くてもいいなら、親子三人で寝れないこともないぞ」
「え?」
 おじいちゃんは携帯電話を小さく振った。
「勇平君も明日休みだって言ってるぞ」
「連絡したの?」
「夕飯には間に合わないけど、早めに会社を出るそうだ」
「あら、良かったじゃない」
 おばあちゃんは夕飯のトンカツを揚げ始める。香ばしい匂いがパチパチ弾けた。
 おじいちゃんが冷蔵庫の中をガチャガチャさせて、おばあちゃんがちょっと困った顔をしている。
「何を作ってくれるの?」
「はい」
 どんと、おばあちゃんと僕とで作った梅シロップと炭酸水を出した。
「えー、お酒じゃないの?」
 お母さんは口では文句を言ってるけど、いそいそとコップにシロップと梅を入れている。しゅわしゅわと炭酸水が涼しげだ。
「僕も飲みたい!」
「ほどほどにしてね。お腹いっぱいになっちゃうわよ」
「そうよ。沢山トンカツ揚げたんだから」
 おばあちゃんの額に汗が滲んでいる。
「手伝わなくてごめん」
「本当よもう。ーー嘘よ。座ってお父さんの相手していて」
 お母さんはおばあちゃんに弱い。
「さ、食べましょう」  
 トンカツを頬張る僕とお母さんの前で、おじいちゃんは、にこにことビールを飲んでいる。
「美味いか」
「美味しい!」
「ーートマトジュースあったわね」
 おじいちゃんのビールをちらっと見たお母さんが、にやりと笑う。
「目ざといな。飯食ったらな」
 お母さんは残りのご飯を勢いよく頬張った。
「まったく。子供じゃないんだから」
 後片付けをしたおばあちゃんが、やっとご飯を食べ始める。
「いいでしょ。たまにしかこんな事無いんだから。ご馳走様でした!」
 お母さんは、ビールとトマトジュースで不思議な飲み物を作った。
「それも名前があるの?」
「あるよ。レッド・アイって言うの」
「赤い目って事だよ。飲みすぎるなよ」
 おじいちゃんが余ったビールを自分のグラスに注いだ。
「おじいちゃんはカクテル飲まないの?」
「おじいちゃんはビールが一番好きなんだ」
 グビリと美味そうに飲んだ。
 お母さんは顔をトマトみたいに真っ赤にして、残っていたトンカツに手を伸ばす。
「食べすぎるなよ」
「大丈夫。胃薬もらうから」
 おじいちゃんに注意されているお母さんは、ちょっと面白い。
「すいません。遅くなりました」
 お父さんが玄関でケーキの箱を持ってこちらの様子を伺っている。
「あらあら、お腹空いたでしょ」
 おばあちゃんが恐縮するお父さんにご飯を用意している。すっかりほろ酔いのお母さんは、醤油をこぼしたりして、またおじいちゃんに叱られていた。
「なに、トマトジュース?」
 お父さんはお母さんの飲み物を眺めている。
「レッド・アイだって」
「珍しいな。お母さんがお酒なんて飲むの」
「おじいちゃんがバーテンダーだからだよ」
「えっ?」
 おじいちゃんは昔々な、と笑う。
「いいなあ。俺も何か作って欲しいなあ」
 お父さんは恨めしげにご機嫌なお母さんを見た。
「ご飯食べ終わったらな」
 おじいちゃんはお母さんに言ったのと同じように言う。
「わ、分かりました! いただきます」
 お父さんはすごい勢いでトンカツを食べ始めた。
「似た者夫婦だな」
 おじいちゃんは呆れたような嬉しいような表情で、お父さんとお母さんを見た。


           了

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