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私のアトピー時代を振り返る。幼少期~中学まで

こんばんは!

今日は、私自身の過去、
常に悩みのタネだった
アトピーのことについて
振り返りたいと思います。

これは
私にとって
心をえぐるような作業でもあるけれど
しっかりと記憶を辿っていきたい。



私のアトピー歴史

幼少期

それは、毎冬やってきた。
パックリ・・・パックリ・・・と
極度の乾燥から
手指のシワにそって、いくつもひび割れができる。
それが、私の記憶の中の、
アトピーの始まり。

指先だから
とにかく痛くて痛くて。
母に連れられ、
最寄り駅前にあった皮膚科に通い始めます。

そこでは
「アトピーっぽいね。」
と、当然の様に、
ステロイドを処方される。
(当時はステロイドの知識なんて皆無。)
処置室で、手にステロイドをテカテカに塗ってもらい
包帯グルグル巻きにされたのを
鮮明に覚えている。

それより前の、自分の乳幼児期については、
私自身がとても知りたいのだけれど
母は天国にいってしまっているため聞けず、
唯一、後々見つけた母子手帳の
生後3~4ヶ月健康診査のページには
「乳児湿疹・オムツカブレ」と書かれていたので
生まれて間もなく、肌は弱かったんでしょうね…。

小学校時代

アトピーは全身の関節などにも広がり、
手指のほかに
肘内側、膝裏側、脇、首などにも。
ひどい乾燥とかゆみ。皮膚はゴワゴワ。

4年生の時に家族旅行で初めて沖縄に訪れた時、
キレイな海での海水浴。
楽しみにしていたけれど、
とにかく海水が全身にしみる!
痛い!痛い!
と、泣いた思い出が強く残っている。

相変わらず、ステロイドを
塗って塗っての繰り返しをしつつ、
評判の良い皮膚科へ足を延ばしてみたり
おおきな大学病院へ行ってみたり・・・
が始まった。

しかし、どこの病院へ行こうが
「アトピーですね~~。」
「アトピーは原因が解明されていなくて、
一生治らないから
上手く付き合っていきましょう。」と、
とにかく、ステロイドしか処方されない

もう絶望的。

そこからは
代替え療法も取り入れながら、
『良いと言われたものは、
とりあえず試すしかない!』
と、
今思うと、両親も治してあげたい!
の一心だったと思う。

取り入れた代替え療法のアレコレについては
また別で書きたいと思う。

中学校時代

状況は変わらず…
というより、悪くなっていくまま
思春期に突入。

中学校では
いわゆるあるあるな、白ラインの入った
学校指定ジャージ、ありますよね。
あれ、ポリエステル100%なんです。
アトピー肌の私は、とてもじゃないけどムリ!
着れない!
しかも毎日なんて拷問!

当時は、少しでも化学繊維の入ったものは
肌に引っかかる感じで、ムズムズ肌が反応してしまい
めっきりダメ。
化学繊維過敏症?!って言えばいいのかな。

そこで母と校長室で、事情を説明し、
2000人以上いる生徒の中でひとり、
私は自前で用意した
綿100%のトレーナーとスウェットを着て
3年間を過ごした。

まぁ、またその指定ジャージと似た色の
綿100%のものを探すのが
とにかく大変だったな。
今じゃあそんなの、ネットで一発・・・。


部活は
姉のマネして、バレーボール部に入部。
それなりに厳しい部活で
毎日の朝練、夕練は当たり前。
顧問の体罰も当たり前w 
そんな時代だったよねw

しかし、1年生のころに貧血と診断され
朝練をドクターストップになった時期もあった。

土日も両日、練習や練習試合に明け暮れる日々。
バレーボールは大好きだったので、
部活はとにかく頑張ってた。

夜は、痒みで熟睡できないから、
2年生あたりから授業中はほぼ睡眠学習。
成績は、見事なまでに右肩下がり。
でも部活は行くみたいな…生活。

それでも、あまりに睡眠不足や症状がひどい時は、
部活を見学させてもらう日もあったり。
今思うと、何で休まなかったんだろうね。
怖かったのかな。
レギュラーじゃなくなる!て思ってたのかな。


ついに3年生。部活も引退。受験の時期。
そのころにはもう、夜眠れなさ過ぎて
思春期も真っ只中で
心は崩壊。

全てがどうでもよくて
受験勉強なんて出来るわけもなく
完全に自暴自棄。
学校も1週間なんとか行って、
次の1週間休んだりを繰り返した。

壮絶な夜


アトピーの人は分かると思うが、夜寝ようとすると
猛烈に痒みに襲われるのがアトピー。
身体があたたかくなるからか、ホルモンなのか。

毎晩毎晩つづく痒み
「かゆいかゆい」と泣き叫んで
兄から『うるせー!!』って言われたな。

母に隣で一緒に寝てもらい、
毎晩、私が眠れるまで、背中をさすってもらってた。
母の手が止まると「かゆい!」とキレては泣いて。
「もう死にたい」って口走ってた。

母も泣きながら
何も言わずに抱きしめてくれたけど
言葉もでなかったんだと思う。
辛すぎて。

そんな状況でも母は、毎朝ちゃんと起きて
兄や姉を送り出す。

自分が母親になった今では
母のこの状況が、どれくらい強烈だったかを
苦しくなるほど、容易に汲みとれるのだけど
当時の私は、それどころではなかった。

「わたしは辛いんだ!!」
「もう生きるのをやめたいんだ!」

それしかなかった。
本当にやめたかった。



ちょっと、長ーく重ーくなってきたので・・・
今日は中学時代までに。



それでも、今、私は元気に生きている!
そして
一生治らない」と言われた
アトピーから解放されて過ごしている!
という事実に、感謝しかない。

だから、
もし今、アトピーに苦しむ人が読んでくれたなら
絶対に、希望を捨てないでほしい。
アトピーは必ず治る!と光を感じてほしい。
あきらめないで。と。

最後までお読み頂き、
ありがとうございます。

どなたかの勇気になれば
それ以上幸せなことはありません。










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