時代と文化の境界をこえて好きな曲3選
今回挙げる好きな曲は①Lover’s Concerto②In Your Face③John Kanakaです。①翻訳・カバー版も含めて好き、②ジャンルの境界超えて好き、③いろいろどうでもよくって好きの3曲です。
①Lover’s Concerto(Sarah Vaughan)
アルバム「Pop Artistry of Sarah Vaughan」1966
サラ・ヴォーンのパワフルではつらつとした声でさっぱり歌われるLover’s Concertoがすごく好きです。英語は母語じゃないし、英語圏の生活文化とかも知らないから、歌詞の意味思い浮かべるとどうしても映画とかフィクションをのぞき込んでいるような感覚になります。でもこのサラのさっぱりかっこよく歌う感じが、かっこいい恋愛のイメージをもやもやと思い浮かべさせるのが不思議です。
こういう声を生み出せる身体ある人が、ほんとうに現実として生きていたのか!と思うと同時代の人がうらやましい。きっと生で聴いたら「はぁっ(無呼吸)っっ」て圧倒されるんじゃないだろうか。
あとこの曲がすごいのは他のアーティストのカバーも名曲で、とくにThe Supremesと薬師丸ひろ子はおすすめしたい!
伸びやかなフレーズのサラとは対照的に、ちょっとタテノリなリズム感強めのスプリームスも楽しい。しかもフレーズのアウフタクトのとりかたがかわいい!
きっと薬師丸ひろ子の和訳版ラバーズコンチェルト編曲はこのスプリームスの影響がきっと大きいのでしょうけど、これは日本語の訳した詞と曲と薬師丸ひろ子の声とがすべてが可愛らしい世界を作っています。愛らしいアイドルによって、作り込まれたプロのフィクションを提供してくれる感じが、貴い。心持っていかれる。
追いかけて行こう
あなたのあとから
雨あがりの
だれもいないけものみち
いつの間にか
七色の虹が輝いても
この胸はまだ暗い
わたしのおなかの奥にメロディとことばが勝手に自然に落ちて入ってきたので、しかも幼稚園のころのピアノのレッスンから覚えているようなメロディで入ってきたので、初めて聴いたのに心臓の奥をひゅっとつかまれたような感覚になりました。英語の歌詞もなんとなく遠くの方でオーバーラップしながらも、日本の文化で育った日本語母語話者にすとんと腹おちするように和訳された詞です。絶妙な本歌取りというか。元歌とスプリームスと薬師丸版、3つのレイヤーで楽しめるなんて贅沢な曲。
今おおきな腕が私を抱いた
言葉もなくシャツの腕噛む私
恋は不思議
小さな兎のように動けないわ
でも恋はすばらしい
「You'll hold me in your arms and say once again, you love me」の元の歌詞からは、これまでにみた洋画とか海外ドラマの連想みたいなイメージが想起されます。それはそれですごく楽しい。異なる文化のフィクションに身を投じる楽しみがあります。
でも母語が日本語で生活文化ももちろん日本だったわたしには、同じような意味でも「今 おおきな腕が 私を抱いた」って一音一音、音と時間と一緒に流しこまれる方が、突然自分のこれまで経験した瞬間を「あ、たしかに好きな人と過ごしたあの時間は、たしかに好きやなぁ」っバチッと突然きりとられたような気がして、ことばから受ける衝撃の度合は高かった。
外国語を学ぶときの知らない文化をうっかり知れる楽しみも満足感んが高い一方で、たまにこういう母語だからこそ突然降ってわかされる衝撃を体験すると、鋭敏な母語の感覚をもったかたはゆたかな世界に生きているのかなんぁとうらやましくもなります。言語と文化はさまざまな意思疎通の壁になると同時に、だからこそその壁を構成するブロックの材質とか、積み上げられた背景と積み上げた人たちを知る作業はとても楽しい。
こういう丁寧につくられたフィクションの世界を幾重にも堪能できる音楽として、Lover’s Concertoは名曲だと思います。
2曲目は、いまの音楽の嗜好、表現されたものの読み取りとか、のちの読書体験とかとにかくいまの私の考えになにより大きく影響した曲です。
②In Your Face(Children of Bodom)
アルバム「Are You Dead Yet?」2005
高2のときに初めて聴いたヘヴィメタルの曲です。
それまではポップスとかガールズロック、60-70年代くらいの「洋楽」が大半を占めていました。アニソンにもとても恵まれましたし。それまでメタルを聴いたことはないし、KISSの派手なメイクのイメージしかありませんでした。
はじめてIn Your Face聴いたときはとにかく衝撃的でした。いわゆるメタルっぽいヘヴィな楽器の音にびっくりしたのと同時に、なぜか「うつくしい」とか「魅かれる」とか自分のまったくの想定外の気持ちになり複雑だったからです。
歌詞は冷静に和訳すると「The 厨二病」なんですけど、それでも痛みとか鬱屈したような感情を「こうやってそのまんま音楽にしていいんや」というのも目から鱗でした。
そして聴けば聴くほどいまだにAlexiのギターのガシガシした音と、激しくてかなりテクニカルなのに物悲しく訴えかけてくるギターのリフが好きです。なによりこの音と絡むJanneのシンセが好きすぎる。
COBをきっかけににNightwishやStratovarius、Korpiklaaniとかフィンランドメタルに手を広げた結果、メタル愛を深めたのみならずほかの音楽ももっと好きになりました。
生で聴く音楽の楽しみの一つに、音の物理的振動をもってして音楽を聴く気持ちよさがあげられるかと思うのですが、とくにフィンランドはメタルの物理的パワーと抒情的な美しいギターとかシンセのリフを組み合わせた聖地。音楽を人間の身体と感情双方向から楽しめるだなんて。文字通り全身全霊でサウンドを楽しめる神曲との出会いが続きました。
例えば同じくフィンランドのStratovariusがコピーしたDeep PurpleのBurn。原曲のシンセソロをリスペクトしながらストラト風に大きくアレンジされていたのがかっこよすぎて、これ聴いてから原曲の美しさを再認識させられました。
プロが写し取ったプロの技を見ると、プロの”写し取り方”とか違いがわかるようになるので、なおさら曲の良さを味わえるような気になります。プロがくみ取るプロの意図が伝わるというか。
英文学者エドワード・サイードと指揮者ダニエル・バレンボイムの対談本に、「たとえ楽譜(書き起こされたテクストというもの)があったとしても、音楽はつねにミラーの連なりで”純粋な本物(authentic)”なるものを存在させることは不可能」という趣旨の記述があるのですが、プロが織りなすのミラーの連なりをのぞき込めるから、カバー版も含めて好きになるのかなと思います。アマチュアミュージシャンとしてコピーして、運指とか見様見真似でマネしようとしたり分析したりするのもすごく楽しい。
圧倒的なテクニックやリフの美しさが好きなだけでなく、こういう音楽の楽しみ方を知るきっかけになった曲なので思い入れも深いです。
アレキシが亡くなったのは悲しすぎる・・・。
そして3曲目は
③John Kanaka(Fiddler’s Green)
アルバム「Heyday」2019
「”きょうは祝日~!明日は働くけどきょうは仕事せん~”って言ぅとったで~」という歌詞から始まる曲。来日したときはCDとか配信版と同じような雰囲気でパフォーマンスしててあれもかっこよくて楽しかったけど、こんどは↑みたいんなを直に見たい笑
なんなんこの楽しすぎるパフォーマンス笑
Green DayのAmerican Idiot「歌詞:Information age of hysteria IT'S GOING OUT IDIOT America」みたいに、メッセージ性が何より先行したり、当時の社会的インパクトもさることながら今の社会にまであてはまるようなセンセーショナルな曲も好きですが
あまり深く考えずに「ま、とりあえずビール飲もか」という気分になる曲も大好きすぎ笑
こういう「どうでもいい精神」「どうでもいい感」起こしてくれるような曲、ほんまに好きすぎる笑もうビール飲むしかないやん笑
音楽が聴き手を「曲が終わる時間まで一方的に聴かせる、耳は目みたいに能動的に閉じれない」という点において、当事者を受動的にさせる特徴的にこういう無意味な時間とか脱力感創出させるのは音楽にしかできないのではと思います。
あと、この絶妙に愛しいアホっぽい感じはきっと生の音楽体験じゃないと共感しあえなさそう。ライブ行きたいなぁ・・・
ちなみにJohn Kanakaは歌詞ググったら「Kids Song Lyrics」とか「American Children’s Songs」とかの歌詞サイトがヒットしたので、もともと童謡とかマザーグース的なものなのか・・・?だとしたら英才教育すぎんか?!と思いながら好きな曲です。
この曲を知ってる人も知らないひとも、なんとなく飲みながら歌いながらなんとなく楽い雰囲気になれる曲として、フィドラーズ・グリーンは曲もパフォーマンスも好きです。
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