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≪わたしごと24≫価値とAuthenticity
"儚い"ということに、こころが繊細に動くことと、侘びや寂びに美をみるということ。日本人の奥深くにあるものは、何処から来ていて、何処につながっているのか。
保存修復の仕事でこれまで向き合ったオブジェクトは、紀元前4世紀のギリシャの像から明治の人形まで、時代的にもエリア的にもばらばらだけれども、その修復をしている時に通じて感じるのは、このものの通ってきた歴史を手触り感を持って今、なぞっているんだなという事だ。
物質は必ず劣化する。丁寧に扱ったとしても、永遠に残ることは無い。諸行無常と表されるけれど、豊かな風土と自然災害を繰り返す環境で、培った感覚は"在る事の儚さ"かもしれない。
その、ものの永続性の感覚は、アジアとヨーロッパでは違うのかもしれない。
文化遺産には有形遺産と無形遺産とあるが、それはtangibleとintangible、触れられるものと、触ることの出来ないものという違いだ。価値は何処に宿っているかという事を考えた時に、外国人に面白く映るのは、日本の伊勢神宮だ。
式年遷宮で20年に一度造り替えられる、しかもそれが1300年も続いているというのは、例えばヨーロッパであったら、驚くべきことだ。まず、何で?と思うだろう。
ヨーロッパ主導で議論されてきた、どう文化財を保護するかという議論に、違う側面を投げかけたのが、1994年に開催された世界文化遺産奈良コンフィレンスだ。ICOMOS(国際記念物遺跡会議)で"The Nara Document on Authenticity" という、いわゆる奈良憲章が制定された。
そこで議論されたのは、authenticity、真正性、何をもって本物であるというのか、という事。
ヨーロッパの文化遺産保護の文脈で、素材自体をオリジナルとして重視する傾向が強い中、ちょっと待てよと、この文脈で行くと、例えば伊勢神宮の式年遷宮って全く当てはまらないぞと気づいたのだ。日本のそれは、全く異次元の文脈だ。
690年に建てられた時のオリジナルの素材を一切含まない、しかも真新しい伊勢神宮は、どうとらえたら良いのか。そこで話し合われたのは、authenticityや価値というのは、物理的なものだけに帰属するものではなく、伝統や技術、精神や感性など内外的要素を含むもっと多様なもので、それはそのものが帰属する文化の文脈のなかで考えられるべきだということだ。
伊勢神宮が文化遺産として重要であることは、疑いがない。しかし、何が私たちにとって本物で何処に価値があるか、というのは変化するものである。何故ならそれは文化の文脈の中で解釈されるものだから。
方丈記にあるように、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、という自然と再生とオーガニックな感じで生きている私たちは、もう少し視野をひろげて、世界の中にある日本の文化の文脈で、私たちは何を感じ何を考え、何に価値を置くのか、真剣に考え新しく発見していくということをするべきではないだろうか。
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