「おいしいの意味」を考えた。
こんにちは。
オンラインレッスンを受講している料理研究家のSHIORIさん。新しいnoteを読みました。
内容は想像通りだったような、想像とは違ったような。もちろんどちらもいい意味で。私も改めて「おいしい」について考えました。
この文章を読んで、涙が出たとかそういうことではなかった。
ただ、心の奥にあった確かな気持ちをそっと思い出させてくれた気がした。
お料理が好きで、美味しいものをたべるのが幸せで。そして家族や友人と囲む食卓は心安らぐひととき。日常の中でほっとできる瞬間。
しおりさんの言うように、今このご時世、世界中にはいろんな環境で暮らす人がいる。単純に「おいしい」が正義なんてこと言えない。
ただ、私は美味しいものを作って、そして食べる。
そのことにシンプルに幸せを感じているのだと思う。
本音を言えば、「誰かに作って食べてもらえるのが幸せ」とかそんな美しい理由ではないかもしれない。生きるため、楽しむために作って、そして食べる事が好き。食事をするひとときが好き。そうなのかもしれない。
でも、家族で食卓を囲むのが当たり前の日常として目の前にあること。
これは本当に感謝しなくてはいけないことなんだと思う。
皆が健康で、食卓を囲めること。これ以上に幸せなことってあるのかな。そんな事を思いながら、毎日をすごすのも事実。
主婦をしていると、 日々の忙しさに飲み込まれて日常の中にある幸せを忘れそうになる。改めて考えてみると奇跡の連続のような毎日を。
朝目が覚めて、健康な身体で家事をし、料理をし、そして家族の世話をする事ができる。そうして淡々とすぎていく日々。思い通りにいかないことだって、沢山ある。でも、
何かを得られなかったという事は、そのかわりに「何かを得ている」という事でもある。と、最近思ったりもする。
なにか実現させたい事が自分の中にある。でもそれは今の現状ではどうも叶いそうにない。だからって毎日を暗く過ごすのはもったいない。せっかく生きているんだから。
今自分が置かれている環境をめいっぱい楽しんで生きること。それしかないと思った。結局どんな環境にいても足りないものは出てくる。
「足りない事」「叶わない想い」に目を向けがちだけど。
でも幸せに過ごすには「今持っているものに目を向ける」「そしてそれを思いっきり楽しむ」ことなんだと思う。
料理をする、食べる。ということはとてもシンプルで毎日の中で埋もれがちなことかもしれない。でも。そこには暮らしを豊かにする要素が溢れている。
美味しいものを食べて、笑顔。
健康になって、毎日を過ごせる。
家族だって、友人だって仲のいい時も悪い時もある。でも、ご飯は一緒に食べたりする。
そんな「いい時」と「悪い時」を一緒に過ごして、毎日は作られていくのかもなぁ。そして「おいしい」は確実にその一役を担っている。
これからも私はご飯を作って、食べてを何回も繰り返していく。
でもそれってあと何回あるのだろうか。家族のために時間のない中つくるごはんらドタバタの中用意するむすこのお弁当、残り物でぱぱっとつくる自分のお昼ご飯、ちょっと手間ひまかけてつくるハレの日ご飯…。
必ず「最後」の日はくる。人生最後の「ご飯を作る日」どうせなら後悔ないように、沢山たくさん、色んなご飯を作りたい!これは私がお料理好きだから思うのかな。
そして、「沢山作った〜いい人生だった!」と思いたい。そう思うとなんだかワクワクしてきた。
“自分と大好きな人達のために、沢山、たくさんのご飯を作って、一緒に美味しく食べた。それも何回も!“
そう思えたらそれって涙が出るほど幸せな事なんじゃなかろうか。
なんでもないと思っていた、毎日のご飯作りだけど。そんな風に考えたらとっても素敵な事かもしれない。
【おいしい】は毎日を豊かにして、そして人生を楽しくする。
そんな静かで、でも確かな想いをそっと心の中に持ちながら。今日も台所に立とう。世界中のお料理をするみんなと一緒に。
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