セルビア語は名詞も変化する。楽しい
大学院(修士)時代に必死に辞書検索しながら使っていたドイツ語も、仕事や日常生活では使わなくなるとどんどんどんどん忘れていくのが悲しくて、最近対訳付きの小説とか聞き流しとか、なんちゃって勉強した風のドイツ語リマインドを始めました。
基本的に飽き性で何かをしっかり丁寧に修めることが苦手なので、セルビア語も一緒にはじめてみました。英語は「仕事でちょっと使うしなぁ・・・」、ドイツ語は「仮にも修士号とってるし、いくら日常で使わんとはいえなぁ・・・」というちょっとした義務感がよぎるのですが、セルビア語はそもそも使えなくてもなんにも困らないし。「今日はドイツ語~」「今日もドイツ語~」「今日はセルビア語~」で逃げ道用に始めたセルビア語が、おもしろいです。
○語尾変化が一般名詞にも固有名詞にも
西ヨーロッパ系の言語履修者あるあるだと思うのですが、動詞、形容詞、名詞の性に合わせた定冠詞・不定冠詞、とにかく変化が多くて、日本語を母語にする身からするとまずはここの暗記にびっくりするんですね。当然セルビア語もそういう格変化、動詞などなどの変化があって。同時に名詞そのものが変化するんです。これが一番衝撃でした。
例えば「北海道で」というときに、北海道はもちろん「Hokkaido」なのですが場所を表す前置詞「na」をつけると「na Hokkaidu」に音が変わります。固有名詞の固有性まで脱してしまう言語って・・・一般・固有問わず、名詞は「不変」という認識だったので、書き言葉的な認識か、発話的な身体的な認識なのかまだ知らんけど、とにかくなんて可能性の広いことばの?!とちょっと感動しました。
○語順の制約はほとんどなく主語も省略できる。
述語が最後に来ていたらほぼOKの日本語や、基本2語目に動詞があれば大丈夫なドイツ語みたいに、かなり自由度が高いのもセルビア語の特徴でした。しかも動詞が主語にあわせて変化するから、日本語みたいに主語を省略してもいい言語。なんか古典の勉強してるみたい・・・。高校時代習った、過去を表す助動詞「き」と「し」の使い分けで自分か他人か判別するみたいな・・・。
主語言われていないけど、「野球したよ」とか「ギター弾いてたよ」とか何か動作について言い表す表現の最後の音の変化で私なのか彼なのか彼女たちかを判断できるって(もちろん話の流れとか文脈もあってしかるんですけど)、動作や現象から再帰的にその主体を認知するってことか?!なんかちょっと中動態的な話とも親和性高くない?!確固たる主体の境界線なんかないんじゃないか?!と超勝手なノーエビデンスひとり議論広げられて楽しいです。
余談ですが、三人称の複数形(英語で言うthey)が性別によって「彼ら:Oni」「彼女ら:One」で分かれているんです。だから性的マイノリティの人称代名詞を性差の無い「they」にするのはどうか?という発想はアメリカ的なのかアングロサクソン系的なのか、かならずしも西洋言語文化圏の人たち共通認識というわけではなさそうだなぁと推察。って思うと、やっぱり労働とか婚姻とかの法的な実利的恩恵関係は早く課題とか問題が減っていくように社会全体で変えていけるといいなと思いました。余談。
こういう仕事とか研究とかまったく関係ないところでムダなことしてるのって贅沢この上なくて、ほんとになんにもなくて楽しい。サボろうが徹夜しようが理解しようがしまいが、全部の瞬間が自分の楽しみでしかないという最強の時間を作り出している感じがする。
コロナ終わったら絶対ヨーロッパ行く。