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≪わたしごと60≫ The bearable lightness of being
ミラン・クンデラの "存在の耐えられない軽さ" が好きで、過去に何度か読んだ。詳細な内容が薄れつつある中、しかし良く題名について考える時がある。
存在が耐えられないのは重さだと思ったが、でもやっぱり軽さかも知れないと今になって思う。耐えられるくらいの時は重かった気がするが、耐えられないくらい自分自身が遠くなってしまった時は、やっぱり軽かったかも知れない。
世界との繋がりは大事だと思う。それらは自分を地上に繋ぎとめる、アンカーでもある。
人はどうして耐えられないくらい人生が重くなってしまったり、自己が無力無意味になってしまうくらい軽くなってしまうんだろう。
長いかも知れない人生を、耐えられる丁度良い重さで生きていくには、何が必要なんだろう。
そんなことを考えて、今思う事は、やっぱり楽しいとか嬉しいとかって重要なんじゃないかって事。そういう事を人生の価値基準の中心に置く文化や個々人って、どうやったら育まれるのかという事。
自分が楽しいと感じる事から、嬉しいが生まれるのって、いいなと思うし、嬉しいと思う時って、多くの場合他の人の幸せと繋がってる。
皆で耐えられる重さや軽さを紡ぎ合っていける社会であればいいなと、思ったりする。
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